実は、先週末から「風邪の引き始め」みたいな症状が出ていて、これ以上悪くならないように気をつけていましたが、なかなか良くならず、今もやっぱり調子が悪いです。
熱はなくて平熱なんだけど、風邪の症状が順番に出ていて、今は鼻づまり&食欲不振&頭が痛いです(泣)。
2月後半から今日まで、県外はもちろん、他の地域には一切出かけていなくて、ずっと地元にいるので、間違いなくこれは「風邪」だと思います。
しかし、こんなご時世だし(汗)、たとえ「ただの風邪」でも、周りの人に迷惑をかけてはいけない・・・と思い、昨日と今日、大事な予定が入っていましたが、どちらもキャンセルしました。
以前の私なら、迷惑の基準が「体調不調で休むこと」が相手への大迷惑なのだ・・・と思っていましたが、コロナのお陰で、今は「体調不調なのに、それを隠して無理して出かけること」の方が大迷惑だ!・・・という認識に大きく変わりました。
これは、すごい進歩だと自分では思っています。
だって、日本人って「体調不調で休む」ことはダメなこと・・・という価値観が、骨の髄まで刷り込まれているではありませんか(汗)。
かくいう私もそうでした(汗)。
おそらく日本で生まれ育った人たち、特に昭和世代の人たちは、子供の頃からずっと「体調不調=自己管理が出来ていない」ということを言われていて、病気で学校を長く休むことになると、身体のことより「休み慣れして怠け癖がつくんじゃないか」と変な心配をされたり、大事な場面で体調を崩して大人に叱られたり、成人して社会人になったら、ますます休むことができず、自分の都合で休むと「自分勝手だ」と職場で責められたり・・・。そんな経験が、皆さんにもあるだろうなぁ・・・と思います。
今の日本の学校は、どちらかと言えば「集団主義」だから、全員揃うことが「正しいあり方」であり、元気に出席することか「善」であり、休まず皆勤で出席する子がえらく褒められます。
とにかく出続けること、出てその場にいること、・・・そこに価値があり、とにかく長く続けば続けるほど「賞賛」の対象・・・なんですよね。中身がどうであれ、頑張って無理をしても続けていくことが大事・・・という価値観。
クラブでも、部活でも、学級活動でも、一度入ったら(始めたら)止めたり抜けたりせず、ずっと同じメンバーで居続けて、皆で同じ体験をして思い出を共有し合うことが「喜び」であり「成長」。
だから、途中から誰かが抜けたり、休む者が出たり、違う人が入ったりして、皆で作り上げた場の雰囲気を壊したり混ぜたりすることになります。そうなると、みんなで培った体験や共感が薄まってしまうので、それがすごく嫌に感じるのです。
皆で心を1つに合わせて団結する・・・という力が弱まることを避けるために、一人たりとも欠けてはいけない、皆が揃わないと価値がない、ちゃんと全員が集合して皆で同じ時間を過ごすようにしないいけない・・・。
そうやって集団の意識を育てていくんですよ。集団への帰属心と団結力を高めることが「教育」だという認識なんです。
日本の教育は、個人を育てるのではなく、「集団で育っていく」「集団を育てていく」を重視しています。集団を育てることで、個人も育っていくだろう・・・という観念なんですよね。
まずは集団ありき・・・なので、集団の秩序を乱すことができません。乱せば非国民扱いですよ。そのため、みんな、自分の都合で休めないし、自分の思いで勝手にキャンセルが出来ないのです・・・(汗)。
子供の頃から、「止める」「キャンセルする」「断る」「違う方へ方向転換する」という体験は積ませてもらえないから、ますます出来ないままです。
しかも、休むことやキャンセルすることは、その場所にいるリーダーや他メンバーに対して「相手の顔に泥を塗る、とっても失礼なこと」という価値観が染みついているのですよ。
そのため、「止める」「断る」「休む」というと、すごくネガティブに受け止められて、感情的な反応をしてくる人も多いです。
それは、相手が「断る」ということ=自分を拒否・否定している、嫌っている・・・という歪んだ受け止め方をしてしまうからです。
こちら側は全然そんな意図はないのに、相手は、こっちの反応に対して勝手に「ネガティブな感情」を絡めてくるから、たまったもんじゃありません。
自分の都合を言っているだけなのに、変に深読みされ、誤解され、あることないこと悪く受け取られてしまうのです。
だから、止めるとき・キャンセルするときは、相手の気持ちを傷つけないように変に気を遣わなくてはいけません。プライドが高くネガティブな感情に走りやすい相手だと、変な受け止め方をされないよう細心の注意を払わなくてはいけないし、本当に大変です。
そのため、面倒臭いトラブルを避けるためにも、ますます「断れない」「止められない」という状況に陥るのです。
つまり、相手に「嫌な顔」をされるのが怖くて、身体が具合悪くても、都合が悪くて困っていても、相手の顔を立てるために、ついつい無理して頑張って「やめないように努力する」ってことです。そうして、無駄に自分のエネルギーを使っちゃうのです。
それで疲れて、心が病んだり、身体を壊したり・・・。
ホント日本は大変な所ですよ(汗)。
止めることもできず、断ることも出来ず、休むことも出来ず、無理してでも出ていこう・・・としてきた私たち。自分を後回しにしても、相手のために努力して頑張り続けてきた私たち。
自分の気持ちや体調より、相手や周囲の雰囲気に合わせなくてはいけない・・・という文化が根付く社会で生きてきた訳です。
でも、これが子供の頃からの「当たり前」になっているから、自然に染みついている分、今も「当たり前」にやっちゃうのですよ。そして知らないうちに、疲れて心身が蝕まれていく・・・汗。
この「頑張る教」という宗教(?)、この信者は日本にまだまだ多いと思います。
でも、このコロナ禍をきっかけに、「集団の中の自分」から「素の自分」へ脱却できるといいかもしれません。
何も属さない「本来の自分」を取り戻すのです。
もっとシンプルに「自分はどうしたいのか?」「自分はどうなりたいのか?」を感じていくのです。
考えて「こうしよう、ああしよう」と決めるのではなくて、もっとクリアに単純に「自分はどうしたい?」でシンプルに感じていくのです。
そう考えると、今は良い機会だと思います。コロナを理由にすれば、属している集団の利害関係など気にせず、シンプルに「断る」「止める」「休む」ということを言いやすいし、実践しやすいと思うのです。
お断りすることが苦手だった人も、相手に気を遣いすぎて自分を後回しにしてきた人も、今は勇気を出して、自分の体調や自分の意思を優先できるのではないでしょうか?
◇◇◇
私自身も、ここ数日間、熱はないけど体調不調で大変でした。
でも、今までの私は、この状態でも平気な顔をして、普通に活動していたのです。具合が悪い事を隠して、健康そうに過ごしていました。
この程度では休めない。これくらいなら、我慢していつも通りに過ごすことはできる。
具合が悪いことを悟られたり、休んだりしたら、周囲に迷惑や心配をかける。無理してでも頑張った方が良い。
「休む」理由、人が納得する理由を考えて説明しなくてはいけないのが、面倒臭い。
休んでいることを、人から「怠けている」と責められるかもしれないのが嫌だ
・・・こんな感覚が、自分の中に刷り込まれていたんです。
だけど、昨日と今日、自分の身体に「どうしたい?」と聞いてみたら、私の身体とハートは「無理して外出しないで、今日は家でゆっくり過ごしたい。」とのこと。
ならば、そうしよう!・・・と素直に身体の声に従いました。
そして、今、こうしてブログを書いています。
今日もとてもお天気がいいので、近くに散歩に行ってみようか・・・と思ったりもしましたが、身体はやっぱり「無理しないで家で休みたい」と答えるので、大人しく家で過ごしました。
こんな簡単なことなのに、私たちは今まで普通に出来なかったのです。
刷り込まれた価値観通りに生きなくてはいけないと思い込み、こんなに生き苦しくて窮屈な世界の中で、ずっと頑張って生きてきたのです。
だけど、もうこれからは「自分解放」ですよ。
コロナのお陰で、今までの「常識」も「思い込み」も「固定観念」も、全部ぶっ壊れつつあります。大崩壊の最中ですよ(汗)。
こだわりを捨てて、みんな、自分の命を守るために必死になっています。
コロナがきっかけで手放せたということは、それって、もともと必要ないもの(こと)だったのですよ。捨てても苦にならないもの、手放して良かったものなんです。
それに気づかせてくれているコロナ。ある意味、すごいなぁ・・・と思います。(怖い存在だけど・汗)
私の場合は、「大事な用事を2つキャンセルする」でしたが、これを実際にやってみたら、「なんだ~、簡単なことじゃない。私は何を恐れていたのだ?」とあっけなく感じました。
キャンセルの電話をする前の心の葛藤・・・。この葛藤の中身に、私が捨てなくてはいけない「古い価値観」「思い込み」「決めつけ」「固定観念」「刷り込み」がわんさかありましたが、それに気づいたとき、「よし捨てよう」とポイしました。
ポイして捨てて、電話しました。また一つ、身軽になりました。
こんなにシンプルなんだ・・・と、すごく驚きました。