森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

私たち人間も、自然の一部分であることを思い出してください

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今日は朝からとても良いお天気でした。

ゴールデンウィーク前の週末・・・ということで、例年ならこの時期は、人の往来が激しくて非常に賑やかになるのですが、今年は外出自粛でとても静かです。

先ほども、日課の散歩に出かけましたが、通り過ぎていく特急列車には乗客は誰もいなくてガラガラ。近くの公園も人気(ひとけ)が無くて、すごく静かでした。

人間がいない世界で、自然の生き物だけが、とても生き生きと輝いています。

植物は花を美しく咲かせて枝葉を大きく伸ばし、鳥たちは自由に飛び回って大きな声で囀(さえず)っています。

森の動物たちも、時々、人間がいるエリアに出てきて、のんびり過ごしていたり・・・。

いつもに増して「空の色」も「太陽の輝き」も美しく、また、色鮮やかで力強く、とてもエネルギッシュです。

自然って、本来はこんな感じだったのかもしれない・・・と、そんなことを感じました。

人間があまりに横着で縦横無尽にやりたい放題だったから、自然は隅っこに追いやられて肩身が狭くて苦しかったのかもしれません。

でも、新型コロナによって、人間の活動が否が応でも止められ、人間達は家に籠もって外に出なくなりました。今は、人間によって自然が荒らされることが止められ、自然を搾取することも止められたので、自然は安心して「本来の姿」を出しているのかもしれません。

いやいや、「本来の姿を出す」というより、「本来の姿に戻った」のかも・・・ですね(汗)。

 

毎年、春になると、地元の自然の風景を見て「美しいなぁ」と感動しながら散歩していたのですが、今年は今までとは違い、自然から「野性味溢れる力強さ」を強く感じます。「繊細な美しさ」ではなく「たくましくて野性的な美しさ」なのです。

 

「自然」は、今までは人間の前では無言を貫き、ただただ辛抱強く人間のやり方や扱いに耐えてきたのだと思います。

でも、これを機に、「自然」も各々で意思をもって立ち上がり、本来の姿や持っている力をどんどん出していこうと決意したのかもしれません。

もう人間に屈するのではなく、人間とキチンと向き合い、共存共栄していくつもりで、自然も意思を持って表明していくぞ・・・と。そんな感じなのです。

 

ここで言う「自然」とは、「地球」も含みます。

自分が住んでいる町の自然、自分の国の自然、地域の自然、世界の自然・・・。

人間も地球の一部分だと考えたとき、私たちは地球に対してあまりに酷かったと思うのです。

身近ところでは、自分が出すゴミの管理、生活環境の美化、資源の使い方・・・等々。

また、自分の肉体を「自然の一部」と見なしたとき、生活習慣も含めて「自分の身体をどう扱ってきたか」・・・も見直さなくてはいけないと思います。

私たちは哺乳類科の生き物なので、「自分の心身の健康を大事にしてきたか?」という観点を持つと、「自分は今まで自然をどう扱ってきたか」が見えてくると思うのです。

(つまり、自分の肉体の健康バランスに無頓着な人は、自然に対しても無頓着だ・・・ということです)

 

いろいろな意味で、今回の新型コロナ禍は、私たちに「生き方」「人生観」を問いただしてくれる機会になっていると思います。

 

ただただ「怖い」「不安だ」で怯えて終わるのではなく、今こうして家に引きこもり、自分の時間が持てているのだから、この時間を利用して、自分自身の心の持ち方・自分の価値観と生き方についてじっくり考え直してみると良いかもしれません。

 

もしも、自分のことを粗末に扱ってきたり、自分以外の人たちの意見に流されやすくて気持ちが不安定だったり、自分の生き方やこれからの人生について迷いがあったり、捨てきれない価値観や固定観念があるのなら、この時間を利用して自分をしっかり見つめ直してみると良いと思います。

 

「内観」をすると良いです。

ただ怖がって不安を増長させるのではなく、建設的に自分のこれからを考えてみましょう。

 

おそらく多くの人々にとって「最悪なこと」は、「死ぬ」こと、そして「財産を失う」ことでしょう。

でも、今ここで腹をくくって「いつ死んでもいいわ」「無一文になってもいいや」と割り切りましょう。「そうなったらそうなったで、仕方がないわ~」と諦めてふっきれた思いに至ることです。失うことへの恐怖を克服しましょう。何とかなりますって。

「失う恐怖」を乗り越えて、自分の中から「怖さ」が消えると、コロナ禍の恐怖は克服できます。

代わりに、「このサバイバルな状況をどうやって生き抜こうか」と開き直って前向きに考えられるようになりますよ。

 

ちなみに私は、コロナ前からもう何十年間も、ずっと「今この瞬間に、ポックリ逝っちゃっても仕方が無いよね~」と、毎日腹をくくりながら生きています。

だって人間の肉体は、いつ寿命が尽きるか全く分からない設定になっているのですもの。若いとかまだ子供だから・・・とか、健康に気をつけていたとか、病気はないとか、そんなことは全然関係ありません。

だから私は、子供の頃からずっと今日まで「今日ポックリ逝くかもしれないなぁ~」と思いながら毎日過ごしています。

また、自分の家族や大切な人たちのことも、「もしかしたら、今日どこかでこのままポックリ逝っちゃうかもしれない。今こうして一緒に居ることが今生の別れになるかもしれない。」と思いつつ、悔いの無いように過ごすように心がけています。

 

 こんな感じで毎日ずっと生きているので、コロナ禍の中にいても「怖い」とか「不安」はあまりありません。ただ、手を洗ったりとか消毒とか、自粛で出歩けないのが面倒臭いだけ(笑)。

 

お金が無くなったとしても、「生きていけない」という恐怖は無くて、最悪、自然の草を食べたり、庭先で野菜を作ったりしてて、食う分だけ確保して自給自足で生きていけばいいか・・・と、そんな覚悟をもっています。

 

第一、お釈迦様でだって王族という地位を捨てたのに80歳までちゃんと生きていけたのですし。

 

それに、最期は「病気」が縁でお亡くなりになられたのですから・・・ねぇ。

その時がくれば、否応なしに皆がそれを体験しなくてはいけないのだし、いつかは旅立たなくてはいけないのです。

嫌がっていても、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけない。 

それが自然の摂理なのですよ。

 

でも、現代は、巨万の富が一部の人の間で牛耳られ、医学の進歩によって人の生死までコントロールできるようになり、私たち人類はますます自然から離れていきました。

 

だから、『健康と生死』という最も身近なテーマを人間達に強烈に突きつけることにより、改めて「人間も自然の一部分である」という現実に目覚めるよう、強制的に促されているのかもしれません。

 

誰もが体験しなくてはいけないのが「生きること」そして「死ぬこと」です。健康のことも、生身の身体を持てば、貧富の差なく誰もが気をつけなくてはいけません。

 

コロナに関しては、みんな平等。

だから、大事なことを見失わず、これを機会に、自分の生き方や人生観についてじっくり見つめ直してみてくださいね。

 

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今年の春はタンポポも超元気です。モリモリ咲いています。