森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

本当の「思いやり」と「優しさ」とは


昔、子供の頃に、親や周囲の大人たちから、「人の気持ちを考えて行動しなさい」とよく言われた経験があると思います。

私自身もそうでした。

「自分のことより、他人の気持ちを思いやりなさい。他人が喜ぶことをすすんでやってあげることが、本当の優しさであり思いやり。」とよく言われました。

 これは親だけでなく、学校の先生や他の大人たちも同じことをよく言っていました。そして実際、自分のことは後回しにして、他の人のために尽くす人のことを皆が褒め称えていました。これが美徳だと皆が認めていたのです。

結局のところ、私が生まれ育った昭和時代は、滅私奉公的な価値観が強くて、子供の頃から「人のことを中心に考え行動する」ことを求められる社会だった・・・ということです。そうすることで集団の規律を守り、集団の質を高めて、社会全体を秩序良くコントロールして動かしていた・・・そういう時代だったのです。

結果、自分の気持ちを表現するのが下手な人、自分自身がよく分からない人、自分の気持ちより「社会のルール」に従って生きることが「常識」であり「幸福」だと信じている人。そんな人たちで世の中が構成されていった・・・そんな時代でもありました。

自分の気持ちを後回しにして、周りにばかり気を遣って生きていると、どんどん自分を見失っていきます。結果、自分に自信が無く、自分の能力を過小評価し、どこに居ても誰に会っても自分の心が定まらず、いつも落ち着かなくて不安定な状態・・・。そういう人がとても多く、また、そういう人たちは社会的常識に自分を当てはめることで、自分の存在価値を確かめていました。人の評価をもらわないと、自分に自信をもつことすら出来なかったのです。

それが、私たちが生まれ育った昭和の時代です。

人より抜きん出る人や、突拍子も無いことをする人、冒険する人、社会的価値観の枠にあてはまらない人たちは、いつも人から非難され、嫉妬され、足を引っ張られ、邪魔をされ、皆と同じ足並みで生きることを強要され、自分の夢を諦めて人と同じ道を行かなくてはいけない・・・そんな辛い時代でもありました・・・。

 

私も、そういう経験をしてきて、いろいろ辛かった方の人間です。

そのため、大人になってからは、自分の今までの体験を反面教師にして、自分の子どもを持ったときには、我が子に「人の気持ちを考えて行動しなさい」とは一切言いませんでした。

その代わりに、「自分の意見をしっかり持ちなさい。そして、自分の気持ちをちゃんと相手に言葉で伝えなさい。自分から伝えないと相手には分かってもらえないよ。」ということを、よく子供に話しました。

意識的にそう躾けた・・・というより、無意識にそう教えていました。

私自身が、自分の気持ちを滅して他人に無理に合わせなくてはいけないことが、とても苦しくて辛かったので、子供には自分と同じ辛さを味わって欲しくない・・・と思いました。それで、そんな気持ちから、私は子供に対して無意識に「人に合わせるのでは無く、自分の意見や気持ちをどんどん外に発信していくこと」をどんどんやらせていました。私の二の轍を踏ませたくなかったのです。

結果、人の顔色をうかがってオドオドする・・・なんてことは一切無く、自然と自信をもって自分を表に出し、いろんな人と堂々とコミュニケーションできる人へと成長し、人を怖がらず人脈を広げている我が子を見て、ああ、これで良かったんだなぁ・・・と思いました。

子供の成長によって、私の心も救われたような気持ちになりました。

◇◇◇

もう、昔の大人たちの価値観(「出る杭は打たれる」的な発想の価値観)に合わせる必要は無く、出たければどんどん出れば良いんだし、やりたいことがあるんなら人目を気にせずガンガンやれば良いのです。これは私個人の感覚だけで無く、社会全体が、今はそういう風に変化しつつあるのを感じます。

家族・地域・学校・職場・・・云々など、私たちは様々な集団に属しています。そして、今までの古い価値観の世界では、自分が属している集団の中で、縄張り争いをしたり、覇権争いをしたり、権力闘争をしたり・・・等々。マウントとかマウンティングもそれらの闘争の一種です。いじめや差別もそう。ハラスメントもそうです。限られた人数のごく狭い世界の中で「誰が偉い」「誰が下」とカーストを勝手に作り出し、密室世界で威張ったり、奪ったり、嫉妬したり、支配したり支配されたり、抑圧したり抑圧されたり、責めたり責められたり・・・・・等。

こんな馬鹿げたアホらしいことにずっと縛られ続けてきたのが、私たち人間なのです。どうしようも無いことに一喜一憂し、無駄にエネルギーを消耗し、遠回りさせられ、絶えず邪魔をされ、迷わされ、ずっと苦しめられ、悩まされてきたのです。人を支配したがる人々も、実は自分の心の中にある「恐怖心」から逃げるために、そうした傲慢な態度をとっている・・・と言われています。つまり、皆が自分のなかにある「心の弱さ」と向き合うことから逃れ、蓋をして、弱さに流されて、そんな「弱い自分」を誤魔化し正当化するために、いろんな言い訳が作られ、それがマウントという形で人々の行動に表れているのかもしれません。

でも、もうこんな悲しい連鎖は終わりにしなくてはいけません。これからは、限られた狭い集団世界の「枠」を取っ払って、もっと大きな視野に立って物事を受け止め、世界に通用する自分になるべく、自由にのびのびと自分らしさを発揮して生きていく・・・。これからは、そんな新しい時代へと変化していくことが求められていきます。

◇◇◇

そのためにも、私たち一人一人の意識を変えていくことが必要です。

支配も抑圧も、個人個人の勝手な思い込みが原因です。真実を見ようとせず、自分の思い込みで物事に対処しようとするから、間違いが起きるのです。

こうした「思い込み」「決めつけ」「妄想」・・・等、これらはエゴが作り出す勝手なイメージであり、真実ではありません。

そういうものに心が縛られ続ける時間を少しでも減らし、自分の心をクリアにしていくことが大切です。

そのためにまず意識して欲しいこと。それは、

  • 自分の中に他人を入れない
  • 自分以外の他者と勝手に繋がらない

・・・ということです。

 どちらも、意識上のことなのですが、エゴが暴走している時は、自分以外のことに心が縛られているときです。

本来なら、もっと自分自身のことにフォーカスして取り組むべきなのに、自分がよく分かっていなかったり、自分の気持ちを見失っていると、自分以外の他者に目が向き、そっちに気がとられるのです。自分の人生の時間なのに、他人のことばかり考え、他人のことに自分の心が占められている・・・という状態です。

こういうときは、自分には全く関係が無い出来事を聞いて、勝手に心が感情的に揺さぶられ、感情移入し、まるで自分のことのように怒ったり落ち込んだりするものです。

これは、自分の中(心の中)に、他人や他のことを取り入れてしまっている・・・ということです。

また、良くも悪くも気になる人がいると、ずっとその人のことばかりを考えて、脳が暴走して妄想に走ったり・・・等、自分でもコントロールできないくらい、相手のことで頭がいっぱいになるときもあります。これは、自分と相手との間のエネルギーコードが繋がっている・・・ということの表れです。

どんなに気になる相手であっても、他人は他人。そこは割り切ってください。そんなふうに他人と無理に繋がる必要など本来は無いはずなのです。

でも、多くの人は、少しでも気が向くと、そのことを執念深く考え続け、延々とその人(もの)のことを心の中で感じ続けようとします。

たとえ好意をもっている相手であっても、エネルギーコードを繋ぎっぱなしにすることは控えるべきです。これは、相手(対象)とネガティブな関係で繋がろうとするのと同じだからです。これをやり続けると、自分自身が病的になっていきます。本当に病気になる場合もあります。

要するに、健康的な関係では無い・・・ということです。

気になる相手(対象)があっても、自分の中に取り込まず、相手の存在をそのまま尊重して相手を独り占めしようとする自分の感情を律してください。そして、自分の中から相手の存在を追い出して、相手を自由に解き放ってあげることです。勝手に入り込んでくる場合でも、気づいたらすぐに追い出してください。

自分の中にいられるのは、「自分自身」だけ・・・これが本来あるべき健全な状態なのです。

自分以外の他者とエネルギー的につながり、自分の心の中に相手の存在を取り入れる・・・ということは、一種の束縛であり心を自分の檻の中に閉じ込めるのと同じです。敏感な感性を持っている相手なら、あなたが自分とネガティブなエネルギーで繋がろうとしていることを感じ取り、心身の危険を察知して、あなたに嫌悪感を感じて暴れたくなると思います。

 本当の「思いやり」と「優しさ」とは、相手とエネルギーコードをつなげ、相手の欲することをくみ取って何でもやってあげること・・・では無く、

相手の自由意志を尊重し、お互いに自分の「本当の気持ち」や「正直な意見」を相手に交流することで、相手のことを理解し信頼すること

これが、本当の「優しさ」であり「思いやり」であると、私は思います。

けっして相手の奴隷になることではないのです。また、相手に自分の僕(しもべ)となることを要求することでもありません。また、相手を自分のイメージの枠の中に閉じ込めることでもありません。

自由で平等で信頼し合える対等の関係を築くこと・・・。これが本当の「思いやり」です。

そこの部分が、今までの昭和・平成の時代と、これからの新しい時代で大きく異なる点だと思います。

◇◇◇

これからは、パートナーや友人だけでなく、親子関係や家族の間でも、本当の「思いやり」と「優しさ」を貫くことが必要になると感じます。

親子関係や家族の関係だと、まだまだ昔の価値観に基づく「固定観念」に縛られている古い世代が多いため、無理やりエネルギーコードを繋げてくる人も居て、なかなか大変だと思いますが(汗)、古い世代も寿命が来れば死んでいきます。そして、必要ならば、また生まれ変わります。そうなれば次の新しい時代を生きて体験しなくてはいけません。そのとき来世で苦労しなくてもいいよう、今生きているうちに、新しい時代の価値観に沿った生き方と価値観に少しでも触れておくことが大切だと思います。

ですので、目覚めた人たち(特に若い世代の人々)は年寄りや中高年世代に遠慮しなくて良いので(笑)、自分の生き方を堂々と実践し、古い世代に「新しい価値観の生き方・あり方」を見せてあげてください。それが真の親孝行です。

これからは、古い世代が新しい世代から学ぶ時代です。

誰もが自分の人生の中で謙虚に「新しい感性と価値観」を学び、魂を進化させなくてはいけないのです。