森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

変化を与え、変化を受け入れる

【スポンサーリンク】

人は、日々変化していく生き物です。

人間の「肉体」は、細胞レベルで常に変化し続けているし、「心」も常にコロコロと変化し続けています。

一見、何も動いていないように見えても、細かく見ていけば、私たちは生きている間は絶え間なく変化し続けているのです。

変わらず、いつまでも同じ・・・ということは絶対にありえないのです。

 

◇◇◇

 

しかし、いまだに多くの人々は、「変わらないことが正しい」「ずっと同じであり続けたい」と思っています。

これほど波瀾万丈で激動の世界に私たちは身を置いている・・・というのに、いまだに、この状況がありのまま受け入れられず、昔のまま元の鞘に収まることを強く求めている人がたくさんいます。

もう変化していくしかないのです。

変わらない・・・ということは、もうありえないのです。

 

しかし、人に対しても、物事に対しても、世の中の動きについても、昔と同じままであり続けることを「良し」とし、自由に変化していくことを「悪」と見なして絶対に認めようとしない人たち(強情で頑固な人達)がいて、今そういう人たちが、この社会の不安定さに精神が耐えきれず、激しく感情が揺さぶられ、至るところでパニックを起こしています。

彼らが吐き出すネガティブな感情エネルギーによって、社会がますます混乱しているのです。

 

病気に罹ることが必要な人は、人生のシナリオ通りに病気に罹るんだし、今が死ぬタイミングの人は、そのタイミングに死ぬのです。どんなに嫌だと拒否しても、必要なことは受け取らなくてはいけない・・・それが宇宙の真理です。

ならば、拒絶したりコントロールしようとせず、流れに身を任せて生きていくことが大切です。パニックを起こしてダダをこねても、世界は元には戻らないのです。

ならば腹をくくって変化を受け入れる自分にならなくてはいけません。

自分が思いつく「必要なこと」をキチンとやりながら、自分なりに努力をしていき、後は天に任せる・・・。

「人事を尽くして天命を待つ」という生き方が、これからはとても大事です。

 

◇◇◇

 

それと同じことが、身近な人間関係でも言えると思います。

 

自分には自分のペースがあるように、相手には相手のペースがあります。

それは、心や気持ちのペースだけでなく、身体のペース(体調や身体的特徴)もあります。

だから、全員が同じペースで、同じ方向を向いて、同じ人生パターンを生きなくてはいけない・・・というのは、自然のルールから反していることです。

更に、時代によって社会の状況は変わるように、時代の様子に合わせて人々の心情や暮らしも状況も大きく変化していきます。

昭和世代が江戸時代の価値観で生きていくことが困難なように、令和時代は昭和の価値観ではとても生きていけません。世の中の仕組みやシステムも、人々の意識も、時代と共に変化していくことは当たり前のことなのです。

 

しかし、古い価値観に縛られている人々は、時間の感覚も昔のまま止まっているようで、いつまでも「昔のまま」であり続けることを求めます。慣れ親しんだ「昔のやり方」「昔のスタイル」を手放したくないのです。そして、「変わらないこと」で自分の気持ちを安定・安心させようとします。

 

結果、変わろうとする人々の足を引っ張り、相手の変化を阻止して、相手のペースで生きることも、相手が自由に行動することも邪魔しようとするのです。全ては自分の「変わりたくない」を実現するために、いろいろな屁理屈や感情論を持ち出して、自分たちの言い分が正しいと押し通そうとするのです。

 

◇◇◇

 

しかし、今は全てが変わらなくてはいけない時です。

相手も自分も変わることが求められているのに、まだ「変化」を悪と見なす価値観が抜けきれず、変化しようとする人々の自由を奪い、変化しない状態を維持しようとします。

しかし、他人の変化を阻止することは、相手の人生を破壊することでもあります。

相手はここで「変化する」ことが人生の目的かもしれないのです。ところが、それを自分のエゴで邪魔をしたら、相手の魂の目的を邪魔することになります。

それはとても恐ろしいことで、たとえ親子であってもしてはいけないことですが、今も昔の古い価値観に縛られている人々は、それを平気でやらかして、他人の人生に干渉して、相手が変化していくことを邪魔するのです。

そうして、自分の心の中にある「不安」を消し去り、「安心」で満たそうとするのです。

 

親子の確執や身近な相手との人間関係のトラブルは、多くがこれです。

相手の変化を認めない・相手が変化することを許さない・相手が自分のペースで生きていくことを阻止する・・・つまり、相手を支配しようとするわけです。

昔の古い価値観に縛られている人たちは、人間関係は固定されたものであり、固定された人間関係の中で「支配と隷属」の繋がりを続けていくことが、『絆』であり『信頼』であり『愛』だと信じ込まされてきました。

だから、みんな「それが正しい」と勘違いしています。そういう風にずっと躾けられ思い込まされてきたから、それが当たり前だと信じているのです。

だから、親しい間柄や親子関係でも、「相手の自由を認めない」「相手の変化を許さない」という感覚で突っ走ってしまうのだと思います。

 

◇◇◇

 

どんなに近い相手でも、血のつながりのある肉親でも、相手の心は自由であり、また自分の心も自由である。・・・ということに、早く気づかなくてはいけません。

 

どんな人生を生きるのか?

どんな人と友達になるのか?

どんな人とパートナーシップを築き、どんな家庭を築いていくのか?

どんな仕事に就くのか?

どんな趣味を持つのか?

どんな返答・反応をするのか?

 

・・・等々。これらは本来は、全て自由なのです。その人が自分で「どうしたいか?」で自由に決めていけばいいことです。

 

でも、一昔前は、何をするにも誰かの許可が必要で、また、誰かに認めてもらえないと一歩も前に進めない・・・そういう時代でした。

そんな時代のなかを生きてきた人たちは、今も、そういう不自由な感覚を「当たり前」「常識」だと信じていて、それを他の人にも押しつけようとします。

一番タチが悪いのが、勉強しない大人・成長しない大人からの押しつけです。

「年長者の言うことは正しい」「目上の人は敬われる存在である」という、それこそ昔の価値観に基づいた固定観念の上に胡座をかいて、自分が正しいのだ!自分は全能なのだ!と信じて疑いません。

だから、人の話に謙虚に耳を傾けることも、自分の未熟さを素直に受け入れることも、新しいことを学んで習得していくことも、一切やらないのです。

自分をアップデートすることを放棄していながら、前の時代の古い価値観を振りかざして自分より立場の弱い人たちに押しつけ、言うことを聞かせ、相手を支配しようとします。

それで自己満足するのです。

 

支配できる人が多いことが「安心」であり「成功」だと信じられてきた時代の古い感覚が捨てられないのです。

 

でも、もうそれは止めるときですよ。

これは、宇宙規模の「変化の波」に逆らうことです。もう、人間の小さなエゴで抑えられるものではありません。

素直に敗けを認めて、自分を変えていく方へ舵を切るべきです。

 

 

また逆に、いつも口うるさく干渉されてきた人たちは、今度は屈服しないで、自分の口でハッキリと「嫌だ」「止めてくれ」と相手に自分の気持ちを伝える時です。

「相手に口答えしてはいけない」「黙って聞かなくてはいけない」というのも、実は、昔の古臭い価値観を刷り込まれているから・・・なんですよ。

 

相手が誰であれ、自分の気持ちを土足で踏み荒らされているのなら、キッパリ「嫌だ」とノーを突きつけるべきなのです。

自分のために立ち上がり、自分を守らなくてはいけません。

 

それをしないでズルズルと相手の言いなりになるから、相手はいつまでもあなたを支配し続けようとするのですよ。

「黙っている=受容している」ということなのです。相手の支配にエネルギーを注ぎ込んでいるのと同じ行為です。黙っていてはダメなのですよ。

 

相手にちゃんと自分の意見を真っ向から言うことで、「自分の態度はすごく支配的だったんだ」とか「自分が言うことは、相手に干渉することだったんだ」と相手に気づかせるきっかけになります。

 

その場では反発されても、適切な場面で自分の意見や気持ちを相手にハッキリ言う…という経験が、今のあなたには必要だということなのです。

 

そうやってキチンと正直に言うことで、相手も、自分のダメな部分やコミュニケーションの未熟さがあることに気づけます。気づくきっかけ(種蒔き)になります。

つまり、そういうことを誰かにズバリ指摘される…という体験が、相手にも必要だ…ということです。

 

だから、これはお互いにとても大切なことなのです。

 

我慢してもいけないし、やりっ放しでもいけない。どちらもバランスが悪い…ということです。

 

そういう関係に変化を与えること、それが今はすごく必要なのです。

 

◇◇◇

 

今は、誰もが柔軟に変化していくことが必要な時です。

柔軟な対応のなかには「変化していく」ことも含まれます。

 

変化していく過程の中で、自分に足りないものに気づき、変化していきながらそれを身につけていきましょう。

こうして皆で変化を受け入れ、一歩一歩成長していく時なのです。

 

f:id:mama-papa-131106:20200310160503j:plain

満月のような丸いあんぱん。ちょっと一息。