日々の暮らしの中で、私たちは常に「小さな決断」を迫られながら生きています。
行く?行かない?
やる?やらない?
会う?会わない?
話しかける?そっとしておく?
我慢する?打ち明ける?
許す?許さない?
これにする?それとも、あれにする?
・・云々
なんでもない判断かもしれないけど、選択した先に新しい道がついて、私たちを未来へと導いてくれるのです。
「何を選ぶのか?」「どちらを選ぶか?」で、その選んだものに値する結果が得られ、後の人生の道筋も各々に異なる方向へと変容していくのです。
だから、ちゃんと選ばなきゃいけません。 一つの選択が、自分の未来の方向性を決めていくのです。
◇◇◇
そう、あの瞬間の選択が・・・。
あのときの決断が・・・。
あのときの勇気が・・・。
あのときの行動が・・・。
ここから先の「私の人生」を大きく左右しているのです。
だけど、多くの人は、こんな大切な「小さな決断」を蔑ろにしています。
決断と聞くと、何か大きなことや大事な場面の時だけ・・・と勘違いしているのです。
本当は違うのに。
足元の小さな決断も、大きな決断と同じく、とても大切でかけがえのないものです。
そして、私たちの人生は、ちょっとしたことも、何でも無い当たり前のことでも、「こっちにする?」「あっちにする?」と、常に選択の場面の目白押しです。
油断も隙もあったもんじゃありません。
選択のしかた、決断の果てに、自分の生き方が表れています。
生きている限り、延々と小さな選択の場面が突きつけられ、常に「どっちにするか?」を選びながら生きているのです。
ところが、多くの場合、自分でしっかり考えて、自分で判断し、自分の人生に責任を持って「決断する」という人が、意外と少ないのです。いつも誰かの意見を求めて、人の意見や判断に依存して、自分のことなのに自分で決められず、誰が言ってくれたことを「私の意見」だと勘違いして、それをそのまま飲み込んで鵜呑みにし、人に言われたまま選択する・行動する・・・。
・・・で、結果、「何か違う」「こんなのは嫌だ」と不満を感じ、うじうじと悩み、いつまでも根に持って暗く落ち込み、「だれも私の気持ちをわかってくれない」「私は誰からも理解されない」と傷ついて、一人で勝手に苦しんでいるのです。
「自分が下した判断」に、キチンと責任を負う覚悟を持っているのなら、人の言動に振り回されて一喜一憂して悩むことは決して無いはずなのに・・・。
常に、何が起きても「私が決めたこと」であるなら、潔くどんな結果も受け入れられるはず・・・なんですよね。
でも、それができず、いつまでも未練がましく悩み続ける・・・ということは、その判断に「自分の決断」が入っていない・・・ということです。
つまり、「自分で決めたんじゃなくて、人の意見に従って決めた」ということ。
あるいは、自分の判断で納得の上で選択したのではなく、親や社会からすり込まれた価値観をベースに、人の期待に応えるための「道」を選択したから・・・。
自分の本当の気持ちを無視して、人の期待に応え人が自分のことを認めてくれることを選んで、それで「安心の道」を歩もうとしたから・・・。
それが、自分の魂が求めることとは異なる「道」であるため、こころが「そっちは違う」と訴えている・・・。それが悩みや苦しみという形で出てきているのだと思います。
◇◇◇
小さな決断を通して、本当の自分の願いや気持ちに気づくことができます。
心の反応を感じ取りながら、「どっちを選ぶと、自分の心は喜ぶのかな?」ということを注意深く観察して、自分が純真に「こっちにしたい」という方を選んでいくのです。
その結果、人がどんな反応をしようと、一切、気にしないこと。
人の期待に応えるのではなく、自分がいいと感じることを素直に純真に選んでください。
それが、「自分を尊重する」ということです。
多くの人は、自分を蔑ろにして、人の期待に応えるために、自分の選択をいい加減にしています。自分の心で選ぶのではなく、自分以外の他人の気持ちに添うことを選ぼうとします。
いやいや、それでは本末転倒ですよ・・・。
これはあなたの人生。
他人の人生のために、あなたが自分の人生を切り売りして犠牲になることはありません。他人の人生は、その人自身が自分で改善させていけば良いのです。
あなたはあなたの人生に集中する・・・。
そのために、日々の暮らしの中で生じる「小さな決断」を真剣に真摯に行ってください。
決していい加減にしないよう、真剣に自分のために選んでください。
その積み重ねが、あなたの人生の大きな決断の時に、ものすごく役立ちます。
これからは毎日コツコツと自分自身のために「小さな決断」を積み重ねてくださいね。