随分昔に、外国人が「日本人は何を考えているのかサッパリ分からない。」と話しているのを、テレビ番組で見たことがあります。
建前と本音を使い分けるから、本当の気持ちが何なのか?よくわからないんだ…と。
その頃は、私も本音と建前を使い分けて生きていた頃だったので、「そうなんだ~」とな他人事みたいに感じていたけど(汗)。
最近の私、実は今、同じ気分でいます。
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ここ最近の私も、上記の昔の外国人みたいに、今の日本の大人達を見ていて、
この人は表向きは真面目で模範的だけど、本心もそうなんだろうか?
本当ははどういうキャラの人なんだろう?
表向きはそう言ってるけど、本心は違うんじゃないかな。
本当はどういう気持ちなのだろう?
…と、不思議に感じることが増えてきました。
というのも、ご本人はとてもいい人で申し分無いのですが、その人といろいろ話をしていても、その人の「人なり」も「本心」もサッパリ見えてこないからです。
相手は模範的で道徳的な人だし、優しくて面倒見がいいし、人当たりも穏やかで優しくて、全く問題なく「すごくいい人」なのですが、肝心の「その人の核心」が全く浮き出てこないのです。話すことも話題の着目点も、何もかもか全て、その人の心から出てきたものではなく、「社会の常識」なのですよ。
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本当の自分が伝わってこない人達を観察していると、みなさん、以下のような思考に囚われているのを感じます。
- 女はこうあるべき。
- 男はこうすべき。
- 嫁はこうあるべき。
- 家長はこうすべき。
- 長男はこうあるべき。
- 年の若いものはこうすべき。云々。
…こんな感じで、何でもかんでも「べき」を基準にして物事を受け止め、「べき」の感覚で目の前のことを推し測り、「べき」の価値観で自分の生活や人生を全て判断している…という感じなのです。
それを「自分の気持ち」だと思い込み、それを「自分の考え」だと話すのです。書き写しのコピー文みたいな内容なのに。
だから、こういう人とは、何を話してても全然話の内容が広がらず、窮屈で息苦しくなります。
しかも、その人の話を聞けば聞くほど、なんだか「あなたはどうなの?何をしているの?」と常識論で追い立てられ追及されているような、責められているような、なんとも変な気分になります。
それに、相手は一見、さらっと明るそうにしていても、「私はこんなに頑張っているけど、これ普通でしょ?」みたいな空気も漂わせていて、無言の圧力も感じます(汗)。
やってもやっても報われない、満足できない、満足してもらえない…のループ。
こんな感じの会話なのですが、相手は「角をたてず無難に上手に話ができた」と満足な様子。
でも、お互いの本当の気持ちを正直にやり取りすることを楽しみにしている人にとっては、「この人、本当は何を思っているの?どう感じているの?」と疑問しか沸いてきません。
そのうちに、本心を明かさない相手のことが信頼できなくなるのです。
それくらい、隔たりがある…ということです。
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特に、最近感じたことを、たとえで説明すると…。
相手は60代後半かそれより年上の年配の女性…としておきます。
孫がいる年齢になっても、彼女は夫の親と同居して暮らしていて、いまだに嫁の立場なのです。
若い頃から模範的なお嫁さんで、超高齢の舅姑の身のまわりの世話や介護を一手に引き受けていて、家族の面倒や家事全ても全部自分の仕事にしています。
また、ある年配の女性は、パートナーの身のまわりの世話を甲斐甲斐しくやっていて、こちらは「えっ!相手は大人なのに、そんな子供みたいなことまで細々と世話を焼くの?そこまで面倒見てあげるの?」と驚くこともあります。
そんなにやり過ぎたら、相手は惚けちゃってフヌケになるんじゃないか…と思うほどの過保護ぶりなのです。
そこで、よくよく話を聞くと、自分がしたくてやっている訳ではなく、「女だから」「嫁だから」「妻だから」なんです。女の仕事だと思い込んでいて、それを一生懸命真面目にやっているようなのです。
本当は他の家族と分かち合うべきことでも、あるいは、自分以外の他の家族に責任をもって預けなくてはいけないことでも、全部「嫁の私がすべきこと、母親の私の役目」と決めつけて思い込んでいて、奪い取って自分の仕事にして、それを一生懸命にこなしているのです。
そして、自分の心の安らぎや楽しみは一切なく、全てを家族に捧げ尽くす…という生活をずっとしているようなのですよ。
もう、こういうもんなんだ…と、そういう価値観が染み付いているみたいです。
だから、今の犠牲生活を「世間一般では当たり前のこと」「これが常識」と頭から信じきっていて、かといって、それを誇りに思っているわけでもなく、やらないと世間からダメ認定されるのが怖い、やらなきゃいけないんだ…と。今の犠牲生活を見つめ直すことも、確認することも、疑うこともなく、ただこなしている…そんな感じなのです。
これは男性も同じくで、上記のような女性の生き方が普通だと信じている年配男性も結構いて、そういう男女が夫婦だったりします。
もしかしたら、男性の母親も祖母もそういう生き方をしているから、女はこういうものだと思っているかもしれません。
女性の犠牲生活を「犠牲」と感じていないかもしれません。
要は、みんな「男はこうあるべき」「女はこういうもの」という固定観念でガチガチに凝り固まっている…ということなのでしょう。
それ以外の生き方なんてあるわけがない、違う生き方を許したら世界が崩壊する!と信じている…。そんな感じなのだと思います。
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昔の価値観を刷り込まれて、その刷り込み通りに生きていくのを良しとしてきたのが、年配の世代…です。
子供の頃から「こうするべき」の生き方を叩き込まれて実践してきたので、刷り込みが強烈すぎて、自分の本当の気持ちや感性が分からなくなっちゃっています。
自分を見失っている状態で、刷り込まれた固定観念の通りに生きてきた…というわけです。
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だから、そういうおじさんおばさん達と話していると、「この人は本当はどういう性格なんだろう?」と思うことがあります。
その「いい人」の仮面を剥がすと、どんな素顔が出てくるのかなぁ…と。
おじさん達もそうです。
「男らしさ」の変な固定観念を刷り込まれて、訳もわからずプカプカとタバコを吸ったり、大酒を飲んだり、ギャンブルや風俗に走ったり。男だけで群れて、そのなかでマウントをとり、男の特権だと豪語して、パワハラやセクハラしたり…云々。
あるいは、空気みたいに何も言わない。何も感じない。感性も思考も止まってしまって、固くなっている。表情もなく、自分の意見もなく、強いものに黙って従うだけのおじさん…もいます。
そんなおじさん達を見ていると、この人の魂は、本当はこんなこと、したくないんじゃないかな?本当は違う生き方、今とは異なるやり方をしたかったんじゃないかな?…と思うのです。
男はこうしなくてはいけないと無理やり躾られてそうなっちゃっただけで、本当はもっと純真無垢で、夢があって、いろんな可能性を秘めていたんじゃないかな…と。
でも、親や祖父母から「こうあるべき」「こうするべき」をいっぱい刷り込まれて、そうなっちゃったのかもしれないなぁ…と、そんなことを感じるのですよ。
そして、そんな男性中心の男社会を成り立たせるために、「女はこうすべき」とか「女はこれをしちゃいけやい」とか、女も生まれたときからいろんなことを刷り込まれて、都合よく使える存在になるように、女もそう躾られてきたのだなぁ…と。
こういう女性達も、「女はこうするべき」を外してフラットに生きれたら、犠牲生活にははまらず、もっと自由に自分のしたいことにチャレンジして、自分らしく生き生きと輝いていたのではないかな…と思います。
また、たとえ結婚したとしても、夫婦が両方とも「自分らしく」を大切にし、またお互いに相手の「自分らしさ」を尊重していたら、犠牲も支配もなく、生き生きと楽しく有意義な結婚生活になっていたと思います。
自分の気持ちの持ち方次第で、より良く変われたのではないかな…と、そう思うのです。
長く生きていて、いつの間にか自分自身を見失ってしまった人達には、今からでも遅くないから、本当の自分を取り戻してほしい、本当の自分の人生を思い出してほしい…と切に思います。
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…とまぁそんなことを、年配世代の人達と話していて、最近すごく強烈に感じるのですよ。
もっと自分のしたいことをして、自由に自分らしく生きたかったんだろうなぁ…と。
でも、時代がそうさせてくれなかったんです。
常識を刷り込まれるほど、どんどん自分の気持ちが自分でもよく分からなくなっていて、自分の本当の意思まで見失っている…。
社会が大きく変化していくことに不安を感じつつ、今日も健気に「いい人」で生きているのだなぁ…と。
それが正しいと刷り込まれているから。
でも、もう「いい人」なんて止めて良いんですよ。
社会の常識通りにしようと自分を押さえ込んで、無理して模範的に生きなくても、もう充分に「とてもいい人」なんですから。 もっと自分を信じてほしいのです。
存在しているだけで充分に「愛」です。
だから、もっと自分の本当の気持ちを表に出して欲しいなぁと思います。
人に合わせなくても良いから、。
人に合わせるんじゃなく、素直な自分を正直に出してくださいね。
あなたの正直さをもって、堂々と人とコミュニケーションしてください。
自分を「常識」の奥に隠さないで下さいね。
常識に縛られない、あなたの本当の姿を見たいのです。あなたの本心を知りたいのです。
みんな、あなたの魂に触れたいのです。
あなたの心の声を聞きたいのです。
だから、怖がらず勇気を出して、自分の本当の気持ちを表してくださいね。
寒そうな空