原爆ドームを見て、平和記念公園の中を散策し、原爆死没者慰霊碑をお参りしました。
イメージしていたのとは違って、この公園内はとても穏やかで温かい場所でした。
もちろん、園内の至る所で、様々な団体が各々で様々な政治色の強いデモンストレーションを繰り広げていましたが、「これも魚座の時代のエネルギーの遺産物なんだろうな・・・」と静かに眺めて通り過ぎました。
ただ、高校生の子たちが核兵器反対の署名運動をしていたので、そこでは立ち止まって署名しました。この子たちが成人し、現役世代として社会で活躍していく頃には、世界平和が実現して穏やかな時代になってほしい・・・と切に願いました。
◇◇◇
20世紀は、世界中がイデオロギーに振り回された時代だったと思います。
戦後すぐの73年前と今とでは、人々の意識も時代も大きく変化しているのに、まだ20世紀のイデオロギーに縛られて、その価値観や思想に染まり続けることで安心感を得ている人がたくさんいます・・・。そんな過去のエネルギーにとり捕まって生きている人々の「シンボル的アイコン」が、こうした戦争遺稿なのでしょう・・・。
確かに悲劇的で残酷な過去の歴史だけど、もうそろそろそこから立ち上がり、「今」という現実と向き合って、「今の自分」を生きなくてはいけない・・・。
もうすぐ「平成」も終わるのです。
昭和という重すぎる時代の残影がまだ少し残っていて、それらを引きずりながらも新しい流れを開拓し切り開いてきたこの「平成」という時代も、もう少しで完結します。
だから、もう過去の呪縛を解いて、新しい時代を受け入れなくてはいけません。それを、この地でなくなられた人々の魂も求めていると感じました。73年前の閃光で亡くなれてこの地に縛り続けてきた人々の魂を解放しなくてはいけない。イデオロギーの主導権を得るための道具として、長いこと利用され続けてきた人々の人生。命。魂。祈り。もう、そういうことも全てを手放して、みんなが自由になるといい・・・。そう思いました。
そうです。今こそ解放の時。生きている私たちも、そして亡くなった人々も・・・。そういう時なのだと、ここに来てそう強く実感しました。
公園内を歩いている間も、頭がクラクラしていました。
思考力ゼロ。脳が働かず、また身体もイマイチ調子が悪く、何も考えられない状態で、ただただ心に感じるままにひたすら歩いていました。食べたいものもなく、飲みたいものもなく・・・。これ以上、何もできない状態。何もしたくな状態。さまようように、ぼんやりとこの場所を歩いていました。
次に向かうのは、「世界平和記念聖堂」です。
公園内の観光案内所に立ち寄り、聖堂までの行き方を聞いてみました。
すると担当の女性は、広島市内の観光地図を広げて「ここからですと、この大通りで電車かバスに乗り『銀山町』というところで降りて、そこから少し歩きます。」と説明してくださいました。この平和公園から聖堂までは徒歩で20分くらいとのこと。
電車やバスを利用しなくても、徒歩でも行けそうな感じです。
それなら広島の市街地を歩いてみたかったので、徒歩で行くことにしました。観光地図を一ついただき、この地図に従って歩いてみました。
路面電車が通る大通りを、駅の方に向かって歩きました。この日は日曜日で、しかも通りの近くの大きな神社でお祭りがあるみたいで、たくさんの人々がいて、とても賑やかな雰囲気でした。人の流れにのって、ひたすら歩きます。
20分ほど歩くと「銀山町」という名前のバス停が見えてきました。
そこで左に折れて、静かなビル街の中を歩いて行くと、エリザベート音楽大学にたどり着き、その奥にとても高い塔が見えてきました。
十字架を天辺に掲げた大きな塔。
これがカトリック幟町教会 世界平和記念聖堂 | Memorial Cathedral for World Peace
でした。
戦前から広島にあった小さな教会が、あの原爆で被災。焼失したのですが、その後、一人の外国人神父が、この教会の再建と世界平和の実現を目指して奔走し、世界中から支援と寄付を集めて建てられた・・・。それがこの聖堂なのです。私は、ここ最近になって、初めてこの聖堂の存在を知り、「広島に行ったときには、是非訪れてみたい・・・」と思いました。
その夢が、今、叶いました。
聖堂は、現在、工事中のようです。
ちょうど見学者が私の他にもいて、ガイドさんらしき人が見学者の案内をしていました。私も便乗して仲間に入れてもらい、一緒に聖堂の中に入らせていただきました。
聖堂内の横の壁面も白いカバーで覆われてい修復作業中・・・という雰囲気でしたが、日曜日なので工事はお休みの様子。他の見学者に混じってガイドのお話を聞かせていただいた後、聖堂内で静かに一人の時間を過ごしました。
◇◇◇
このとき、私は、「命のエネルギー」を感じました。
原爆ドームが「破壊」のシンボルだとすると、この大聖堂は「誕生」のシンボル。
破壊された場所に、新たに生み出された祈りの聖地。
人はなんて強い生き物なんだろう・・・。
すると、ここで、私はこんなメッセージを受け取りました。
壊滅の中から命が生まれる
絶望の中から希望が生まれる
命のエネルギーは強い
強い力で上へ上へと突き上げていく
支配と破壊の傷跡を癒やすのは「祈り」
聖なる祈り
祈りは癒やし(ヒーリング)
いかなる場でも「命」は誕生し続ける
命は循環する
巡り巡り続ける
絶望するなかれ
命生まれる
希望を生み出せ
生きよ
力いっぱい生きよ
破壊に対抗するがごとく、こんなに大きくて立派な大聖堂が建てられ、天から降り落ちた原爆に坑がうがごとく天に向かって十字架を掲げた大きな塔が建てられ、決して屈せず、人々は、ここで祈りを捧げ、平和を願い、「幸せな世界」を築こうと日々実践し続けてきたのです。ここは「命」の象徴なのだ・・・と。新しく生まれる命の力強さをここで強く感じ取りました。
ただただ圧倒されました。
人ってすごい。
侮るなかれ・・・だな、と。
心から感動しました。
まるで生きていらっしゃるような聖パウロⅡ世の胸像。
この前に立つと、ご本人が本当に目の前にいらっしゃるような感じがして、とても温かいエネルギーを感じました。
私が帰る頃、ちょうど礼拝が終わった頃のようで、他の建物から、信徒さんやシスターがたくさん出ていらっしゃいました。
とても穏やかで温かい雰囲気でした。
私は心の中でそっとお礼を申し上げて、聖堂を後にしました。
駅に向かって歩き出しました。
道なりに歩いていると、脇にとても素敵な小径がありました。
川の畔の遊歩道。
ベンチもあって、ゆっくり過ごせそうな場所です。
さっきの平和記念公園も木々があって静かで素敵な場所だったけど、ここも素敵だなぁ・・・と思いましたが、ここも素敵な場所です。
広島も大阪と同じく川の街でした。
温かな川の街。
橋を渡って、駅へと向かいました。
この垂れ幕を見て、あの西日本豪雨を思い出しました。
そうだ、ここはまだ復旧作業中なんだ・・・と気づきました。
人は強いです。必ず復活します。
倒れても人は立ち上がり、摘み取っても命がまた芽生えます。
瓦礫の狭間から突き上げるようにして、新しいエネルギーがまた生み出されていきます。そうやって人の歴史は繰り返されてきました。
そう、大丈夫・・・。これからも私たちは生きていくのです。
広島・慰霊の旅。
この地で私の魂も癒やされました。
このタイミングでここを訪れることができて、本当に良かった・・・。そう心から感じました。