森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

プライドの高さも「生きにくさ」の原因になる

プライドが高い人は、そのプライドの高さが原因で、自分の非や欠点を素直に認められず、結果、魂の成長のチャンスを自ら逃してしまうことになる・・・。

そんなことを、ふと感じる瞬間がありました。

人間である以上、プライドはそれぞれに持っているし、自分の生育歴や生まれ育った環境、魂レベルによって、自分の心にインストールされる「プライドのレベル(高さ)」が決まってくるのだと思います。そして、人は、自分の心にインプットされた「プライドの高さ」を引きずりながら、この人生を格闘して生きていきます。

この「プライド」なんですが、自分の命の尊厳&自分の誇りを守るためのプライドから、自分のエゴや欲を優先させるために発動するプライドまで、本当にピンからキリまであるのですよ。

自分の命の尊厳や人としての誇りを守るために発動させるプライドは、人間に限らず、全ての生き物が本能として持っているもので、これは最低限のプライド。この世界を無事に生き抜くために、神様が与えて下さった「自分を守るための武器」です。だから、これは大事に持っていなくてはいけません。そして、いざというとき、この武器を使って自分の尊厳を守らなくてはいけません。とても大事なものです。

でも、自分のエゴを優先させたり欲を満たすために発動するプライドは、あまりに自己中心に傾きすぎると、それは「人を傷つける凶器」になります。武器ではなく凶器になるのです。

この凶器は自分だけでなく、周囲も巻き込んで不幸にしていきます。このプライドを剥き出しにしていくと、自分がとても偉大な存在になったような錯覚を覚え、感覚が麻痺していきます。自分を客観的に見つめることができなくなり、自分の現実を受け入れる力が弱くなり、うまくいかないことは全て他人のせいにして、他人を悪者に仕立てて自分を被害者におき、悪者を相手に凶器を振りかざして傷つけ、それで自分の心の奥にある「淋しさ」や「怒り」を鎮めようとするのです。

自分の尊厳を守るためのプライドは必要不可欠な「武器」ですが、自分のエゴや欲を守るためのプライドは、単なる「凶器」でしかありません。

でも、世の中には、自分の弱くて繊細なハートを守るために、こうした凶器の方のプライドを発動させ、凶器をちらつかせて相手を威嚇し脅したり、凶器を振り回すことで自分の未熟さを隠して誤魔化そうとしたり、凶器を見せることで自分の立場を優位にしようとしたり・・・等々。そういう生き方をしている人もいます。

あまりにキツい環境の中で生まれ育ち、ヒリヒリした心の傷を抱えながら今まで生きてきた人は特に、自分の尊厳を守るための「武器としてのプライド」では足りないと思い、「凶器のプライド」まで出してきて、サバイバルみたいな生き方をするんですよね・・・。

自分に不快感を与える奴らを全て「敵」と見なし、その敵をひとくくりに「社会悪」と見なして意地でも闘い抜く・・・みたいな生き方です(汗)。

逆に、プライドがなさ過ぎると、「敵」に取って食われて食い尽くされ、良いように利用されて完全に支配される・・・という恐れがあり、それで絶対に屈服するものか・・・と、徹底抗戦するのです。

(ちなみに、徹底抗戦しないで、最初から降参して降伏して、相手の言いなりになって生きていく人もいます。そういう場合は「共依存」関係に陥ります。それはそれでまた問題なのですが・・・)

自分が不快に感じることを全て「攻撃」とみなし、自分に嫌な気持ちを与える人は全て「敵」と認知し、抵抗し続けてひたすら抗戦し続けるのは、単に「高すぎるプライド」が原因なんだけど、こういう人は、何処に行っても「攻撃」を受けるし、また、行く先々で「敵」に出会い、「絶え間なく戦い続ける」という人生を送り続けます。

(ホント、疲れますよね、こんな生き方。私には無理だわ~と思います・汗)

しかも、無駄にプライドの高い人は、どこに居ても、必ず「凶器を振りかざす」ことができる状況を必ず引き出すんですよね・・・(汗)。凶器を振りかざすことを正当化するために、ちゃんと悪者となる人物も引き寄せて、凶器を振り回さなくてはいけないシチュエーションも無意識に設定して、そういう環境や状況の所ばかり行き着くのです。

たとえ、何の問題もない場所であっても、(例えば、凶器のプライドを発動させる必要が全くない人たち(霊格の高い人)が、特に何の問題の感じず普通に楽しくいられる場所であっても)、プライドの高い人は、その場所でも、凶器を振り回さなくては・・・という意識が潜在的に働きます。

結果、ちょっとでも自分の期待通りに物事が進まなかったり、問題やトラブルに遭遇すると、その原因と責任を「自分以外の他人」になすりつけて「人のせい」にします。

こうして「他人のせい」だと思う込むことで、カチンときたり、イラッとしたり、モヤモヤすると、「ほれ!来たー!」とばかりに、今まで隠し持っていた凶器を表に出す大義名分が立ちます。こうして自分の感情が収まらなくなっても、「あの人のせい」という錦の御旗を振りかざして、ネガティブな感情を顔に出したり、態度や表情に出したり、言葉に出して吐き出したりして、周囲に「凶器のプライド」を突き立て刺しまくる・・・という訳です。

しかも、プライドの高い人は、人の話を素直に聴かないから、自分が凶器を人に向けていることすら気づいていません。こういうタイプの人は、自分への「苦言」や「耳が痛い意見」は絶対に聴きません、耳を塞いで拒否・拒絶です。むしろ自分に苦言してくる相手は、自分を攻撃してくる「敵」として認定して悪者扱いです(汗)。そして、自分のことは「敵」に攻撃される可哀想な「被害者」という認識。被害者アピールすることで自分に同情してくれる「優しい仲間」を引き寄せ、自分の高すぎるプライドを守るために利用するのです。

・・・とまぁ、こういうことを(飽きもせず・汗)延々とやっているから、成長も進化もない人生になりますよね(笑)。

自分を省みる前に、他人に凶器の矛先が向いちゃうんです。だから同じ事を延々と繰り返して、全然心は成長せず、ただ場所と相手を変えているだけで、グルグルと同じステージを回り続けているだけ・・・なのです。

(仏教で言うところの「六道をグルグル回る」というヤツです・汗)

常にこの調子なので、プライドの高さは永遠にキープしたまま。高すぎるプライドのお陰(せい)で、自分を省(かえりみ)る必要も無いし、自分の中の未熟さを見つめる機会を持つことなく生きていけます。こういう人って、本当にずっとそのまんま・・・です。可哀想なほど、本当にそのままで苦しんで生きているのですよ。

プライドの高い人は、そのプライドを早くへし折って、自分を「プライドの縛り」から解放してあげてほしい・・・と思います。

 

最後に・・・。

魂の成長って、何かをジャラジャラと身につけて重々しくなっていくことではなく、自分の中にある不要なものを手放して身軽になっていくことです。

どんどん軽くなって、重さがなくなり、最後は何もない「ただの光」になるのが目標なのです。

その不要なものの1つに「プライドの高さ」もあるのですよ。

プライドの高さのせいで、人生を狂わせた人は世の中に沢山居ます。しかし、プライドなんて別に高く高く立派に盛らなくても、普通で良いんですよ(笑)。

「最低限の武器となるプライド」だけを持っていれば、「凶器となるプライド」は持たなくても楽しく自由に生きていけます。その方が身軽で楽チンです。

結局のところ、プライドの高い人たちって、心が弱くて未熟で器も小さいから、それで不安で心配で怖くて自分を大きく強く見せようと、無駄に「プライド」ばかり高く盛り上げていったのでしょう。それで自分を精一杯守っているつもりなのかもしれません。

しかし、高すぎるプライドから見える風景は、虚構の世界です。そんな高すぎるプライドは早くへし折ってぶっ壊し、ちゃんと地に足をつけられるフラットなところに心を降ろして、本来の世界を見ることです。

プライドに縛られている人は、これからますます立ちゆかなくなります。本当の心の安楽地は高すぎるプライドの上にあるのではなく、その下。プライドの世界から早く飛び降りて、自分の欠点も短所も未熟さも素直に受けれて生きていく・・・そんな「素の自分」の世界に戻りましょう。そうじゃないと、ますます苦しくなりますよ。

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台風前の百日紅。花火のように空に向かって咲いていました。