森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

「怖い」「出来ない」と言って逃げている場合では無い

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一年前の4月。昨年の桜の蕾。

今の時代、いつまでも「自信がない」「自分には無理」と言っている場合じゃ無いですよ。「わからない」ことを言い訳にして他人に全てを丸投げし、責任逃れして逃げ続けるのは、どんどん本道から外れて脇道に逸れていくだけだと思います。

昔はそれでも良かったかもしれませんが、これからの時代は、やはり「怖い・できない」と問題を先送りしたり他人任せにするのではなく、自分でも一通りやってみて体験しておく&怖さを克服しておく・・・ことです。そういう風に日々チャレンジし続けていくことがとても重要だと思います。

 ちなみに、昭和時代の古い価値観だと、「前面に出て積極的に動くこと=目立つこと」というのが共通認識であり、目立つことをすると人から嫉妬されて足をすくわれるので、なるべく目立たず大人しく隠れていることが大事だと言われていました。

ムラ社会で無難に生きていくためには、能力や才能があってもそれを押し隠して、何も知らない無知さや何もできない未熟さをアピールしなくてはならず、謙虚・謙遜をすることが美徳という価値観でした。

特に「女性」の場合、昔は、無知で未熟で学識が無く従順な女が「良い」という価値観でした。今の時代の若い人には信じられないかもしれませんが、結婚して子供を産んで夫や親や子供の世話をして生きることが「模範的な女性の生き方」という認識だったので、皆が同じ生き方をしてきたのです。

そういう社会の中では、人の言うことを何でも従順に聞いて、男より出過ぎず、家族の世話係にいそしみ、何を言われても黙って素直に従う女性が「女性の鏡」とか「良妻賢母」と言われて重宝がられていました。

つまり、女性は、男性より能力や才能が突出して抜きん出てしまうとダメだったんです。賢すぎると嫁のもらい手が無くなる・・・と言われ、見識の広さや学識の深さよりも家事や育児や介護に黙って従事する女性の方が価値があり素晴らしかったのです。

そのため、私たちの親世代(高齢世代)は、「何もできません」「わかりません」「私には無理です」と最初から何でも丸投げしてしまう癖がついている人が多いです。特に地方だと、そういう高齢女性が多いと思います。

この世代は、「男性がすべきだ」と考えられている領域に、女が手を出すことは絶対にしてはいけない、全て男性に任せるべき・・・という認識があり、それが意識に深く刷り込まれています。

子供時代からそういう価値観を刷り込まれて長い年月を生きてきたので、どんなに興味があることでも、家族の許可や承認を得ずに勝手に取り組むことができません。何か新しいことにチャレンジしたり、失敗を恐れず何事にも取り組んでみる・・・ということも、心にブレーキがかかるため、自分から進んでは出来ないのです。

下手に手を出して失敗したとき、あるいは家族の承認なしに何かに取り組んだとき、周りの人たちから許容されず、厳しく咎められたり叱責されたりして嫌われてしまうと、自分の立場や居場所を失うことに繋がっていきます。家庭内で自分の居場所をなくすことは、この社会で生きていけないことに通じるので、そこで何とか生き抜くために、最初から何もしない・余計なことはやらない・自分から手を出さない・・・という生き方が身についてしまったのです。

ですので、こういう人たちは、よく見もしないで「あー!そんなことは私には無理!」とバッサリ話を切り、パッと手を離してすぐに投げ出してしまいます。

極端な話、ちょっとした書類に目を通して文章を読んで内容を理解することも、「そんなことは私にはできない」と言って読むことを諦めます。また、必要な書類に自分の名前を書くことすら、「私は上手に字が書けないから・・・」と遠慮して書こうとしない人もいます。

喋ること(話すこと)は得意で、人のゴシップや家族の話なら何の抵抗もなく延々と話ができるのに、書いたり・読んだりすることになると、とたんに意識がフリーズし、そこから先はシャットアウトで、絶対に手を出そうとしなくなるのです。


この状態に関して、高齢の女性の話を聞いてみると、読んだり書いたりすることには「自分の知的な部分」が表われるため、それで人から「どう思われるのか?」が不安になり、悪くジャッジされないよう(未熟な自分を隠すために)「できない自分」で貫き通して、それで許しを請う・・・ようです。

そういう人は、プライベートでも書いたり読んだりする機会が無いまま暮らしていることが多いみたいです。それなのに公的な場で読んだり書いたりする機会を得ると、何か大それた事をしているような気分になるみたいです。「私みたいなものが、そんな大それたことを自分がしても良いのだろうか・・・」と怖さを感じて、避けようとする意識が働くようです。
「自分の名前」なのにも関わらず、自分がここに自分の字(手)で書いてもいいんだろうか?・・・と感じてしまうほどの自己肯定感の低さ・・・。それくらい昔の価値観で生きている女性は、自分を主張することも許されないという感覚の中で生きてきた・・・ということだと思います。

ですので、こんな感じでずっと自分を失った状態で生き続けていれば、どんどん性格が歪み、心がひねくれ卑屈になる人も多かっただろう・・・と思います。

また、自分の能力や才能を自由に発揮することが出来ずに、ずっと言いたいことも我慢して自分を押し殺して生きてきたのならば、当然のごとく腹の中に怒りがどんどん溜まって心が屈折し、すぐに自分を卑下する癖が身についてイジケやすい人になっていっただろうな・・・と感じます。

 

 私たち(40代~50代)の親世代には、こういう感じの人がとても多いです。

そして、そうした古い価値観の親たちが、私たち子世代にも、上記のような価値観を躾けとして刷り込んできました。この価値観を生きていかないと社会からはみ出て不幸になる・・・と信じられてきたので、それは必死に刷り込んできたわけです。ある意味、親の「愛のかたち」だったと思います。

でも、これからの新しい時代は、女性も自由に自分の能力や才能をフルに発揮していく時代であり、女も男も関係なく自分の能力を生かして大いに社会貢献していく時代です。昔のように、女は結婚しないと生きていけない・・・という時代ではないし、家庭に縛られるだけが女性の生きる道ではなくなりました。多様性の中の選択肢の一つに「結婚がある」というだけの話です。結婚も制度として存在するだけであり、それが「生きること」の本質ではないのです。単なる「手段」であり、「選択肢の一つ」です。

世の中には、家事や育児に天性の才能を発揮する人もいるだろうし、そういう人は自然の流れでその道を選択するでしょう。それでいいのです。

そうでない人は、無理してその道に入る必要は無いし、それをしないと「幸せでは無い」という判断も、今後は時代遅れになっていくでしょう。

つまり、古い人たちと新しい人たちでは、価値観も感覚も生き方も大きく異なる・・・ということです。いつまでも昔のやり方や価値観に執着していると破滅していきます。

 時代の流れと共に、自分の意識もどんどんアップデートして変えていくことが必要なのです。そのためにも、「わからない」「できない」を言い訳にしない。「わからない」ことでも勇気を出してチャレンジしてみる。やってみる。取り組んでみる・・・。そうして自分に新しい体験を与えていくことです。

最近では、老齢の人たちの中にも、少しずつですが意識をアップデートさせて、果敢に新しいことにチャレンジして、自分にいろんな体験を与え、意識を若々しく保ち「自己改革」に取り組んでいる人たちが出てきています。「最期のそのときまで自分の人生の手綱は自分が引くんだ」・・・というその意識が素晴らしいです。人生に目覚めて、精神的に自立し、自分から行動する人たちの出現が、エネルギーの「波紋」となり、周りの人々に対して影響を与えています。それが、周囲の人々の心を揺さぶる「良い刺激」となり、静かな改革を起こしているのです・・・。

全く動きの無い人々は、古い価値観の人たちで寄り集まってコロニーを作り、その狭い世界の中で、昔の昭和の感覚のまま生きています。そして「あれはできない」「わたしには無理」と言って現実から目を背け、「自分」に取り組むことから逃げ続けています。

でも、今後は、もうそのやり方は通用しません。出来ないことをアピールしても、わからない自分を演出しても、何の得にもならないのです。むしろ損をするばかりでしょう。もう、そんな古いやり方は手放して、新しい自分に変化していくことです。

まずは、小さな事でもOKなので「怖い」「嫌だ」「苦手だ」と言って手つかずにしていることにコツコツ取り組んでみてください。取り組むことで、本当の自分に気づき、自分の現実を知ることになると思います。やってみて、体験を積むことで、少しずつ「この人生で本当は何がしたかったのか・・・」を悟るだろうと思います。

昔の感覚で凝り固まっている人たちほど、早急に「新しい事へのチャレンジ」が必要です。怖がって何もしない人生では、後々、大きな後悔を残しますよ(汗)。

今世を後悔で終わらせないためにも、古いか価値観の呪縛を解いてください。そして、勇気を出して「自分自身のため」に本当にやりたかったことに大いに取り組んでみてくださいね。今からでも遅くはありません。今世を生きているうちに、少しでも早く気づいて目覚めてくださいね。