森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

どうして相手の真実を素直に受け止めないのでしょう?

最近、いろいろな人と話をして、ふと気がついたことなのですが・・・。

人の話を聞くのが下手な人、これが結構いるのですよ。

「どこが下手なのか?」と言いますと、相手の話をそのまんま聞いて、そのまんま受け入れて、そのまんま理解することができなくて、人の話を聞きながら自分の脳内で勝手に違う話にすり替えて変換しちゃうのです。

 

例えば、私が

「〇〇(地名)は良いところだったよ~。面白かったよ~。」

と言った場合、【そのまんま聞く】というのは「Emikoさんは、〇〇へ行って面白く感じたんだなぁ・・・」と感じ取る、ただそれだけなんです。

 

ところが、話を聞くのが下手な人たちは、そのまんま話の内容を受け取ることができなくて、私の話に尾ひれ背びれを付けてしまうのです。

分かりやすく説明すると、先述の、私が「〇〇は良い所だったよ。」と話したのに対して、その人は「〇〇へ行くと良いよ~と、Emikoさんは私に勧めてくれているんだな!」と思い込むのです。

 

そこから更に、今度は「〇〇へ行ったら、私もEmikoさんと同じように面白いと感じなきゃいけないんだ!」と、私と同じ気持ちになろうと自分にハッパをかけるのです。

要は、相手と自分を同化させようとするんです。

そして、更に脳内返還が進むと、いつのまにか「Emikoさんが私に〇〇に行け!と教言われた。」という話に変化し、気がつくと「Emikoさんに行け!と命令された」になっているという訳です・・・。

なかには、客観的な意見を言っているだけなのに、勝手に感情を高ぶらせて怒り出したり泣き出したり、感情を剥き出しにする人もいます。どうしてそういう反応になるのか・・・よくわからない思考回路なのですが(汗)、どうも人の話を聞きながら、自分の中に埋まっている地雷が作動し、スイッチが入って、悪感情が剥き出しになるみたいです。これは、ずっと良い人であり続けようと我慢して生きてきた人に多い反応で、こういうタイプの人も、脳内で勝手に人の話を作り替えてしまう傾向があります。

 

こんな感じで、話をそのまま聞くことが出来ず、ズルズルと話のポイントがずれていき、全く違う話になって相手の脳内で処理されて理解されていく訳です。

 

でも、私からしたら「おいおい、私はあなたに〇〇へ行けだなんて命令しとらんわ!」「そんなこと、私は一ミリも思っていないんですけど・・・」と思うのですよ(汗)。ホント、まじ勘弁して~という気分です。

 

これっておそらく脳が暴走しちゃうんでしょうね・・・(汗)。

 

変化を嫌がる人は、思考もガチガチに固いので、臨機応変な対応ができません。

だって目の前でいろいろな変化・変更が続くと、自分の脳で事態を処理しきれなくなり、パニック状態になるからです。パニックは辛くてしんどいから、事前にパニックを避けるために、自分の脳のキャパを越えるようなことは絶対に起こさせない・・・という方向に意識が暴走してしまうのです。

 

特に、昔の価値観でガチガチになっている人や固定観念の強い人は、自分のキャパを越える内容は、最初から受け付けなられないと頑固です。固くてゴリゴリの脳ミソになっちゃっています。

だから、人の話も、自分の脳が処理しきれる範囲内のことへと勝手に作り替えることをして、自分の都合の良いように話をねじ曲げて理解していくのですよ。

こうした傾向は、

  • 事実を正確に受け取る訓練が出来ていない人
  • 真実を知ることを避けている人
  • 自分が安心できる話しか受け取ろうとしない人
  • 自分に都合の悪い話はシャットアウトするのが癖になっている人

・・・に多いと思います。嫌なことを避けてばかりいるから、平気で話を正しく理解することも出来なくなるのだと思います。

 

ちなみに、私は「察してちゃん」じゃないので、伝えたいことは正直にハッキリ言います。遠回しなことを言って相手が察してくれるのを待つ・・・なんてことはしません。そんな時間と労力の無駄はしたくないからです。

勧めるときは「オススメだよ!」とちゃんと言うし、それを言わないときは、別に勧めるために話しているのではなく、ただ自分の感想を語っているだけのことです。気にしないで聞いてくれて、共感でも反論でも自由にしてくれれば良いんですよ。

 

つまり、私が「〇〇は良かったよ~」と言えば、「そうなんだ~。〇〇へ行って楽しかったんだね。良かったね。」で終わる話なんですよね。

 

言っている私の方も、普通に自分の感想や思いをただ伝えているだけなので、それを普通に受け止めてもらい、それについて素直なリアクションをしてもらえたら、それだけで単純に嬉しい・・・それだけのことなのです。

 

ところが、客観的にそのまま聞くことが出来ない人たちは、私の話に、自分の勝手な妄想や思い込みをベタベタと添り付けて、そこから「Emikoさんはこういう人だ」と勝手に決めつけることをします。自分で勝手に決めつけて、自分で勝手に納得して、自分で勝手に私の今後のことまで「こうすべきだ」と干渉したがるのです。

万事全てがこの調子。こういう会話しかできません(汗)。

 

そうなると、こちらは全然楽しくありません。

私がいろいろ話せば話すほど、相手は勝手にどんどん私のことを「こうだ」「ああだ」と決めつけて、その決めつけを私に押しつけてきます。

私の話に勝手に脚色して、自分の感情や妄想も添付して、最初の私の話とは全く異なる世界の話に仕立て、挙げ句の果ては「こうだ」「ああだ」と私のイメージ像を勝手に作りあげ、それを私に一生懸命に語って、「私はあなたのことをこんなに理解しているんですよ~」とアピールしてきます。

 

でも、これを裏返せば「私は、こんなにもあなたのことを思ってあげているのよ。その見返りとして、私に良くしてね。」ということなんですよね。

つまり、私のことを「この人はこういう人だ」と勝手に決めつけてイメージし、「こうですよね」と念を押したり、「こうなんでしょ?」と私に誘導尋問を仕掛けたり・・・等々。

こうして、自分が期待して思い描いた「私」になるよう、私を無理やり引っ張り込もうとするのです。

 

そうなると、私は自由に自分らしくいられないから、すごく窮屈で面白くありません。話していても、相手は私の本当の姿を知ろうともしないし、私に興味なんてないことがよく分かり、嫌な気分になります。

相手が求めているのは、私の素顔じゃなくて、自分の思い通りに支配できる「私」なんです。「私」をコントロールしたいだけなのです。

 

私は本当に不思議です。

どうしてこういうタイプの人たちは、相手の正直な反応をそのまま素直に受け取ろうとしないのでしょう?

どうして私が言う前に「あなたはこうなんでしょう?」と決めつけたことを言ってくるのでしょう?

・・・相手がどんな人か知ろうとしないで、勝手に自分の思い描いた理想像を押しつけるだけの会話をしていて、それでニコニコとニコニコと笑顔を浮かべて満足そうにしているので、本当に不思議なのですよ(笑)。

 

世の中にはいろいろな人が居ますが、こうした部分でも、人間の心の質の2極分化が進んでいるのかもしれません。

相手の真実を知ろうとする・・・。その真摯な姿勢を忘れないで下さい。誠実さを持って、相手の本当の姿や気持ちを受け止めることです。

たとえ自分には理解できなくても、あるいは、今の自分には納得できなくても、相手の素顔がそれであるならば、「ああ、この人はそういうふうなんだなぁ・・・」と素直にそのままを受け入れることです。

相手のことを勝手に決めつけないで下さいね。相手が話したことをそのまま受け止める訓練をしてください。

あなたが分からないだけで、他の人は分かっているかもしれないのです。

あなたの理解を超えているからといって、相手をこうだと決めつけること、それは「支配」です。傲慢さです。相手の個性を潰すようなことはしないでください。

のびのびと自由にさせてあげてください。これは自分自身に対しても・・・です。

 

ありのまま素直に認めて受け止める・・・そういう人になってくださいね。

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雪が降らない不思議な冬です。