森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

「過去の自分」と「今の自分」が繋がること

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一週間ぶりの更新です。

実は、今週ずっと書道の作品作りで忙しくて、こちらのブログにまで手が届きませんでした。

でも備忘録として「note」には搬入までの様子を記録してきましたので、良かったらこちらをご覧下さいませ。

note.mu


◇◇◇

この9月は、私が「過去」の置いてきたもの&置き忘れてきたものが、ジワジワと私の内面の奥底から表面へと浮かび上がって出てきて、「現在の私」と混ざり溶け込んでいき、それらが私の血肉となって「未来の私」へと繋がっていった・・・そんな一ヶ月間でした。

本当に不思議な一ヶ月間でした。

ちなみに、「過去に置いてきたもの」&「過去に置き忘れてきたもの」の多くが、実は正直なところ、あまり良い思い出が無くて(汗)、どちらかと言えば封印してきたものだったんです。

今までの私なら、これらがジワジワと表に出てきた時点でパニックになり、慌てて奥に押し込み蓋をして鍵を掛け、永久に出てこないよう厳重に封鎖していたかもしれません・・・。

ところが今回は、浮上してものを改めて手に取り、しっかり受け止めて体感してみました。最初はいろんな感情が出てきて「嫌だなぁ」と感じたりもしましたが(汗)、勇気を出して一度しっかり確認してみたら、意外と楽しかったのです。

そう・・・実は「お宝」だったのですよ。長い間、封印して開かずの間に閉じ込めていたものが、実は「かけがえのないお宝」であり、「実は私の魂が欲していた経験」だったのです。

でも、昔の私は、左脳的な価値観に縛られていたから、これらを「ダメなこと」「嫌なこと」と判断し、それで封印してしまったのです。

そして今、アラフィフになって自分のことを客観視できるようになり、今、ようやく過去の自分が積み上げてきたものを、ちゃんと素直に認められるようになった・・・と言うわけです。左脳的に動かないと生きていけない時代を過ごしてきたから、そうせざるを得なかったんだろう・・・と、今はそう思います。

もしかしたら、昔の私は、まだ若くて未熟だった為、左脳的な判断が「正道」だとされてきた昭和から平成の時代を、無理やり逆行してまで「右脳的に生きていく」だけの覚悟が無かった・・・ということかもしれません。覚悟もエネルギーも自覚も無かった・・・だから長いものに巻かれて、グスグスと煮え切らずに生きてきたのでしょう。

20代から30代にかけての私は、昭和の価値観に染まっていて、左脳的に相対評価で「自分」を評価してきました。左脳的な価値観の世界だと、私のような「感覚的な人間」は絶対にアウトです。自分の感性や感覚を信じて生きていくことが非常に難しく、感覚や感性よりも、社会の常識や世間体を第一にして生きて行かなくてはいけない時代です。

ですので、私も自分の感覚や感性を信じることができず、また、自分の良さや能力を素直に受け入れて認めることも出来ず、ずっと自分にダメだしして生きてきました。

自分が選んでコツコツ取り組んできたことも、自分が直感的に信じて一生懸命に磨いてきたことも、昭和の価値観に縛られている人たち&左脳的な判断が当たり前の人たちからは不評で、否定されることが多かったです。ですので、私が自分の感覚に従って動けば動くほど、周囲からいろんな感情をぶつけられるため、やればやるほど、それがコンプレックスになっていきました。

そのため、今までは、自分が主体的に取り組んできたものを振り返ることは、認められなかった辛さを再度味わい直すことでもあり、なかなか辛い体験でした。更に、それが原因で「蓋をして隠している自分」があるということは、イコール「自分で自分を全面的に否定している部分がある」ということなので、それもまた辛いことでした。

人間、何が一番辛いかと言えば、自分自身の存在価値を素直に認められないこと・・・だと思うのです。ありのままの自分を素直に認めて受け入れられる・・・ということは、「何があっても、自分は自分の味方」ということです。

でも、それができないとなると、自分は自分の味方ではなく、自分の敵だということです。自分自身が自分を敵に回して自分を責めたり隠したりするなんて、これほど辛いことはありません。でも、私は若い頃は、そんな捻れて矛盾した状態で生きていました。だから辛かったのです。

これらの心境や状況を全部ひっくるめて「自分の未熟さ」と表現するなら、自分が取り組んできたことを振り返ることは、「自分の未熟さ」を強く刺激することに繋がるので、正直、とても嫌なことでした。嫌で苦しい事でした。

ですので、なるべく自分を隠して、そういう自分を卑下して、それが自然と「癖」になって自分に染みついていったのです。

でも、今回、浮上してきた自分の過去を追体験してみて、改めて多くのことに気づかされました。

そこで「わかったこと」は、過去の私は、苦労しながらも地力をしっかり付けていて、正攻法で「本物となる力」を磨いていた・・・ということです。

人からどう思われるのか?という気持ちを捨て去って、ただ単純に自分を客観視してみたら、「あっ!自分ってすごいかも」と素直に感じられですよ。自分でも不思議なのですが、肩の力が抜けて、自然体で楽しんでいる自分がそこにいました。

更に、それを素直にSNSに発信してオープンにしてみたら、意外と周囲からも好評で、「あれ?」と拍子抜けしてビックリ。

人と比べれば、まだまだ技術的に足りないところがあったとしても、過去に積み上げてきたことが、「基礎」「土台」として今もしっかり生きていて、ここから私は自由に上へ上へと積み直していくことができる・・・。もう昭和も終わり、平成も抜けて、新しく令和の時代になったのです。左脳的にガチガチになる必要は無く、力を抜いて、これからは気楽に楽しみながら自由に取り組めばいいんだ・・・と。それに気づきました。

いや、気づいたというより、悟ったという感じでしょうか。

この瞬間、私はすごくハッピーな気持ちになりました。

過去の私は、未来の私のために素晴しい人生の貯蓄をしてくれていた・・・ということです。それに今、やっとこさ気がついた・・・という訳です。(遅いってば!笑)

 

長い間、ずっと成仏できずに私のなかでくすぶり、長い眠りについていた「ちから」が、この1ヶ月でワサワサと出てきて、すごくビックリしたのですが、それらを否定せず、ただ素直に受け入れて、認めて、その「ちから」をオープンに公開して発揮してみたら、案外イケていた・・・という感じです。

そう、これらは、自分の武器であり「お宝」になっていました。

今は、過去の私に「ありがとう」という気分です。

 ◇◇◇

ここまで至るのに、40代にコツコツ取り組んできた「自分を取り戻す」と言う作業。それが、今、過去の自分を受け入れていく過程でとても役に立ちました。

 自分を取り戻したからこそ、「過去の自分」を「今の自分」にドッキングさせることができた・・・そんな感じです。

長いこと分離されていた「過去の自分」と「今の自分」。ようやくガチッと繋げることができました。

そして、私の視線は「未来」へ・・・。

過去と今が繋がるとすごく強力なんだ・・・ということが、よく分かりました(笑)。

恐れなく「未来」を見据えることができるようになりました。

これも大きな発見です。

いよいよ明日は新月。新月の前に自分を整えることができて良かったなぁ・・・と思いました。

季節は秋。秋本番です。

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稲刈り後のはさ掛けと彼岸花。