森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

「みんな同じ」は時代遅れで古臭い

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これは、私自身、最近ひしひしと感じていることなのですが・・・。

人と交流したり、関わり合ったりして、いろんな人とコミュニケーションしていきたい・・・と思いつつ、でも、人と関わることで生じる「人間関係の煩わしさ」がネックになり、人と気楽に楽しく関わり合っていくことが困難である・・・という現実。

今までは、「上手く周りの雰囲気に合わせて流していくことができない=精神が未熟で大人げない」という価値観がまかり通っていたから、嫌なことに遭遇して不快な気持ちになっても、正面切って「嫌だ」とも言えず、それを言ったらダメなんだと思い込んでいたのですよね(汗)。で、自分の気持ちに蓋をして、「嫌だと感じるのは、私の心の器が狭いから?」と自分を責めて気に病むことが多かったのです。

でも、最近ふと、これって実は私一人が努力して取り組めば良い話ではなくて、世の中の人々みんなが全員で向き合い取り組むべき問題なんじゃないの??・・・と、そんなことをふと感じるようになりました。

大きく言えば、日本の社会の構造を根底から覆して改革していかないと解決できないような、そんな根深くて大変な問題なんじゃないかな・・・と。

昔、私が子供の頃は「管理教育」という言葉が流行った時代で、とにかく「管理」が徹底していた時代。今思えば、昭和時代って一億総「管理」社会だったなぁ・・・と思います。つまり、皆が、社会のルールや価値観に沿って、全てのことを一律に管理していたということです。人の人生に関わることも、子の育て方も、進学先も、友達や恋人の選び方も、結婚の条件も、老後の過ごし方も・・・云々。何から何まで画一的にキッチリと同じ条件を出して足並みそろえてやっておかないと「安心」が得られなかった時代・・・。みんなと同じものを持ち、同じ服を着て、同じ髪型をして、同じ場所を旅し、同じ仕事をして、皆と同じ年頃に結婚して、皆と同じように子供をもって親になり、同じ暮らしをして、同じ生き方をする・・・。みんなが横並びで同じ事をしていれば、それですごく安心できてホッとする・・・そんな変な感覚が刷り込まれていたと思います。

その反面、自分たちとちょっと異なる人&自分たちの同じことができない人を見つけると、社会の足並みが乱れることへの不安や怒りを募らせて、異なる者を平気で差別したり、いじめたり、攻撃したり、無視して干したり・・・等々。「皆と違う者は痛め付け排除してもいい」という変な価値観も普通にまかり通った時代でした。

それが昭和の時代で、平成になってからは、少しずつ「人と同じことをして生きていくことが生理的に無理な人々」が表に出てくるようになり、そういう人たちの存在が社会に受け入れられて認められてきました。今では、SNSによって個々が自分の思いを社会に向かって広く主張できるようになり、少数派であっても世の中に対して強い存在感を発揮できるようになりました。

こうしてネットを通して若い世代を中心に「横並びじゃない生き方」が理解され浸透してきたけど、今も、昔の昭和的価値観で人を管理することが当たり前だという世代は、相手の気持ちにお構いなく自分の我欲を剥き出しにして、それで相手が従順に大人しく自分の言うとおりになることを期待して、ガーガーと言いたい放題に生きています。

ちょっとでも相手の気持ちを察してくれて、相手を尊重してくれるといいんだけど、そういう感覚が全く無い、そういうデリカシーも共感力も全く無い(育っていない?)そんな世代もあるんですよね・・・汗。受け取ることがものすごく下手な上に、相手の迷惑を顧みず要らないものをガンガンと押しつけてくる・・・そういう傾向の人たち。

私もそういう世代が密集している時代にスッポリ収まって生きてきたので、人間の勝手な主張に無理やり従わせられたり、いやいや合わせられたりと随分振り回されてきました。本当に苦労してきましたが、最近ようやく「面倒臭い人々に対しては、こちらが無理して合わせる必要は無いんだ」と割り切れるようになって、それから気持ちが楽になりました。嫌なら嫌だと正直に言って良いんだし、それで相手が私を「そんなことを言ってはダメ」だとコントロールしようとしても、「うるさい!嫌なものは嫌なんだ!」と正直に言えばいいんだし、それで変な呪いをかけてくる時は(←「私の言うことを聞かないとおまえは不幸になる」・・・云々。本当にいます。こういう人・汗)、そのまんま相手にそっくり返して無視して忘れる・・・それで良いんだと思います。

昔は、「世の中の全てのことは自分でコントロールできる」と信じていたので、みんな、自分のことも他人のことも自分の思い通りにコントロールしようとしてきました。

そこに、人の気持ちや意思、感情や思い・・・等は、一切、加味されなくて、とにかく「管理社会に適応できるように自分自身をコントロールし、また、自分の身内や家族もコントロールし、全てを管理してコントロールできたら、それが成功」という価値観だったのです。なので、個人の気持ちや意思、個性や特技なんて全く無視で、社会で決められたとおりに「自分」を作り替えていけばそれでよし・・・だったのです。

そういう昔のやり方を、今もそのまま通してやっている人がまだたくさん残っていて(残党みたいなものです・汗)、そういう人たちが、相手の気持ちなんか無視してパワハラ・モラハラをしかけ(←やってる本人にその自覚が無いから余計に痛い)、自分の思う通りに物事を動かそうと、他人に圧力をかけて無理やりコントロールしてくるわけです。それがズバリ「人間関係の煩わしさ」の大元・・・なんですよね。

どうしてそこまで人をコントロールしたがるのか?私にはサッパリ意味不明なのですが、昔なら「社会で決められた模範通りの生き方が出来ない人」が「変な人」という定義でしたが、令和の今は「いつまでも古い価値観に縛られて自分らしく生きることを否定する人」「人を管理してコントロールしようとする人」=「変な人」になっていくと思います。

もう、「みんな同じ」は無理なんです。それを強要されると、普通の人は心を病ませて傷みます。「みんな同じ」でないとダメだ!「みんな同じ」以外は許せない!という方が無理があり、かなり異常なんですよ。もう「みんな同じ」では収まりきらない時代です。多種多様でそれぞれが自由に自分らしくいきていけばいい時代なのです。

そういう時代の変化に多くの人々が早く気づいて欲しいなぁ・・・と切に思います。

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