森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

体験を「学び」に替えて、同じパターンを繰り返すことから卒業する

同じパターンを何度も繰り返している人を時々見かけます。

でも、当のご本人は「自分が同じパターンを何度も踏んでいる」という自覚が案外なくて、「自分は運が悪い」程度にしか思っていなかったりするのですよね(汗)。

 

こういう場合、周りは何となく気づいて分かっているのに、当の本人だけが全く気づいていない・・・というケースが多いです。

 

例えば、対人関係を例に挙げて説明すると、行く先々でパワハラやモラハラなど人間関係のトラブルに遭う・・・という人がいるのですが、そういう人って、横から見ていると「どうしてそこに行く?」という方向へ、自ら飛び込んでいくことが多いように感じます。

 

勘の鋭い人なら、ピンときたりパッと察知して、深入りする前にさりげなく疎遠になって危険を回避し、スルッと上手にかわして逃げるのですが、同じパターンを繰り返す人は、そういう部分の感知力がかなり鈍っていたりします。なかには壊れているのか?全く作動しない人もいたりするのです(汗)。

 

分かりやすく例えると、食べようとして口に入れようとしたとき「あれ?これ変な臭いがするわ!」とか、臭いで分からなくても口に入れて「うっ!不味い!これ傷んでない?」と感知しますよね。

 

それで、感覚的にウェッ!と吐き出してすぐ捨てたり処分するのですが、『同じパターンを繰り返す人』は何故か臭いも分からず味も感じず・・・で、そのまま口に入れて飲み込んでしまうのですよ。

 

これは食べてはアカンやろー!というものも、ペロリと食べちゃうんです。で、飲み込んでしまった後、猛烈にお腹を壊して大変なことになります(汗)。それでもまだ食べ続けようとするのです。カラダの不調が、今食べたものが原因で起きている・・・という認識も抜け落ちていて、意識と感覚バラバラなんですよね(汗)。

 

こうして心と体のバランスが崩れて、ますます酷い状態に陥ります。

 

この時、面白いなぁ・・・と思うのは、「同じパターンを繰り返す人」たちって、自分が苦しんでいる間、周りの人たちが心配して手を差し伸べてくれるのが内心嬉しかったりするんですよ。また、自分は被害者だということで、周りの人が大事にしてくれるから、それも心地よかったりするみたいです。

 

だから、なかなか傷んだ食べ物を捨てる(手放す)ことができません。これを食べて苦しんでいる間は、自分が弱くて繊細な生き物のような気がして、その状態でいることに自分の居場所を感じているような・・・そんな感じなのです。

 

でも、普通は、こうして大変な状態を経験して苦しかったのなら、猛烈に「もう同じ失敗は繰り返さない」と心に決めると思うのです。そして、そんな変な臭いを発するものは食べちゃいけない・・・と思い、それらを自分から引き離す方向で、知恵が働き、頭が回ってどんどん行動に出ると思うのです。

 

これは放置してはいけない問題で、自分の命にも関わることだから、この体験をしっかり生かして学習していかないといけません。

 

自分を守るために、自分をこれ以上危険にさらさないためにも、まずは自分を脅かすものを自分から遠ざけることが大切。そう、これって、思考で行動することではなく、本能的な反応なんですよ・・・。だから人間も「生き物」である以上、これは必須なのです。

 

「体験を学びに替える」ということを、他のことに例えて説明してみます。

 

私事で申し訳ないのですが、昔、私が中学生の頃に学校給食で食中毒が起きたのですよ。それでお腹を壊したことがありました。

 

この時、新メニューの炊き込みご飯だったのですが、そのご飯が腐っていて、腐敗した臭いがしていたのに、「新種の炊き込みご飯はこういう香りがするのかもしれない」と思い込み、みんなが食べちゃったんです。

 

今では信じられないでしょうが、当時は昭和時代。「給食センターが腐った物を出すわけがない。」「決められ事には素直に従わなくてはいけない」という先入観にとらわれていました。

 

それで集団食中毒事件となり、もう大変でした。私はこの時はそれほど食べなかったので、軽くお腹を壊した程度で済んだけど、無理やり「おかわり」させられた男子は、症状が重くてしばらく学校を休んでいました・・・今思えば本当に可哀想。

 

この体験から、「少しでも変な臭いがするものは食べちゃいけない」「たとえ勿体ないと感じても、自分のカラダを大事にする」「自分の感覚を信じて、嫌なものは嫌だと断る勇気も必要」・・・ということを、子供ながらに学びました。

 

先生方も、給食センターを過信しすぎてはいけない、こういうこともあるんだ、自分の感覚を信じて止めさせるべきだった・・・と思われたようです。

 

給食センターでも、それ以降は衛生面でいろいろ気をつけるようになったようです。もう珍しい変わった炊き込みご飯は一切作らなくなったので、あの事件を教訓にして学んだのだと思います。

 

皆が、これは危ない、次はこういう点に注意する・・・ということを体験から学び、後々の教訓にしました。

 

以降、私も「傷んだ食べ物の怖さ」を学んだので、「怪しいものは最初から食べない、どんなに義理で押しつけられても絶対に口にしない」・・・と心に決めました。今も衛生面に気をつけています。

 

この体験と同じように、人間関係でも「相手が発するエネルギーを感覚的に感知してみる」ということは、とても大事なんじゃないかな・・・と思うのです。

 

人として生きている以上、いろんな人と必然的に会うわけで、人との出会いや関わり合いを避けて通ることはでません。どうしても人と接して生きていかなくてはいけません。ならば、人との関係も、体験から学びに替えて、自分の成長の勝てにしていくことが必要だと思います。

 

どんなに良いことを話していても、どんなに丁寧で優しい態度であっても、また、見た目がスマートそうであっても、その人の本質は、エネルギーとなって周りに発せられているので、それを感覚で受け止めて感覚で掴んでおく・・・ということが必要だと思うのです。

 

目に見える形だけでなく、目に見えないけど感覚的に雰囲気として察知したことも、ちゃんと情報として受け止めて大事にする…ということです。

 

ただし、それをもって相手を非難したり嫌う必要は全く無くて、ただ自分が「この人はこういう人なんだなぁ」と知っておく・・・それでいいと思うのです。自分がそれを知っているか否か?自分はその部分に気づいているか否か?←ここが大事なのです。

 

その上で、自分は相手とどう付き合っていくのか?どう接していくのか?どの程度の距離感で関わるのか?どこまで信頼するのか?・・・等々。これを自分で決めていくのです。

 

相手が変わることを期待して願うのではなく、自分はどう相手と関わるのかを最初に決めて線を引いておくのです。その線は、相手との関係が変化したら、その変化に合わせて臨機応変に変えていけば良いと思います。また今の自分の心の状態を見て、自分のキャパが許す範囲で(自分の都合で)設定してもいいのです。これも自己決断、自己責任です。そして自由です。

 

ここで相手にいちいち「あなたとは、こう接しますよ」と口に出して説明して許可をもらうる必要は全くありません。自分の心の中でそう決めればいいのです。判断して決めて実行すれば良いだけのことです。

 

食べ物の話に戻ると、たとえ傷みかけていたとしても、「この状態の時が、実は一番上美味いんだよなぁ~」と喜んで食べる人もいますし、あるいは、自分のカラダの状態を見て「これは無理」と処分する人もいます。

 

それは人それぞれ。自分の今の状態や気分や嗜好に合わせて、常に自分で「どうするのか?」を決めて判断すればいいんですよ。つまり「自己責任」です。

 

そのためにも、ちゃんと嗅覚や味覚を研ぎ澄ませて、ちゃんとしっかり感じ取ること・・・。これ、すごく大事だと思います。

 

人はどんなことも「体験」から学んでいきます。痛い思いをした体験、辛かった体験、悲しくて苦しかった体験・・・等、そういうものを体験して「もう二度と自分にあんな体験は与えない」と心で感じたのなら、智慧(ちえ)を働かせて近寄らない工夫をする・・・ということも必要なのですよ。

 

つまり、何度も何度も「腐った飯」を口に入れて食べ続けるようなことは止めなさい・・・ということです。もう充分に不味い飯をたらふく食わされて、「腐った飯を食う」という経験を腹一杯したのなら、もう、そこから卒業することです。

 

嫌な臭い・ネバネバした感触・酸っぱくて嫌な味・ざらざらした舌触り・・・等。あれと同じことを再度体験したら、自分の感覚センサーを駆使して「これはヤバいぞ!食っちゃいけない!」と自分に警笛を鳴らすのです。

 

こうして自分を危険から守ること・・・。これ、すごく大切ですよ。

こうやって、危険を体験する度に、それをデータ化して自分の感覚センサーに入力していくのです。そして似たような場面に遭遇したら注意するよう「自分」に気づかせて、今までとは違うパターンで返していくのです。

 

自分の感覚を取り戻すことは「自分自身を取り戻す」ことでもあります。そして自分の判断を信じることは「自分を尊重する」ことでもあります。

 

自分の感覚を大事にする部分がスポッと抜け落ちていると、「何度も同じパターンを繰り返す人」になっちゃうのですよ。自分の感覚を取り戻して、自分の感覚を信じ、そこから新しいパターンを生み出して生きながら、自己を成長させましょう。

 

同じことを何度も繰り返すのって、実はものすごく効率が悪い生き方なのですよ。限られた人生、時間とエネルギーを有効に活用すために、過去の体験を上手に学びに替える生き方へ、シフトチェンジしましょうね。

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稲穂。秋らしくなってきました。