森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

「刷り込みの世界」を生きている人々

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列車の窓から。美しい夕陽。

最近、「古い価値観」や「刷り込み」のままに生きている人たちの特徴が、すごくよく分かるようになりました。

 『違和感』という形で察知できるようになったのです。

この感じ・・・・・言葉ではうまく説明しにくいのですが、感覚的に「あっ、この人、まだ『刷り込み』の世界で生きている人だな~」とピンと分かるようになりました。

そして以前の私なら、刷り込みの世界を生きている人に遭遇すると、その人達の世界観に引きずり込まれるような怖さを感じ、巻き込まれないよう必死に拒否っていたんですが(汗)、無理に頑張って抵抗することもなくなりました。不思議なんですが、あるときから「巻き込まれまい!」と必死に抵抗してガチガチに入っていた「肩の力」がストンと抜けた感じなのです。そして、刷り込みの世界を生きている人と対面しても、ちゃんと境界線を引いて対応できるようになり、巻き込まれることなく「今の私」を維持できるようになりました。

ちなみに、刷り込みの世界を生きている人たちは、感情のブロックチェーン・・・みたいなもので繋がっていて(汗)、「罪悪感」と「義務&責任」で自分を縛り、他人も同様に縛るところがあります。

そして、この変なブロックチェーンを、他人に(さも当たり前のようにして)ふっかけてくるんですよ(汗)。ふっかけて、フックでガッチリ引っかけて捕まえたら、そのまんま「罪悪感」と「義務&責任」ガチガチの世界へ巻き込み、奥深くまで引きずり込む・・・というわけです。

この「罪悪感」と「義務&責任」のブロックチェーンの世界は、日本特有の世界なのだろう・・・と思いますが、これがまた重苦しくてヘビーなんですよ。「自由」なんて一切ありません。時間が昔のままで止まっていて、ずっと過去の記憶と昔の価値観に拘束されている状態・・・全てが昭和チックでコテコテなのです。

そして、この変なブロックチェーンの世界にいると、何もかもが『社会で定められたお決まりのパターン』通りに物事を進め、パターン通りに反応しなくてはいけない・・・という変な暗黙のルールがあるんです。これに従わないと、この変なブロックチェーンで結び合っている人たちのコミュニティーで孤立してしまうのです。

「罪悪感」と「義務・責任」でガチガチに刷り込まれて思考が固まっている人にとっては、自分が属する世界で居場所を失うことは「死」をも覚悟しなくてはいけない恐ろしいことです。だから、自分の素直で正直な気持ちより、社会で決められた「いつものパターン」に沿った反応をしようと必死になるのです。また、そういう生き方をしないと子孫が不幸になると信じて、親は子供が幼いうちから必死になって「決められたパターン」を刷り込んでいく・・・というわけです。

この世界では、自分で自由に選び、自分の判断で決める・・・ということが許されません。みんなが刷り込まれた通りに生きているので、そこからはみ出ることは許されないのです。そのため、自分の気持ちや感情まで、決められたパターンに沿って表現しなくてはいけません。泣かなくてはいけない場面では、無理してでも泣かないといけないし、その逆も然り。男性の場合は、泣きたくても「泣くな」「感情を出すな」と厳しく刷り込まれています。更に、喜ばなくてはいけないシーンでは、周りの大人たちの期待に応えて大いに喜んであげなくてはいけません。嬉しくもないのに、空気を読んで、うれしがるということも臨機応変にしなくてはいけなくて、本当に大変です。

こんなことを幼少期からずっとやらされているので、そのうち、自分の気持ちがよく分からなくなり、刷り込まれた「いつものパターン」が、自分の本当の気持ちだと思い込んでしまいます。こうして、多くの人が「自分」を人生のどこかに置き去りにして失い、「刷り込みの世界」のリアクションやパターンを「自分の意思と気持ち」だと勘違いしているのです。

ちなみに、今、社会で問題になっている「感謝・謝罪の強要」や「感動ポルノ」も、この刷り込みの世界で生きる人たちの特徴的パターン・・・です。みんな同じことを感じ、同じ意見を言い、同じ方向を向き、同じ反応をするなんて、客観的に見たらものすごく気持ち悪くて異質なことなのですが、昭和チックな「刷り込みの世界」を生きている人たちは、それが当たり前で普通のことなんですよね・・・(汗)。

俯瞰して見れば「全体主義」っぽくて異様に感じられるのに、その渦中に入り込んじゃうと、「連帯感」とか「心は一つ」というように『感動ネタ』として受け入れられ、その状況に皆が酔いしれるのです。そして、万が一、この心地よい「酔い」を覚ますようなKYの不届き者が出てくると、皆が「気分が害された」と激怒して叩くわけです・・・。この反応も「刷り込みの世界」特有のもの・・・なんですよね(汗)。他人の感情のアップダウンの責任まで背負わされるのが、この「刷り込みの世界」の特徴です。だから、みんなピリピリして周囲に気を遣い、他人に不快感を味わわせないよう、また、他人の期待に充分に応えるよう、自分を制して必死に努力する・・・というわけです。

だけど、今や21世紀に入り、「水瓶座との時代」と言われる新しい時代に移り変わった今、いつまでも、こんな全体主義の古臭い価値観で生きていくのは無理だと思います。これでは、時代のエネルギーと合わなくなるので、どんどん生きづらく苦しくなっていくだけでしょう。これからは、いつまでも昔から続く「刷り込みの世界」にどっぷり浸かって生きるのではなく、新しい時代の流れに合わせて、もっと自分を表に出していくことを目指し、そのためにまずは自分を変えなくてはいけない・・・と思うのです。

長い間、自分を縛り付けていた「刷り込みの世界」から「自分」を切り離し、「自分」の心を独立させなくてはいけません。そして、精神的に自立して成長し、「刷り込みの世界」から離脱しても堂々と生きていける強い自分になることが必要です。

多分、私が「刷り込みの世界で生きる人たち」から影響を受けなくなったのは、私自身が分離して独立し自立したから・・・だと思います。私には、もう「刷り込みの世界」は不要だし、その世界にはもう居たくないから(←素直な気持ちです・笑)、だから脱出して独立したのです。

人の意見に振り回されたり、いちいち他人の了承を得なくても、私は大人なのだから、自分のことは自分で決めて、自分で行動していきたい・・・と願います。

もちろん、私たちは人間である以上、常に社会の中でいろんな人々と関わり合って生きていますが、関わり合いの「質」を替えていくことが大切です。

束縛、干渉、支配、隷属、依存の関係ではなく、互いに対等で自由な関係を目指すべきです。自分の意思と決断を尊重し、その人がそのままでいることも尊重し、その人が変化変容することも認め、お互いに自由で「自分らしく」自分の人生を生きることを称え合う・・・。そういう関係の世界で生きていきたいと思うのです。

「刷り込みの世界」では、まるでロボットのように画一的で似たような言動パターンを繰り返す人間ばかりですが、「自分らしく生きる世界」では皆が個性豊かで自由です。縛ることも縛られることもなく、のびのびと自分の気持ちを表現し、のびのびと自分の意見を伝え、自由に行動し、自分の人生の目的を達成するために生きている・・・。そんな世界です。

失敗も成功もなく、ただ「自分らしく」をどこまで追求し続けることができるのか?・・・が重要です。新しい世界では、皆に共通の「正解」なんてものはなく、人生の「答え」は、その人の人生の生き様そのものが、その人が生み出した「答え」である・・・という認識。つまり「個々に違う」・・・ということです。だから競い合う必要も無いし、優劣をつける必要も無い・・・。完全な自由なのですよ~。

そんな新しい世界が幕開けたこの時代を選んで、私は今世に生まれてきました。そして、最初は私も「刷り込みの世界」で真面目に生きていたのですが、40代に「刷り込みの世界」に見切りをつけて、「自分らしく生きる世界」をゆくことにしたのです・・・。

だから、余計に「刷り込みの世界」を生きている人たちを見ると、過去の自分を見ているような気がして、ザワザワした気持ちになるのかもしれません。でも、そんな「刷り込みの世界」を今も生きている人々は、その世界を生きていくと自分で決めているわけだから、それで良いんですよ~。干渉したり、変えさせようとムキになる必要はありません。選択は自由。お互いに干渉し合わない関係を維持して、そっとしておくことです。

ですので、勿論、私は「あっ!」と気づいてもノータッチです。お互いに人生の目的も魂も人格も異なる、全く別々の個別の存在なのですから、違う者同士、ただそのまま互いを尊重し合うのみです。そして、ぶつからず「すれ違う」だけ・・・です。自分と異なる人を見つけても、「他人の人生」に首を突っ込まず・絡まずスルーして、他人のことよりまずは「自分の人生」をなんとかする。←こっちが急務です。

この春は、人との関係で、こうした二極分化を強く感じるようになるかもしれません。そして異なる世界の人たちの存在感やエネルギーを間近で強く感じることが増えるかもしれません。

でも、動じないでくださいね。自分と違う相手を攻撃したり同化しようと躍起になる必要はありません。また、相手を見て優越感に浸る必要も無いし、逆に自分にコンプレックスを感じて自分を卑下する必要もありません・・・。ただ目の前にある「自分の現実」だけを直視して、自分の問題と向き合うだけです。そして、自分の人生に集中して取り組むことです。

他人の生き様を見せつけられても、「そういう世界もあるんだな」と感じればいいだけのこと。そこから先、余計なことはしなくて良いから、ただ感じるだけです。感じて他人のことは忘れる。忘れて、自分にフォーカスし、「自分の世界を楽しく生きる」・・・ただそれだけなのです。