森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

「人と自分を比較しない」を心掛けるようになって気づいたこと

10月に入ってから、私が心がけていること。

それは、

・こだわらない

・人と自分を比較しない

 ということです。

すごく大事なことだと思うので、皆さんにシェアしますね。

 

 

◇◇

 

 

昨日の記事で、世の中の様々なことが変化していることをお伝えしましたが、

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 今までの感覚だと「人と自分を比較して、自分に足りないものを埋めていくよう努力する」ことは、正しい生き方でした。

 

でも、その観念は、これからはもう正しくなくて、変えなくてはいけないことを強く感じるようになりました。

 

ちなみに、私たちは生まれたときからずっと他者と比べられて、親や先生、周囲の大人たちから「ここがダメ」とか「あそこが足りない」と言われ続け、ダメな部分は改善してよりよく伸ばし、足りないところは努力して埋め合わせていくことが「人とした大事なことだ」と刷り込まれてきたと思うのです。特に昭和世代の人たちは…。

 

だから、みんな、今まで必死になって頑張ってきた訳ですよ。

 

そして、この「他者とついつい比較してしまう」という癖が、無意識のうちに私たちの意識の奥深くにまでしみついていて、人から何か指摘される前に、もう自分から進んで「自分のダメなところ」「自分の足りないところ」を探して【自分責め】をしちゃうところが、結構あると思うのです。

 

かく言う私も、実は無意識のうちに「私はダメだ」「私のここが足りない」とついつい他者と比べて【自分下げ~】をしてしまうことがありました。

 

これね、日本人の悪い癖だと思います。(汗)

 

自分のことを【下げる】ならまだしも、自分のパートナーや子供や孫のことまで「あれがダメだ」「ここが足りない」と【下げ】に走っちゃう人も多いですよね。

自分だけでなく自分の身内も全て、人前でダメ出しして【下げる】ことがマナーであり美徳だと思い込んでいる人もいます。

 

特に悪いのが、小さな子供を相手に、他の子供たちと自分の子を比較して「ここがダメだ」「うちの子は劣っている」「ここが良くない」と、わが子をバッサリ斬りまくって劣評価する大人(親や祖父母)。

他者と比べて、悪い部分ばかり目ざとく見つけて、それをずっと気にしてコンプレックスを感じながら生きている大人に育てられると、子供はとんどん自信を無くし、「自分はダメな存在なんだ」と卑屈になり、自分に対するネガティブな感覚を刷り込んでいきます。

直接そういう言葉をかけなくても、その家の大人が「うちの子はダメだ」という思いで暮らしていると、そのネガティブな気持ちが家庭内に漏れ出て空気に浸透していき、蔓延していきます。すると子供は、そうした大人が発する「気」を読んで、「親は自分をダメだと思っている」と察知して、ネガティブに受け取っていくのです。

だから、子供の前ではネガティブなことを心の中でこっそり思うこともダメで、子供と向き合うときは「愛」と「受容」100%の心で寄り添わなくてはいけません。

 

でも、おそらく、自分の子供と他の子供を比較して、自分の子どもにダメ出しし続ける大人は、その人自身もやはり、自分の親や周囲の大人たちから「お前のここがダメだ」とずっと言われて育てられたのだろうと思います。親がそういう風に接してくると、それが「愛」であり「躾」だと純真に思い込んでしまうから、また同じことを負の連鎖で無意識にやっちゃうのです。

 

こんな感じで、皆が「人と比べること」が当たり前で、「自分のダメさを発見して一喜一憂すること」が普通になっている社会の中で、ただ一点だけを見て、他者とは一切比較せず、今の自分が良いと感じる部分だけを見てハッピーな気持ちを維持しながら生きていくことは、なかなか大変なことです。

 

でも、この「負の連鎖」を断ち切り、「自分は絶対に他者と比較しない…」と心に決めて、それを実行することが、今はとても大事です。

 

それを私は直感的にピンと感じるので、今月から、私は自分と他者と比べて落ち込んだり凹んだりすることは一切止めることにしました。

 

 

 

そこで、

 

「やってもやっても報われない」という思いは、

「自分はこれが好きだから、楽しいからやっている」にシフトチェンジしました。

 

また、

「結果が出なくて辛い」という思いは、

「今、自分がこれを体験していること自体が『結果』なのだ」にシフトチェンジしました。「今、自分が夢中になって取り組んでいること自体が、成功の証なのだ」と思い直すことにしました。

 

特に、SNSやブログをやっていると、スキ」や「いいね」の数&フォロワーアクセス数に意識が向かっていくけど、これからはあまり数にこだわらず、「書きたいから書く」「投稿したいから投稿する」という風に、もっとシンプルに取り組んでいくと良いんじゃないかな…と思うのです。

 

「やりたいからやっている」という感じで、数字にこだわらず楽しく続けていくことが大事で、その後、情熱を感じなくなったら「飽きたらやめる」で気軽に手放していけばいいのです。

 

その他、嫌だなぁ、辛いなぁ…と感じることも、よくよく自分のハラで感じてみて「本当に嫌なのか?」「自分と誰かを比べているから辛く感じているのではないか?」と見極めるように気を付けています。

 

あまり頭で考えすぎず、シンプルに、ハラやハートで「どう感じる?」「嬉しい?」「やりたい?」と聞いて、自分の中の反応を見て、どうするのかを決めています。

すると、案外、「嫌だ」と感じていたのは、脳が「面倒だからやりたくない」と決めつけていたせいであり、ハートは興味津々だった…なんてことがあります。

また、その逆で、今までは「楽しい」と思い込んでいたけど、実は他者との比べて自分が優位に立てられるから、それを「楽しい」と思い込んでいた…なんてこともありました。本当は、別に興味も関心もないのに、ただ他人よりできて優越感に浸れるから、それを「魂の喜び」と勘違いしていた…というものです。

 

こんな感じで、他者と比べない」ということを意識するだけで、たくさんの気づきや学びがあります。とても面白いです。

 

◇◇

 

ちなみに、これは「他者と比べない」の中から発見したことですが…。

 

「頑張ろう」という時は、周囲の期待に応えるためではなく、自分の中から溢れてくる情熱に任せてエネルギッシュに向かっていくのがベストです。

 

自分の中から湧き出てくるエネルギーが抑えきれない状態の時に、その興味や関心の矛先に向かって、そのエネルギーを放出しながら無我夢中で取り組んていくことこれが本来の「頑張る」なんですよ~。

だから、興味がないことや関心もないことを頑張ってはいけません。

 

ましてや、他人と比較して、「自分はダメだ、足りない!」と悲観して無理して頑張るのも、実は本来の道から外れた「やっちゃいけない行為」なんですよね(汗)。

 

それに気づいたので、私は今月から「他者と自分を比べない」ということを肝に銘じるようになりました。

 

◇◇

 

あと、「こだわらない」というのも、意識しています。

「こうしなきゃいけない」「あれをしてはいけない」と、固く決めつけて意固地になるのも、ちょっとなぁ…と感じたからです。

 

とにかく何でも白黒つけて、「ダメなものは断固拒絶」「良いものは受け入れる」というこだわりは、もう要らないなぁ…と思います。これってある意味「ジャッジ」なんですよね~。

自分に「合う・合わない」があるのは当たり前なので、そこに固執せず、自由にフラットな気持ちでいろいろなものに触れ、いろいろな感覚を吸収し、自分の真ん中に「自分」を置いて自由に生きていきたい…と思います。

 

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神社の狛犬さま。明るい秋の日差しを受けて温かそうです。