森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

客観的に見れば、それも古臭い価値観に縛られているのと同じこと。

【スポンサーリンク】

昨日は、「即位礼正殿の儀」が執り行われ、天皇陛下が国内外に即位を宣明されました。

昨日は、私もテレビで儀式の様子を見させていただいたのですが、平安絵巻さながらの様子に、もうウットリでした。雨が降っていなければ、外の玉砂利の広場に束帯姿の宮内庁職員がずらりと整列したそうで、もしも晴天だったら、それはそれは壮大な風景だったのだろうなぁ・・・と思います。(←ここが見られなくて非常に残念。)

平安時代の古典が好きで、高校時代、よく読んでいた私。天皇陛下や皇后様、皇族の方々の装束をこうして見ることが出来て、本当に幸せでした。

この儀式の様子、高校生だった頃の私に見せてあげたかったなぁ・・・と、そんなことをふと思いました。

◇◇◇

今回、この歴史的な儀式が無事に終わり、「新しい時代」が正式に幕を開けたのを感じました。そして、また新たに「世界の流れ」が大きく変化していくのを強く感じました。

イデオロギーに縛られている人たち、それは単なる「刷り込み」であることに、早く気づかなくてはいけません。

先の戦争(太平洋戦争)が終わってもう70年以上が経っているのに、今も戦前や戦中のイメージに精神的に縛られて、心の時間が止まっている人たちが沢山います。

今、目の前にある問題には一切目を向けず、また、問題の本質や現実の姿を見ようともせず、自分が生まれる前の75年前も昔のことばかりに意識を向けて、それをネタに、いつまでも執拗に追及して責め続けている人たち。

こういう人たちは、「自分は正しい」と信じていますが、いやいや、古い政治的な「刷り込み」の影響を受けて、自分の思考がストップしていることに早く気づくべきだと思います。すごく頑固で修正がきかず、刷り込まれた価値観や感覚が「固定観念」となって、心と脳にこびりつき、その結果、自分の感性やフィーリングよりも、刷り込まれた価値観に従って生きているだけなのです。

そのことに早く気づくべきです。

こんな状態で生きていくのは、すごく不自由で視野の狭い生き方を自分に強いていることなんだ・・・ということを自覚しなくてはいけません。

頭が良い人たち、優秀な成績で高学歴な人の中には、勉強という名の下で「左脳的な判断」ばかりを鍛え、「右脳的な部分」をおろそかにしてきた人もいたと思います。そういう人ほど、直感力や感覚、自分のフィーリングよりも、知識や情報を信じるので、プロパガンダに引っかかって、偏った思想に染まりやすいのかもしれません。

でも、もう時代は新しい世界へ向かっています。いつまでも、19世紀末の列強主義や20世紀初頭の共産主義、はたまた冷戦時代の思想に縛られたままでいたんでは、かなりの時代遅れでヤバいです(汗)。また、日本の高度経済成長やバブルのころのような現金主義・物質至上主義の感覚も古臭くて恥ずかしいし、ましてや男性優位の価値観や男尊女卑の感覚なんて、その最たるもの・・・。全然話になりません(汗)。

今、社会を見渡してみると、右も左も、リベラルも保守も、実は結構、刷り込みに縛られていることが多いです。

保守系の人たちは「親や地域社会から刷り込まれた価値観」だし、リベラル派は「プロパガンダという形で刷り込まれた価値観」。

どちらにしても、「自分の素直な感覚でそれを受けとめたとき、ハートで魅力を感じて素敵だと思える」のなら、それはそれでOKなんですよ。それは心が感じたことなので、素の自分が良いと感じたことは、フィーリングとして受け入れて尊重すれば良いのです。

しかし、そうではなく、人から教えられたこと&植え付けられた価値観を基に、頭から「こうだ」「ああだ」と決めつけてジャッジした結果の判断ならば、それは、ハートで感じたのではなく、「刷り込み」を基準に決めたことです。それは、自分の本心が選んだことではない・・・ということです。(←わかるかな?汗)

多くの人たちが、こうした刷り込みに精神的に縛られていて、融通の利かなさ&頑固さを発揮しています。

刷り込みが強いと、自分の本当の気持ちがわからない上に、頭ごなしに物事を決めつけて、広くいろんな意見や主張に耳を傾けることが出来なくなり、敵か味方か?という判断で物事を理解しようとするので、どんどん視野が狭まるし、思考も偏っていくし、「本当の自分」の気持ちや考えから遠ざかっていきます。

そして、刷り込みによって「こう思わなくてはいけない」「こういう見方をすべきだ」と学習させられるため、決まったパターンの「受け止め方」「モノの見方」をするようになります。刷り込み通りの決められたパターンで物事を受け止め、それを、そのまま「自分の考え」「自分の感覚」だと思い込み(思い込まされて)、何の疑いも持たず、それらを「自分の意見」「自分の感想」として信じてしまうのです。

結果、こういう人たちは、自分の意見を人に押しつけることが多いです。自分の周囲の人たちに、自分と同じ価値観になるよう強制して刷り込ませようとします。

自分の直感やフィーリングを信じて生きようとする人たちから見れば、こういうタイプの人たちは、すごく面倒な存在です。

自由な判断や受け止め方を否定し、自分と全く同じ反応をする人で世界を染めようとするからです。

でも、今後は、こうした刷り込みに生きる人たちは、逆に居場所をなくして生きにくくなっていくだろうと思います。

イデオロギーで人を統率しようとしても、対立を生むだけです。

イデオロギーの違いで、敵認定したり、攻撃したり、足を引っ張ったり、誹謗中傷したり・・・等。そういう卑怯なことは止めるべきだし、そういう行為自体が古臭くて時代遅れなんですよね。これこそ、まさにプロパガンダ・・・。もう、こういう手法自体が、前時代的でダサいんですよ。恥ずかしいから止めましょう。

どんな考え方であろうと、どんな思想をもっていようと、姿形にこだわらず、対等に相手を見て、その人の存在そのものを丸ごと受け入れて、平等に公平に相手の真の姿を冷静に見ていく・・・。そういう視点を持つことが、これからは非常に大事だと思います。 

f:id:mama-papa-131106:20191023180420j:plain

滝を見に行ってきました。山歩きは気持ちが良いです。