昨年から、「自分を知る」という作業にずっと取り組んできた人が多いと思います。かく言う私も、その一人です。
ここ数年は特に、予期せぬことが次々と起きて大変でしたが(汗)、逃げないで誠実に向き合い、起きてくる出来事にコツコツ取り組み、難題を乗り越えていくことで、「自分のこと」を客観的に自覚し、より深く「自分」を知り発見していった・・・そんな毎日でした。今もこの取り組みは継続中です。
ちなみに、私は、
スピリチュアルとは、「より自分を知ること」であり、「より自分らしくなること」である。
・・・と思っています。
私たちは、案外、自分自身のことをよく分かっていません。生まれてから今日まで、親や社会から価値観をたくさん刷り込まれているため、それが「自分」だと勘違いしています。また、自分の意思や気持ちより、他人の意向や期待に応えることが当たり前だと躾けられているため、自分の気持ちすら分からなくなっている場合もあります。
特に、昭和の時代に生まれ育って昔の価値観をバリバリに植え付けられて来た人たちは、何の疑いもなく「刷り込まれた価値観」「他人の期待」「自分以外の人の意見」に従うことが『正しい』と信じ込み、その通りに生きている自分を「これが私」だと勘違いしています。そして、自分を見失ったまま、自分が信じる価値観や生き方が正しいと執着し、それをごり押ししながら、周りにいろんな影響を及ぼしつつ生きている・・・。そういう世代の人々がまだまだたくさん居ます。
でも、これからは、もう「他人の期待」に応えるための人生ではなく、自分はどう生きたいのか?何がしたいのか?を自分で明確にしながら生きていくことが求められます。
「主体性」と「自主性」・・・この二つが真に問われる時代になったのです。そのためには、やはりまずは「自分を知ること」・・・が第一です。分かっているつもりでも、案外分かっていないのが「自分のこと」です。灯台もと暗し・・・と言いますが、自分を知らないと、何も始まらないし、何も始められません。
日々いろんなことを体験しながら、そこで起きる『心の変化』や『感情の動き』を通して、自分自身の「心の特徴」や「生き方の傾向」を知るということ・・・です。これが、「生きる」と言うことであり、さらに突っ込んで言えば「スピリチュアルに生きる」ということである・・・と私は感じます。
ですので、自分を深く知り、自分を正しく自覚するために、いろんなことを体験することが必要になりますす。自分の都合の良いことばかりが起きたんでは、人生がつまらなくなり、全然面白みがありません。そこはやっぱり「自分の感情や心が激しく揺り動かされ、強く突き動かされるような出来事」が必要であり、それがないと毎日が単調すぎて何も感じず無難に人生を終えてしまい、変化も成長もない「つまらないもの」になってしまいます。
生きていくその過程で、良いことも悪いことも平等にいろんなことを経験し、目の前のことに振り回されたり、行き場を失って右往左往したり、ドンと落ち込んだりカッカと憤ったりして、喜怒哀楽をたくさん味わい、その時々で感情的な反応をしたり・・・等。
こんな感じで、体験に応じて「心」もクルクルとめまぐるしく変化し、穏やかならぬ時も経験しながら、それらを乗り越えバタバタと日々の日常を過ごしていく・・・これも人生には必要な体験です。滑らかくなめらかに過ごせる時もあれば、サンドペーパーのように荒くてざらざらした時もある・・・それが人生だし、いろいろあるから「気づき」や「学び」も得られるのです。
こんな感じで、苦労や困難をいくつか抱えながら、それでも明るく・たくましく・力強く生きていくことが大切です。もちろん、「思うようにならないこと」もたくさん経験しつつ、一方で「楽しくて充実した日々」もいっぱい体験し、その体験や経験を通して、自分の得手・不得手を知ったり、自分の好き・嫌いを自覚したり、自分の目標や夢を悟ったり・・・等、「自分」に気づいていくのです。自分の身に起きた体験を通して、自分のことを客観的に知り、自分の能力とその限界を悟り、自分自身の特徴や傾向を認知していく・・・。これが自分を知るということです。
表面的な「自分」ではなく、奥深くに埋め込まれて簡単には見えない「真の自分」の姿を、体験を通して見つけていくのです。深く埋まっている「真の自分」を注意深く掘り起こしていき、大切に拾い上げていく・・・そんな感じです。これを何度も繰り返しながら、バラバラに分散されて埋まっている「自分」を一つ一つ見つけて発掘していくのです・・・。だから「自分を知る」ということは、簡単そうで、実はとても奥が深く難しいことです。自分を知るためには、こうした大変な過程を通らなくはいけないからです。
特に、人前で「良い人」の仮面を被って生きている人は、表面的なその「仮面」を、これが自分だと勘違いして認識しているので、いつまで経っても「本当の自分」を掘り起こして知る作業に取り組めません。今まではそれでも何とか生きていけたのですが、これからの新しい時代は、いつまでも自分に蓋をして自覚しないまま生きていると、どんどん辛くなり生きづらくなっていくでしょう。
というのも、今は「より本当の自分へ」「より本質へ」と、人々の意識が「裏表の無い真実の世界」に向かいつつある時代であるから・・・です。
宇宙から燦々と降り注ぐエネルギーも、よりシンプルに、よりクリアに、自分の真実をオープンにして生きていくことを後押しするエネルギーにシフトチェンジしているので、自分がよく分かって居ない人&仮面を被って自分を誤魔化して生きている人・・・は、「隠す意識(エゴ)」と「クリアにオープンにしていこうとするエネルギー」の狭間に入り、自分の内にねじれが生じて、とても重苦しく苦しいと思います。
苦しみから解放されたいのなら、素直に「本当の自分」を受け入れ、それを恥じたり後ろめたいと思わず、堂々とオープンに表に出していくことです。要は「隠し事をしない」ということです。そして、「オープンに生きること」を決意して心がけ、日々実践することです。
(自分では全く自覚が無くて意識していなくても、親や社会からの刷り込みが強くて、無自覚のままに、「自分の気持ちよりも世間体を第一にした生き方」が深く染みついているかもしれません。自分に対して注意してください。)
まだ「無意識に隠していること」&「自覚できていない本心」が心の奥に残っていると、そこから痛みや苦しみが発せられることがあります。(存在に気づいて欲しいから、痛みや苦しみという形で自分の内から発信してくれるのです)。そういうときは、早く自分の苦しみに気づいて内観してください。内観して、自分の心の癖や特徴を客観的に知り、自覚して、そこを解消してスッキリさせる方向ですぐに行動してください。そして、自分の本心を素直に認めてください。(それらを躊躇せずにサクサクとできる人になってくださいね。)
それでもまだ、強情で頑固な人の場合は、無意識に被っているその「良い人」の仮面を無理やり剥ぎ取られるような厳しい体験を得ます。今までは隠し切れたことが、これからはもう隠せなくなり、どんどん露見していきます。そして、きれい事では隠しきれない根深い問題が表に出てきて、体裁を取り繕って「良い人」をしている場合ではなくなるのです。世間体を気にしていられる状況では無くなり、「素の自分」「本当の自分」を剥き出しにしていかなくてはいけなくなります。そして、今までの自分が(正確には自分のエゴが)、「一番やりたくなかったこと」「一番隠しておきたかったこと」を人前でやらされ、弱い自分を晒していかなくてはいけなくなるのです・・・。
つまり、自分の中にある「エゴ」や「プライド」をへし折らなくてはいけない状況になる・・・ということです。この状況をポジティブに受け止めれば、「エゴやプライドを捨てるためのチャンスを与えられる」・・・と言い換えられるかもしけません。
そんな感じで、宇宙はその人のバランスを整えるために、バランスが悪く不自然な部分に「問題」という形の体験を与えて、全体的にバランスが良くなるよう修正しようと働きかけてくれます。
(ちなみに、宇宙からの視点で我々人間を見た場合、体裁を気にして「良い人」で居ようと自分を取り繕っている状態が「異常」なのです。外面をよくして内面がなおざりになっている・・・という状態は、自然体ではなく不自然な状態です。自然の状態ならば、「内面」も「外面」も全く変わらず同じなのです。つまり内も外もなく、全てが平等に繋がっている・・・ということです。)
ですので、今後いろんな事が人生のなかで起きてきても、いちいち気に病まず、「自分の中にある不自然な部分を、自然でバランスの良い状態に直してくれるんだな・・・」とプラスに受け入れて、現実的に対処していくことが大切です。
どんな体験も必要なことであり、自分に新しい世界を教えてくれるものなので、プラスに受け止めて、全てを自分の成長の養分にして、経験を自分の血肉にしてください。それが自然とできる・・・、それらが何者にも縛られず主体的に自由にできる・・そうした生き方が、「スピリチュアルに生きる」ということです。
意識の中から「要らないもの(エゴやプライド)」を削ぎ落として、「自分らしさ」の純度を高めてください。また、親や社会からから刷り込まれた「古い価値観」も意識の中から抜き取って手放し、より自由になってください。
それが、今後、人々の大きな課題になるだろうと思います。