森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

「正解」を求める生き方から、自分を解き放ちましょう。

今までいろいろな人とお会いし、お話をしてきて、つくづく感じることは、

みんな、自分の人生の「正解」を知りたいのだなぁ

・・・ということです。

本当は「正解」なんて、この世に一つも無いのですけどね。でも、みんな「正解」の通りに生きないとダメだと思い込んでいます。特に「お利口さん」と言われた子供時代を過ごした人ほど、そう刷り込まれているようです。

 

本来は、自分が選択したことが、そのまんま「自分の人生」なのだから、何を選択しても良いんだし、何をしても良いのです。

でも、多くの人は「これで良いのか?」「間違っていないか?」「これで正しいのか?」と、自分が今していることは【これでOKなのか?】を知りたがるのです。

 

私に対しても・・・。実は私がサイキックだということを知っている人たちが、さりげなく私に聞いてくることがよくあるのですよ(汗)。

 

最初は、私も彼らの質問に対して、(それらに答えていくことが楽しかったので)ホイホイと答えていたけど、最近はすごく面倒臭くなってきました。

 

以前の私は、質問に答えるとき、相手をリーディングしたり、チャネルをして答えていたので、私自身もいろいろ勉強になって、答えること自体がすごく楽しかったのです。

(自分の口から答えながら、「へー!そうなんだ!」と新しい視点に気づいたり、宇宙の真理や哲学を学ぶことができて、私にとっても有意義な時間でした。)

 

でも、質問に対して、私は受け取った情報をそのまま真摯にお伝えしていても、聞き手の相手の心が、それを受け取る準備が出来ていないことも多く、その場合、相手は違う受け止め方をしちゃうんですよね。

 

ちゃんとクリアに受け取ってくれる人は、10%にも満たないかも・・・。

 

ほとんどの人は、私の話を脳内で勝手に作り替えて、自分のエゴや期待に合わせた形にすり替えて受け止めてしまうんですよね(汗)。

結局は、個々の「生きる姿勢」が、話の受け取り方にも出てくるんだなぁ・・・と、そう実感しました。

 

 

どんなに私が一生懸命にエネルギーを込めて伝えようとしても、相手に「受け取る土壌」が出来ていないと、ちゃんと正確に正しく伝わっていかない・・・ということです。

 

◇◇◇

 

自分の生き方に自信がない人は、「これで良いのか?」「これで正解なのか?」の確認したがります。

 

自分の人生なのに、自分の生き方や人生の選択に自信が持てなくて、いつも「これでいいの?」「本当にいいの?」と他人に聞いて確認し、OKをもらわないと安心して取り組めない・・・。そういう人が多すぎるのです。

 

いちいち誰かの許可を得ないと何も決められない・・・。まず他人から賛同を得ないと自分から動けない・・・。休み時間なのに「トイレに行っても良いですか?」といちいち先生に聞きに行く子供みたいなものです。

 

それを大人になった今もやっているのです。

 

そういう人たちは、誰かの許可を得ないと不安で集中できないから、だから「これで大丈夫ですか?」「私はこれが出来ますか?」「私は間違っていませんか?」「正しいですか?」と、答えてくれる人のところに行って「正解」を聞き出そうとします。正解を聞くことで、それを自信に繋げたいのでしょう。自分の不安を解消し、安心したいのだと思います。

 

でもね、私は思うのですよ。

 

自分が今していることについて、それを「楽しい」「面白い」と感じて夢中になっているのなら、わざわざ人に「これで良いですか?正解ですか?」と聞いて確認する必要なんて無いんじゃないの?・・・と。

そして、自分が今していることに対して「喜び」や「充実感」を心から味わっているのなら、いちいち人に「これで間違っていませんか?正しいです?」と確認する必要も無いんじゃないかな・・・と。

 

やってみて楽しければ、それで良いんだし、飽きたら違うことに取り組めば良い。それだけのことなんです。

つまり、どうするかなんて、自分で決めれば良いだけの話。

 

それにわざわざサイキックのお墨付きをもらうなんて、本当は必要はないことですよ。

 

こういう人たちへ。

今までの人生、あまりに人の意見に触れ回され、人に従いすぎてきたのではありませんか?

 

「誰かの許可がないと何も出来ない。自分から何かをしてはいけない。」という生き方をしてきたのではないでしょうか?

 

自分のアイディアで「こうしたい」「あれが良かった」と思いついたことにチャレンジしたり、どうするかを自分で決めて、それを行動に移していく。当たり前のことなのに、それができないまま子供時代を過ごし、大人になって、今に至ったのかもしれません。

 

◇◇◇

 

今までの私は、相手の質問に対して、一生懸命に「こうすると良いよ」とか「こっちを選んで良いんじゃないの」と、相手の「これは正解ですか?」の質問に、真面目にバカ正直に答えすぎてきたんだと思うのです。

 

その頃の私は、私の意識もまだ低かったから、そういう質問のレベルに見合った世界としか繋がれなかったし、それで答えて相手に満足してもらえることが「生きる喜び」だと勘違いしていたんですよね(汗)。

 

でも、もうそういうこと止めよう・・・と思いました。

 

正解かどうかを判断してあげることによって、相手の人生に介入する…なんてことは、私はもうしないし、したくないのです。

 

 

その代わり、皆それぞれが「自分の意思で選択し、自分の判断で決断して、自分から行動していくこと」を応援し、そっと背中を押してあげる・・・そういう存在になろうと思います。

 

その人にとってそれが「正解」かどうかを見定めてあげるとか、今やっていることに「合格」の太鼓判を押してあげるとか、そういうことではなく、今やろうとしていることに対して、前向きにポジティブに取り組んでいくための励ましになることを語っていこう・・・と思います

 

もう、これからの時代、サイキックに、これでいいか?どうですが?と、ネチネチ「正解」「不正解」を確認してもらうなんて、昔臭い古いパターンですよ(笑)。

 

 

もう何をしても良いんです。

これからは自由なのです。

 

それなのに、今も「正解」を聞こうとするのは、「正解」だと教えてくれる人から干渉されたり支配されることを許すことになります。

もう、そんな共依存のゲームから抜け出しましょう。

正解を求める生き方から脱して卒業して、自由になって下さい。

また、「正解」をちらつかせる人たちから、逃げて下さい。

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雪が降らないまま1月が終わるのかな。