森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

「人生」とは、自分で選んで自分で決めてきたことの積み重ね

気がつけば、この10月も明日で終わります。

今月もなかなか濃くてハードな1ヶ月でした。まさに激動の日々。

毎日いろいろなことが起きるため、予定通りに物事が進まなかったり、計画の急な変更や中止を余儀なくされたり、今までやったことがないことに向かわされたり、これまでとは真逆な方向へ突き進んだり・・・等。

その他、隠してきたことが露見して公になったり、良いと信じてきたことが実はダメダメだったと気づかされたり・・・。

良くも悪くも、いろいろなことが剥き出しになっていき、それに対して「自分はどう思うのか」「「自分はどうしたいのか」を突きつけられ、常に自己選択・自己決定を促されてきた・・・。そんな一ヶ月間だったと思います。

もう「うーん、どうしようかなぁ~」なんて悠長に考えている暇はなく、即決・即断でサクサク決めてサクサク動く・・・。考えすぎる癖が邪魔をして、いざというときサクッと動くことができず、流れを堰き止めてしまい、大事なところで出遅れてしまう・・・。そうなると、もうそこに留まるしかなくなります。

昔のように、強い力が働いて、私の気持ちに関係なく、誰かが自分を引っ張り出して救ってくれる・・・なんてことは、今後は一切ありません(汗)。

ラッキーもアンラッキーもなく、また、損か得かということもなく、自分に必要だから起きてくる・・・という観念です。ですので、目の前にあることから順番に取り組んでいく、片付けていく、動いていく・・・これが大事です。

ちなみに、宇宙的な視点で見れば、「出遅れる」ことも、「動かない」ことも、「考えすぎて決められない」ことも、「流れを堰き止めてしまう」ことも、全て、その人自身が自分の意思でそう決めて、自分でそうしていること・・・という認識になります。

人から命令されてそうしたとしても、人の命令を受け入れて「そうする」ことにした時点で、宇宙は「人の命令に黙って従う・・・と自分の意思で決めてそうしている」というふうに認識するのです。つまり「自分で決めてそうしているでしょ?」ということです。

命令であったとしても、それが悪い内容であっても、命令された時点で「従うか?断るか?」の選択はできたはずなんですよね・・・。相手がどういう人間であっても、怖くて逆らえない相手であって、それを「受け入れるか?お断りするか?」の判断は、自分自身の判断です。

要は、「自分はどう生きたいのか?」という意思をしっかり持っていれば、他人の命令に従うべきか?無視するか?くらいは、自分で判断がつくものです。あとは「勇気」です。その「勇気を出して行動に出る」瞬間に、自分の心のブロックを壊して、心を成長へと貫いていく・・・。悟りと気づきと成長のエネルギーがそこに秘められているのです。

誰が正しいとか、誰が間違っているとか、誰が良くて誰が悪い・・・ということは一切関係なく、「自分はどうする」で全てが決まります。だから、何をしていても、どうすることになっても、「その人自身がそうすると決めて、それを実行している」ということです。

これは、宇宙が人間の「自己決定」を尊重していることの証でもあります。良いとか悪いとかのジャッジは一切なく、全て「自分で決めたこと」として、その意思や行動を祝福し尊重するのです。尊重した上で、行動した「結果」を、その人自身にもたらしていくのです。

だから、今の状態が気に入らない人は、少し前の自分が、今の状態になることを自分に許可して、そういう状態になる「何か」を自分に与えたから、「今の状態」がある・・・ということ。

高圧的な人の下で辛い思いをしている人は、少し前の自分が、高圧的な人の言いなりになることを自分に許可し、辛い思いを味わうことを自分に強いるように自分に命じているから、「今の辛い状態がある」ということです。

本当に嫌なら、「もうこんな状態は嫌だ」と立ち上がることです。波風立てることを怖がらず、高圧的な人を敵に回しても良い覚悟で、毅然と立ち向かうことです。「自分を守る」ために・・・。魂の底から立ち向かうことを覚悟し、自分の意思と決断で立ち上がった瞬間から、停滞していたエネルギーが動き始めるのです。そして、新しいエネルギーが湧き上がるのです。

つまり、自分が、この状態を「嫌だ」と不快感に感じるのなら、ちょっとした不快感も見逃さず、すぐに対処することです。

もしも、「嫌だ」と感じる状態のままでいるのなら、「その状態のままでいることを、自分の判断により自分でそう決めた」ということにしてください。

どちらを選ぶにしても、腹をくくること。腹をくくって「そうする」と決めるのです。

どんなことも、きちんと自分のカラダと心で感じて、自分のその感覚を素直に受け入れ、自分のこの感覚を心から信じて認め、自分の「嫌だ」が消えて心地よく居られるようにアクションを起こすのか?そのままでいくのか?・・・を瞬時に決めていくのです。

この時、一番ダメなのが、逃げたり、無視したり、蓋をすることです。心や体の感覚で問題の存在に気づいたら、その問題を観察して問題の本質を確認し、その問題に対してどういうアクションを起こすのか・・・を丁寧に決めていくのです。

つまり、「嫌だ」と感じた瞬間、あなたはその「嫌だ」という感覚を素直に受け入れて、必要に応じて適切に取り組むべきであり、察知して感じ取ってから行動を起こして完結するまで・・・の、その一連の行動の流れが、あなたにとって最も必要な体験である・・・という訳です。

これを、今は瞬時にサクサクと判断して、判別して、自分でどうするのか決めていかなくてはいけません。

自分で決めたことをすぐに実行して、どんどん行動に移し、自分の行動範囲を拡大し、自由に動ける自分になることが大切です。これが、すごく必要な時なのです。

「高速で軽いエネルギー」がスピーディに轟々と流れている今、昔の感覚でいちいち考え考え抜いてじっくり確認しながら生きていると、どんどん置いてけぼりにされて沈んでしまうだけです(汗)。

即決・即断するには、自分を知っていることが大前提なのですが、まだ自分のことがよく分かっていない人も多く、そういう人たち(自分のことがよく分からない人たち)は、どう即決・即断・行動していけばいいのか分からず、迷いを起こして、今後ますます混乱していくだろうと思います。

「自分を知る」・・・これから非常に大事になっていきます。

自分を知らないと、いざというとき、サクッと決められないですもんね。

自分はどうしたいのか?自分はどういう風に生きていきたいのか?

自分の好み。自分の苦手。

自分の得意。自分の嫌いなモノ。

そういうことをちゃんと知っておき、いつでも、サクサクと「自分が良いと感じるものを自由に選択できる」ようにしておいてください。

毎日毎日、瞬間瞬間でたくさんの「選択」「自己決定」を繰り返していきながら、体験を通して「自分のこと」を知ってください。

失敗しても「自分の苦手や嫌を知るきっかけになった」と、学びに変えてください。失敗という観念自体、宇宙にはありません。神仏も「この世に失敗というものはない。失敗とは人間が勝手に作った概念」だと仰っています。

私たちは自分を知るために生きています。そして「体験」は自分を知る材料であり道具です。自分で判断し決めた上で、自分に与えられた体験をしっかり味わって欲しいと思います。体験を通して「自分」という人間の輪郭を感じ取ってください。

◇◇◇

とはいえ、世間の人々は、まだまだ「自分を知らない」まま生きていて、「自己決定」もいい加減です(汗)。

自分を全く知らず、人から刷り込まれたモノが「自分」だと勘違いし、自分の感覚が麻痺していて、自分の人生に起きる全てのことを全て「人のせい」にして、不満と愚痴の塊みたいになっている人、今も割と多いです。

そうやって生きていることも、全ては自分で「そうする」と決めて、自ら率先してやっている・・・ということ。こうして人は無意識にカルマを積んでいる訳です。怖い怖い・・・。

自分の人生です。自分の選択と判断に責任を持って生きましょうね。

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東京・小石川後楽園にて。最近は旅先で庭園を巡ることが多いです。