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とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

東京旅②~顔真卿と祭姪文稿と私~

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前回のお話はこちら↓

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東京国立博物館の2階、顔真卿の祭姪文稿の展示室に入ってからも、まだまだ列は続いていました。

 待っている間、壁面の展示物を見ていたのですが、そのとき、この『祭姪文稿』(さいてつぶんこう)を書いたときの顔真卿は当時50歳だった・・・ということを、この場で初めて知りました。

安史の乱 - Wikipedia

唐の時代(あの有名な楊貴妃が玄宗の寵妃となり権勢を振るっていた頃)、安史の乱が起き、国が大きく乱れたのですが、この乱を治めようと戦ったのが顔真卿の一族です。

顔真卿は唐王朝の役人であり軍人でした。実直で忠誠心の強い人でありながら、政治的には恵まれず、この安史の乱では唐王朝のために戦い抜きますが、そこで従兄とその息子(甥)を亡くします。この「祭姪文稿」は、亡くなった甥を弔うために書かれたもので、顔真卿・直筆の書。このとき、顔真卿50歳・・・。

 

なんと、今の私と同じ年齢でした。

その瞬間、心がザワザワして、彼の思いがグワンと強烈に伝わってきました。

この草案を書き綴った時の顔真卿の「悔しさ」と「やるせなさ」と「怒り」を痛いほど感じました。

彼は、ただ単純に「理想の世界」を具現化したかったのです。

人間のエゴや欲に染まっていない、誠実かつ合理的でクリアな政(まつりごと)の社会を築きたかったのです。そのために、彼は自分が感じたこと・思うことを「進言」という形で、政の場で意見しただけなのです。理想の世界を作るために純真な気持ちで意見をしただけのです・・・。

ところが、それを違う形で受け止められ、ねじ曲げられていきました。

彼に反する人たち(自分のエゴと欲を満たすために政を利用している人たち)には、彼の誠実さと真面目さは眩し過ぎました。眩しくて目障りに感じられました。

でも、彼はいつか自分の信念が通るときが来るかもしれない・・・と、それを信じて、真っ直ぐに生きようとしました。自分の正直さと誠実さを武器に、実直に生きてきたのです。

ところが、どんなに誠実に生きていても、どんなに王朝に忠誠心を誓って努力しても、周囲から誤解され、疎まれ、蔑まれ・・・。どんなに純真な気持ちで向かっても、それが報われることはありませんでした。

信じても裏切られる日々。

そして乱が起き、待っていたけど国からの援軍は来ませんでした。

真面目さを利用され、奪われるだけの人生。

甥の非業の死を起点に、自分自身の心ま奥に溜まった「憤り」と「悲しみ」が次々と溢れ出るなかで、あえて心を落ち着かせ、湧き出る感情を必死に押さえながら書いたのが、この「祭姪文稿」・・・。

胸が一杯になりました。

後々、彼は書家として成功し歴史に名を残しましたが、生きている間は、常に苦難と世の理不尽さを感じながら生きてきたようです。それでも自分の人生を絶対に諦めず、放り投げず、最後まで家臣として筋を通して忠誠を誓い、正々堂々とした態度であり続けよう・・と絶えず自分の心を律して生きてきた・・・。彼の心の強さをひしひしと感じました。

この安史の乱の後も、更に生き抜いた顔真卿。でも、最期は愚直さを貫き通し、殺されて亡くなります。

 

私がこれから見ようとしている「祭姪文稿」は、今の私と同じ50歳の時に書かれたもの・・・。偶然なのか?必然なのか?1000年以上の時を経て、何だか自分の骨を拾いに来たような・・・何ともいえない複雑な気分になりました。

  

列は少しずつ動いていき、ようやく順番が巡り、私は祭姪文稿の前に立ちました。

1300年前の書とは思えないほど、鮮明な筆跡です。

筆跡を見て、私は「顔真卿はとても器の大きい徳の厚い人物だったのだなぁ・・・」と感じました。エゴや虚栄心を突き抜けた、とても崇高なところに心が至っている人だったのだと感じました。

役人としての冷静さと実務的な能力を備えつつ、損得勘定なく仕事をする人であり、また、とても感情豊かな男気のある人だったようです。そして、とても素直な人だと感じました。裏表がなく、また、とても素直で純真な人です。

そこが、当時の彼の政敵から見ると、(その純真さが)ウザったく目障りに感じられたのかもしれません。

 

しかし、もしかしたら、彼は不遇だったからこそ、素晴らしい作品をたくさん書き残すことが出来たのかもしれないな・・・と、この時ふと思いました。

いろいろなことがあったからこそ、この書風が生まれたのかもしれない・・・。もしも人生が順調で全てが上手いこといき過ぎていたら、彼の作風は違っていたかもしれません。この恰幅の良いおおらかで豊かな書風は、彼の人生体験が生み出した形そのものです。彼の人生観やその生き方が、筆の運びや墨のにじみに表われていて、それが1000年を超えた今も人々の心を魅了し、たくさんのファンを生み出しているのです。書風から感じ取れる彼の人柄・人徳・心・人生・・・。それらが人々の心を惹きつけているのでしょう。

1000以上も昔に亡くなった方なのに、今も重厚な存在感を放ち、多大な影響力を与えている顔真卿・・・。これってスゴいことだよね~。素晴らしいよなぁ~。

・・・と、そんなことを彼の書を見つめながらジワジワと感じたのでした。

とても味のある深い書でした。

 

 こうして『祭姪文稿』を見て鑑賞し、今回の度の一番大事なミッションをクリアしました。

そのほかに、様々な書が展示されていて(高校の書道の教科書に必ず出てくる超有名な古典が多数)、これを見れば書道の基本が全て学べる・・・という充実した内容でした。

 でも、祭姪文稿を見たら心がたっぷり満たされて、後の作品はそれほどじっくり見る気が失せてしまい(汗)、サラ~と流して見ました。

でも、清代の作品の展示になり、そこで趙之謙の作品を見つけたとき、思わず足が止まりました。大学時代に卒展で書いた趙之謙の隷書作品が展示されていたのです。

実は大学4年生の時、書道部の研修旅行で東京国立博物館所蔵のこの作品を見せていただく機会があり、当時、卒展の作品作りでずっとお手本にしていたその作品の現物を直に見ることができたのです。お手本にしていたのは作品が印刷された本でしたが、現物を見たら「やはり本物は違う」・・・と、本物が放つ独特のエネルギーに圧倒されたのでした。そして今現在。その作品になんと28年ぶりで再会したのです。本当にビックリしました。 とても懐かしく感じました。

 あの頃の私は、友と切磋琢磨しながら純真に書に励んでいたんだよなぁ~と、昔の自分をふと思い出しました。青春の思い出です(笑)。

こうして顔真卿展をぐるりと回って見終わり、ミュージアムショップでお土産を買って、私は博物館を後にしたのでした。

 

外に出ると、館内に入るための長蛇の列がまだつづいていました。

最後尾にプラカートを持った職員さんがいて、見ると「祭姪文稿まで130分待ち」と書かれてありました(ゲッ!(゚Д゚)!)

ここから2時間待ち続けるのって、超大変じゃん!

早めに行って午前中のうちに見ることが出来て本当にラッキーだったなぁ~と心から思いました。

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博物館を出ると、ちょうどお昼ご飯の時間でした。

外では屋台のお店も出ていましたが、屋内の温かいところで食べたかったので、上野公園内の建物の2階にある精養軒に入りました。早く食べられるものは何ですか?と聞いたら、これ↑を勧められたのでハヤシライスをチョイス。

そういえば、昔、国語の教科書に井上ひさしさんの小説が載ってて(確か「握手」という作品でした)、そこに出てくる西洋料理屋さんって確か精養軒だったよなぁ~、ハヤシライスも出てきていたよねぇ~と、そんなことをあれこれ思い出しました。

お腹がすいていたのでペロリと頂きました。

食後にはコーヒーを一杯。

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ずっと朝から立ちっ放し&歩きっ放しだったので、ちょっぴり疲れました~。

コーヒーを飲んで少し休憩。

 

つづく