森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

昔の価値観でいうところの「良い人」は、もう「良い人」とは言わない②

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こんな感じでマイボトルにコーヒーを淹れています。

 昨日の続きです。

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古い価値観に縛られている人たちは、「他人からどう判断されるか?」を基準にして生きているところがあります。そのため、「良い人」像も、世間体はどうなのか?人からどう思われるか?の部分で、見栄えしたり、褒められたり、世間受けしたり、認められるもの(こと・人)を、「良い」と価値づける傾向があります。

だから、自分の気持ちや意思より、「人の判断」や「他人の意向」「自分以外の人の意見」を重視して、そちらを優先したり尊重したりします。要は、

  • 自分以外の人々から反対されるようなことは絶対にしてはいけない。
  • 周囲の人々から100%の賛成が得られることだけをやる。

ということです。

そこで、もしも、少しでも反対があるのに、それを押し切ってやってしまった場合、昔の昭和的感覚だと、それは「人生の失敗」だと言われました。人の意見に従わない者は「出来損ない」であり「失敗」だったのです。

こんな感じで、昔の昭和的価値観だと、「賛成」を得ないまま自分の意思で判断して決行することは、イコール「失敗」という概念でした。親の反対を押し切った場合は「親不孝」と貶(けな)されるし、組織の年配者や権力者の反対を押し切った場合は「裏切り者」とバカにされました。反対を押し切って行動すると、その先には必ず「転落」や「挫折」「不幸」が待っている・・・と信じられていました。また、自分が属している集団の「おきて」を破り、集団の秩序を乱すようなことをしても、「裏切り者」扱いされて、悪いレッテルを貼られます。そして、その集団内での居場所を失い孤立します。

全体主義や集団主義がまかり通った古い価値観の世界では、「孤立」「孤独」は非常に恐ろしいことだったので、、その集団の「おきて」に黙って従い、その集団の中で「良い人」たと認めてもらえるように振る舞うことが必須でした。これは、自分を守り、生き抜くために必要なことだったのです。

だから、多くの人が、親から刷り込まれた「良い人」像を実践して生きていました。自分の気持ちや意思を無視して放置してでも、とにかく集団の和を乱さないように・・・、皆に迷惑を掛けないように・・・、周囲に余計な心配を掛けないように・・・、目立たぬように、変わったことをして目立ってしまわないように・・・、地味に大人しく、自分の個性の芽を押しつぶして、決められた「型」通りに生きていこうと努力してきたのです。

こうして昭和・平成・・・と、私たちは生きてきた訳ですが、でも、ここに来て、もう、そんな風に、昔の価値観に沿って、昔感覚の「良い人」で生きていくことは必要なくなってきました。

世界を包み込んでいるエネルギーが大きく変化したのです。2000年から「水瓶座の時代」に突入し、今までの古いエネルギーはどんどん淘汰され、これからは新しいエネルギーの時代に移り変わります。2019年の今、世界のエネルギーはずいぶん変容してきましたが、それでも、いまだに古いエネルギーに執着している人たち・「変化」を頑なに拒んで抵抗している人たちがたくさん残っていて、なかなかスムーズには移行できません。長いこと慣れ親しんだシステムを手放すことに「怖さ」を感じる人がいる以上、私たちの周りには、昔の「良い人」像を押しつけてくる人たちが残留しています。でも、そうした人々も、もう少ししたら年をとって老化し、順番に肉体の死を迎え、やがてこの世界から撤退していくでしょう。時間はかかりますが、死んでこの世界から撤退していく人、生きたまま自分の意識を改革して変容していく人・・・等、いろんなパターンが出てきているので、今後どんどん変化は進んでいくと思います。

ただ、この宇宙規模の変化は、「リバウンドしないダイエット」と同じで、後戻りしないようジワジワと変化を遂げていきます。なので、一発でコロリと変わってしまうことはなく、私たちの心が変化に追いて馴染んでいくように、いろんな人生体験を交えながら、少しずつ少しずつ「変化」「変革」を推し進めていきます。

社会的な出来事を通して世論が大きく変わったり、世の中の主流が徐々に違うものへと移行したり、今まで知られていなかったものが少しずつ広がり、やがて皆に馴染みのあるポピュラーなものへと昇格したり・・・等。また、個人レベルでも、個々の体験を通してその人の意識が少しずつ変わり、周りの人々の体験からも徐々に刺激を受けて、それが自分の生活スタイルや日頃の意識、生き方・人生観に反映され、人々もゆったりと変化変容していきます。

元に戻ることなく、前へ前へと変化していくことが、本当の成長です。それも、何かを付け加えて足していくのではなく、体験歩を通して「気づき」を得て、その「気づき」から次に「自分の中にある不要なエゴ」の存在に気づいて、それを手放し、エゴを手放しながら少しずつ「本当の自分」へと戻っていく・・・という形で「変化」を遂げていくのです。これが、本当の変化であり、本物の成長です。エゴを満たすのではなく、自分のエゴに気づき、そのエゴは自分の人生には不要だと感じたら、潔く手放して心を自由にする・・・。この繰り返しで、人は変化し成長していくのです。

しかし、この変化と成長の場面で、世間体や人の評価を気にしたり、理性に欠けた感情的な反応をすると、これより先には進めなくなります。今よりもっと自分を変化変容させたかったら、人の意見に縛られたり、人の目を気にして自分の行動をセーブして制限していたんでは絶対にダメです。また、次々と湧き出てくる感情に振り回されてもダメなのです。理性をもって自分を見つめ、自分を律し、自分の中のバランスを整えていくことが必要です。

そもそも「変化と成長」とは、エゴに縛られている自分を解放することが課題なので、エゴに縛られて、エゴに振り回され、エゴに支配され、エゴを満たすために選択・判断したり行動しているようでは、「変化」も「成長」も無いのです。それにエゴは、エゴを守るため(保身のため)に、自分の目の前から「変化をちらつかせるもの」を排除しようとします。そして「恐怖」という人間の感情を利用して、徹底的に「変化をちらつかせるもの」を叩いて潰そうとします。

 だから、変化している人、変化を体験している人を見ると、心がザワザワして、不安や恐怖を感じ、相手を執拗に責めたり、激しく怒りをぶつけたり、相手の行動を押さえつけようとしつこく干渉したり、監視して支配しようとしたり、影で貶めたり・・・等。卑怯で卑劣な手を使いながら、相手からあふれ出す「変化のエネルギー」をシャットアウトして潰そうとするわけです。

 この時、「あたなのためを思って」「あなたを心配しているから」「あたなが可愛いから」・・・と、いろんな言い訳や口実を言いますが、そこには「愛」なんてありません。全て「エゴ」まみれ・・・です。愛なんて無いのに、昔の価値観で言うところの「良い人」像の行動パターンをやっているから、それで安心しきっているだけです。昔の「良い人」像でいるから、「これで私は世間的に悪いことはしてない。良いことをしている。これで間違いないし大丈夫だ。これでOK。」と信じている・・・。そして、「私は、この人のために、とても良いことをしている」と思い込んでいるのです。

ですので、自分が相手に対して無礼な悪いことをしているなんて意識は全くありません。相手の気持ちを少しでも想像すれば、自分がとんでもなく失礼で酷いことをしている・・・と気づくはずなのに、古い価値観を刷り込まれて生きている人たちは、刷り込みが100%正しくて正義だと信じているので、相手の気持ちより「刷り込み」を信頼し絶対化しているのです。

 そもそも、昔の価値観だと、自分自身の気持ちや意思も無視して、集団のおきてや決まりに素直に従い、世間体を良くすることを第一にする・・・という生き方が「素晴らしい」という感覚なので、自分を蔑ろにしているくらいですから、他人の気持ちになんて、一切気にしないのです。自分自身に対して、ものすごく鈍感に生きているから、当然、他人の気持ち(特に自分より立場の弱い人たちの気持ち)に対しても超鈍感です。受け止めてあげる必要性すら感じていないと思います。

これが、昭和的価値観の人たちの「良い人」像です。

客観的に俯瞰して見たとき、果たして、これが本当に「良い人」なんでしょうか?(笑)「自分の人生」より「和を乱さないこと」を優先し、「自分の気持ち」より「他人の意向」を尊重し、どこまでも自分を軽く低く扱い、自分の存在価値を低く見積もり、自分で「自分」を無視し続ける・・・。更に、自分と同様に他人の気持ちや意思を無視して自分のエゴをガンガン押しつけ、相手に親切にしたことへの「見返り」を期待する・・・。こうして昔の価値観に沿った「良い人」像になろうと、「刷り込み」だけを頼りに、他人の反応に一喜一憂しながら、必死になって「良い人」になろうと頑張り続ける・・・。

うーん、どうでしょう?私には、これが良いとはちっとも思えないのです。むしろ「不幸」で「可哀想」だと感じます。

自分の意思や気持ちを確かめず、周りの雰囲気に流されて、よく考えもせず、自分の人生を組織や集団のために捧げ尽くして、自分の人生を犠牲にする生き方・・・。また、子供時代に親や社会からしつこく刷り込まれた「価値観」や「おきて」通りに生きていく生き方・・・。そして、これが自分の人生だと諦める。死ぬまで「人の目」と「世間体」を気にして生きていくこと・・・。これが本当に「幸福な人生」であり「良い人」なのかな・・・(ノД`)、と。

昔はそれで良かったかもしれませんが、今の時代は、ただ単に不幸を拡散するだけです。そのやり方は古いのですよ。もう手放さなくてはいけません。そして、新しいものに変えていくことが必要です。

 

長くなってしまったので、また次につづきます。