森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

人がどんな反応をしようと、そこに感情移入しない

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諏訪湖SAで買った速弁。釜飯で有名な『おぎのや』さんのお弁当。美味しかったです。

他人の反応で、自分を価値づけする人がいます。

 例えば・・・

  • 自分は優しく丁寧に話しかけているのに、相手がつっけんどんで冷たい反応をしてくると、「自分は冷たくあしらわれるほど価値が低い人間なんだ」と思い込んでしまう。
  • 自分がいると、周りの人はよそよそしい態度になり冷たい雰囲気になるから、「自分は嫌われ者なんだ」と感じ、自分を卑下していじけてしまう。
  • 自分は常に笑顔で丁寧な対応を心がけているのに、相手は全く笑顔を返さずぶっきらぼうな態度で接してくるので、「どうして人は自分に優しくしてくれないんだ」と無性に腹が立ち憤ってしまう。
  • 自分はこんなに人に対して親身になり世話をしてあげているのに、相手が自分に深く関わってくれないと、心が淋しくなり強い孤独を感じてしまう。

・・・などなど

こういう感じ方をしてしまうのは、男性より女性に多いかもしれません。

でも、これって全て「心の癖」なんですよ。そう、自分の勝手な思い込みであり、自分特有の思考パターン。つまり「心の癖」なのです。だから、他人は関係ありません。自分の心がそう感じているだけです。

特に、自分に自信が無くてコンプレックスを強く感じている人は、他人のちょっとした反応も気になってしまう、過剰に反応する傾向があります。そして、何気ない相手の態度から「自分は人からどう思われているのか?」を計ろうとするのです。自分に優しくしてくれたらOK。自分に対して冷たかったりぶっきらぼうだったら✖。丁寧に接してもらえないと、自分は認められていないんだ・・・と勝手に判断し、どんどん落ち込んでしまうのです。

常に、誰に対しても、「自分の心を満たしてくれるような反応」を相手から引き出すことに必死になり、相手から引き出せない場合は、「自分はダメなんだ」と自己憐憫に走り、いじけてしまうのです。

日本人は、先祖代々『自己主張は「我」が強い未熟者の証であり、和を乱す危険な行為』という価値観が浸透しているので、自己主張しない(できない)代わりに、人に「良いこと」をすることで、人から「良い反応」を引き出し、それをもって「自分の存在価値を認めてもらう」「自分の存在価値が社会に承認される」というスタイルが継承されてきました。だから、自分の気持ちや意見を押しつぶし、『滅私奉公に徹すること』&『自分のことは差し置いて社会や他人のために自分の時間とエネルギーを費やすこと』が、人として大事なことなのだ・・・と教えられ躾けられてきたのです。

だから、「真面目な優等生タイプ」の人や、「長男・長女」気質の人は、この教えを一生懸命に守り、必死になって「良い人」となり「良いこと」をし続けて模範的に生きることが「自分の人生」だと頑張ってきました。

そのため、人の態度や反応がものすごく気になるのです。

  • 人から自分はどう見られているのか?
  • 人は自分のことをどう評価しているのか?
  • こんなに頑張っているのだから、当然、自分のことを「良い人」と認めてほしいと思う・・・。
  • もっと褒めて欲しい、認めて欲しい、称えて欲しい・・・。
  • 自分をもっと丁寧に大事に扱って欲しい・・・。

心の中は常にこんな感じ↑だと思います。

でも、むさぼるように他人からの評価を求めているのに、それを表に出すとかっこ悪くて恥ずかしいから、そういう欲求は一切顔に出さず、「何も気にしていないですよ~」という態度に徹して、また我慢して頑張るのです。

そんなときに、ふと他人が、自分に対してぶっきらぼうな態度で接してきたり、丁寧さに欠いた冷たい対応をしてきたりすると、今まで自分が積み上げてきた「良い人」「良い行い」の努力が報われていない気がして、それでドーンと落ち込む・・・と言うわけです。ドーンと落ち込んでショックを受ける人も居れば、今まで我慢しすぎて鬱憤が溜まり沸々している人だと「怒り」が爆発する場合もあります。

他人に自分の心を満たしてもらおうとするから、どんどん自分が辛くなっていくのです。

最初の初期設定の部分で、「他人の態度や反応で、私の人生の全てを判断し決定する」にするのではなく、「他人の態度や反応は、私の人生の善し悪しに一切関係がない。他人の評価も私の存在を価値づけるものではない。私の価値は私が決める。私の人生の善し悪しは私が決める。」にすべきだったのです。

そして、「私は精神的に自立する。他人の反応に依存しない。自分らしく堂々と強く生きる」というふうに、自分の心の中(生き方の指針)を設定しておくこと・・・。それが大切だったのです。

 

人が自分にどんな態度で接してこようと、あなたの人間性や個性を全否定するために、あなたにわざわざ冷たい態度をしているわけではありません。

多くは「たまたま」「偶然」だったりします。

あとは、「自分の勝手な思い込み」です。

もしかしたら、ただ単に「今朝、家で家族と大喧嘩をしたため、そのイライラを今も引きずっていて、それがたまたま他人の前でも出てしまった」だけの話かもしれません。

あるいは、「いろいろ悩みごとを抱えていたり、酷く疲れていたり、体調が悪かったり、たまたま虫の居所が悪かったりして、それが原因で、態度や言葉にポロリと出てしまった」だけ・・・ということかもしれません。

更には、相手はあなたのことを嫌いじゃないし悪くも思っていないのに、たまたま普段の素の自分の態度で淡々と接していたら、それをあなたが「冷たい」「酷い」「私に優しくない」と自分の尺度で勝手にそう受け止めてしまった・・・それだけのことかもしれないのです。

だから、他人の態度や言葉にいちいち過剰反応して一喜一憂する必要はないのですよ。

相手が自分に対してどういう態度で接してこようと、

私は私の目的がこの場で果たせれば、それでOK。相手がどんな人間であろうと、自分の目的が果たせたのなら、自分には一切関係ない。

そう割り切ること。割り切って、他人の態度や反応までコントロールしようとしないこと。←これが大切なのです。

今の自分の目的が「相手に会って〇〇についての話が聞きたかった」のであれば、その目的が果たせたらOKとする・・・。

そこに、それ以上の付加価値を期待しないことです。または、相手から目的以外のものを引きだそうとしないことです。

 

ちなみに、他人の態度や反応にいちいち一喜一憂し、他人の態度を心の中でジャッジして感情移入している人ほど、案外、その人自身もつっけんどんだったり、シラーと冷たかったり、嫌な気持ちを無意識に顔に出していたりして、他人に不快感を与えていたた・・・なんてことが多々あります(汗)。そうそう「灯台もと暗し」なんですよ。自分では自覚していないだけで、実は自分も同じ事をしていたりします。要は、気になる他人の姿は、今の自分を表わす「合わせ鏡」・・・ということです。

なので、人の反応や態度が気になる・・・という人は、他人のことより「自分のこと」にもっとフォーカスして見つめ直すと良いかもしれません。自分を客観的に俯瞰したとき、自分も似たことをしていたかねしれないと感じたら、素直に受け入れて、これからは「寛容」さを身につけることです。そう「許す」こと。相手のことも自分のことも許してください。ジャッジじゃなく、「そういうこともあるよね」と温かく受け流すことが出来る人になってください。こうして自分のその変な「心の癖」を解消していきましょう。

 

大切なのは「自分を作らないこと」です。素の自分でいいんです。素の自分を人前で出していくことを自分に許可してあげてください。完璧な「良い人」を全面に出していくのではなく、もっとリラックスして力を抜いて、自由に「いろんな自分」を出してください。様々な表情の自分を自由に出していくことを自分に許可するのです。そして自分自身に対しても寛容になってください。

「素の自分&本当の自分」を隠さず堂々と社会に出していきましょう。慣れていない人は訓練だと思って意図的に毎日取り組むことです。そのとき、自分の意見や気持ちを正直にオープンに公開していくことも実践してみましょう。

人目が気になって自分を作る人は、基本的に自分の気持ちを隠します。自分の気持ちを外に出していくことが下手だし、今までの人生でそういう体験が全く無かったので、自分の気持ちを素直に人前で出すことに怖さを感じます。怖いから余計に出来ないのです。出来ない代わりに、他人の意向ばかりをくみ取って、他人の気持ちに寄り添うことばかりしてきたのです。そこだけ能力が突出して育ってしまった・・・と言うわけです。

これでは自分を見失ったまま、自分に自信がもてないまま・・・です。このままではバランスが悪いので、人の気持ちを察する能力をオフにして、今度は自己表現の能力を鍛えていきましょう。そして、本当の自分を取り戻してください。

 

人は、「作った自分」をどんなに提供されても、全然嬉しくもないし、感謝もできません。「作った自分」を差し出されても、人は信頼しようと思わないし、愛しいとも感じません。そうではなく、人は、相手が発してくる「素の自分」「本心の自分」に触れたとき、その人のことを心の奥で深く理解し、その人の心に共感・共鳴し、その人のことを信頼しようと感じるのです。だから、「作った自分」で人に尽くして「愛」を得ようとすることは、もう辞めましょう。

そうではなく、勇気を出して「本当の自分」を素直に出していきましょう。勇気を出して、その一歩を踏み出してください。

それが、多くの人々にとって『今年の大きな課題』になると思います。