先日までは遠い世界の出来事のように感じられていた「新型ウイルス」が、とうとう身近な問題として迫ってきました。
今までは、外国人が持ち込む形だったのが、いよいよ日本在住の日本人が持ち込むスタイルに移行してきたようです。
まぁ、いつかはこうなるだろうなぁ・・・と思っていたけど、とうとう来たかー!という感じです。
今後は、万が一の時のことをイメージしながら、どんな時でも的確な判断ができるよう、また、いかなる状況でも適切な対処ができるよう、今のうちに「心の準備」をしておかないといけないな・・・と感じます。
あと、左脳で理論的に考えすぎず、右脳で直感的に判断して行動することも大事です。
何かあってから焦ってバタバタと慌てるんじゃなくて、事前に「そうなる可能性」を見越して、ちゃんと心づもりをしておく・・・。これからは特に肝に命じる必要があります。
それに、今回の件は、心がけが悪いとか、運が悪いとか、罰が当たったとか、そういうことは全く関係なく、罹る人は罹ります。
「病気」という縁に触れる必要がある人(=今世で「病気」に罹る体験が必要な人)は、みんな罹るんですよ。
マスクしてても、手を洗っていても、罹る人は罹るし、罹らない人は罹らない・・・。これは、新型ウイルスだけでなく、全ての病気に当てはまることです。
だから、罹ってしまった人を差別するのは間違っているし、病気になった人を忌み嫌うのも間違っているし、罹った人やその家族を責めるのも全くの筋違いだし(汗)、本当に気をつけていてもなるものはなります。
だから、ここは感情的な反応をしてパニクり大騒ぎするのではなく、自分たちにできることを自分が出来る範囲内で淡々と実践していく・・・。それしかないと思います。
感染予防に手洗いとマスクが大事だと思うなら、それをキチンとやっていくことだし、自己免疫力を下げないように栄養と睡眠をしっかり確保する・・・等、個人レベルで出来ることをやっていく・・・それだけのことです。
これ以上のことは、私たちには何ともならないのだから、分かっている範囲で対処できることはしっかりやっておく、そして、万が一の場合の対処法も今のうちに調べて控えておく、必要なことは、元気なうちにしっかり抑えておくことです。
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更に、今回の件で気づいたことですが…。
昔ながらの古い価値観を手放しましょう。
罹った人に罪はありません。好きで罹ったわけではないのです。
でも、昔ながらの差別心が剥き出しになっている人もいるようです。
また、対応するトップの機関が、古い価値観で縛られている組織なのか、今回の事態に適切に対応できていない…という問題も露見してきました。
これらのバタバタを見ていると、前の震災の時、いやいや太平洋戦争や日露戦争の頃と同じメンタル構造?と驚くことばかりです。日本って先進国だと思っていたけど、日本国民全体のメンタルは、100年前200年前の頃と全く変わっていないし成長していないんじゃないの?とびっくりです。
年齢や立場に関係なく「大事なこと」「必要なこと」は風通しよく取り入れて実行していく軽さが必要です。
いつまでも組織のなかの立場や上下関係に縛られているようでは、古臭くてカッコ悪いのですよ(汗)。
また、自分の安心のために感情的に相手を叩いて責めたてる、気に入らない相手を汚く罵り、それで自分の憂さ晴らしもして気持ちを安定させる…というやり方も、もう古臭いしダサいのです。
日本国内ならまだ通用するかもしれませんが、世界的視野にたったら、恥ずかしくてみっともないことです。
もっと現実的に受け止め、建設的な対応をするときだと思います。
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おそらく今回の件でパニックになっている人たちは、「病気が怖い」というよりも、病気によってもたらされる厄難・災難に恐怖を感じているのかもしれません。
先が見えないし、どうなるか予測が付かないから、余計に怖さを感じるのでしょう。
多分、一番は「死にたくない」という恐怖。2番目以降は「肉体の苦しみや痛みを味わいたくない」「経済的に困窮したくない」「差別されたくない」という恐怖。そういう恐怖を過敏に感じて、冷静な受け止め方ができず、すごく感情的な反応をしてしまうのかもしれません。
でも、私が思うに、この病気に限らず、何かの縁で「人間はいつかは死ぬ」んですよね(汗)。
みんな忘れているけど、人は生まれた以上、いつかは死ぬのですよ。
そう「自分もいつかは死ぬんだ」ということをハッキリ自覚してみることも大事だと思うのです。
もしかしたら、今ポックリ逝っちゃうかもしれないし、明日突然死んじゃうかもしれない・・・。死ぬことに「年齢」も「性別」も「お財産の有無」も「健康」も全く関係ありません。
元気な人が、夜、自分の布団で寝ていて、朝目覚めたらポックリ逝ってた・・・ということも、よくある話なのですよ。それまで上機嫌でいた人が、お風呂でポックリ逝ってた・・・という人も私は知っています。そういう場合は、まだ若くても年齢に関係なく「大往生」だと私は思っています。(自然にスーと死んでいくのは、私の理想でもあります。)
人が亡くなるということは、残された人にはとてもショックで悲しい事だけど、魂的には、みんな幾度も「死」を体験しているはずです。
たくさんの過去世を体験している魂ならば、当然「死ぬ」という体験もたんさん得ています。だって、過去世で死んだから、次また今世で生まれ変わって来たわけです。
ですので、今の人生では「死」は未知のことで怖く感じるかもしれませんが、過去にたくさんの転生を繰り返している魂の人は、死に対して怖いという感情が潜在的にあまりなくて、「いつかは死ぬよね」とドライに受け止めている人が多いです。
生きることに変な執着がない代わりに、今この瞬間をとても大切にしています。いつ死んでも良いという覚悟で、いつ往生しても後悔がないように、今を精一杯自分らしく生きて行くことに集中しているのです。
「いつ死んでも惜しくない」という気持ちで生きていると、死をもたらすかもしれない出来事に遭遇しても、「怖くて萎縮する」ということがあまりありません。
もちろん、変なところでうっかり命を落とさないよう、注意して気をつけたり、用心はするけど、変に怯えてビクビクすることはなく、いつも潔く堂々としていられるのです。
昔、武士の家に生まれた男児は、三歳にもなると「潔い死に方」をその家系の帝王学として、キッチリ躾けられ教えられたそうです。つまり「自分の命の使い方」を教えられるのです。
そうやって教えられた子は、「自分の命を何に使うべきなのか?」「どういう生き方をすべきなのか?」・・・を子供の頃からしっかり考え、自分なりの人生哲学をもち、それを潔く貫きながら、自分の人生を悔いなく生きるたのです。
だから、昔の日本人には、現代を生きる私たちも「心の手本」にしたいと思う素晴しい傑出した人がたくさんいらっしゃったのですよ。
要は、「腹をくくる」「覚悟を決める」のレベルが、今を生きる私たちよりもウンと高かったということです。
そういう意味では、今は「死」というものが日常生活から遠ざかり、ほとんど目にすることなく過ぎていくから、リアリティをもって感じることができない環境です。
だから余計に、「死」を感じさせるもの、「死」が可視化されるものには、強烈な恐怖を感じて感情的に反応に走ってしまうのかもしれません。
今回の新型ウイルスの件では、いろんな情報が飛び交っているので、余計に混乱しやすいと思いますが、できることを着々と取り組むこと、そして「死」を恐れすぎない・腹をくくる。それが大切だと思います。
「死」について考えることは、決して悪いことではありません。
死について考えることで、逆に「今の自分の生き方」を見つめ直し、良い意味で前向きになれることもあるからです。
生きることと死ぬこと。これは車輪の両輪です。片方を蔑ろにしたらバランスが悪くなります。
今回の件を通して、あなた自身の「死」について「人生」についてしっかり見つめ直してみてください。
もしも、万が一、あなたの周りに「死」について語るをことを忌み嫌い「縁起が悪い!」と怒る人がいたとしても、その人はまだ、自分の人生と向き合う心の準備ができていないのですよ。その人のペースを尊重し、そっとしておきましょう。
それはそのままそっとしてあげて(放置も愛の形です)、あなた自身の人生観を見つめ直してください。
まずは自分。自分から…なのです。