今日、知人と久しぶりにお話したのですが、この時、自然の流れで「コロナ」の話になりました。
ちなみに、私が住んでいる所は、先日、感染者がようやく出てきたところで、それまでは静かな状態でした。
もちろん、(私も含めて)多くの人々が、国や自治体から出される指示に素直に従い、マスク・手洗い・消毒・換気・・・等に意識して取り組み、最近まで「感染0状態」をキープしてきたのですよ。皆さん本当によく頑張ったと思います。
でも、感染が一人出た段階ですぐに、市長が「ストップ!コロナ・ハラスメント」のメッセージを発信し、そのお陰で市内はとても落ち着いて居ます。感染者を差別する雰囲気は全然感じられず、むしろ「大変でしたね」「お大事に」と気遣う気持ちの方が大きいです。その点は良かったなぁ~と思います。
◇◇
ここで話を戻します。
知人とは、
「とうとう感染者が出ちゃったし、これからどうなるんだろう?」
・・・と、そんな話をしました。この時、彼女は
「私は、自分は大丈夫だと思うのよ。」
と言います。
彼女はとても直感的な人で「自分は罹っても症状が出ないか、軽く済むような気がする」のだそう。
実は私も、彼女と同じことを感じていて、
「私も同じで、多分、身体の中にウイルスが入ってきても、大丈夫だと思う。」と話しました。
もちろん、ウイルスはこの地に当然入ってきているだろうし、もしかしたら私たちの身体の中に、もう既に入ってきたかもしれません。
でも、発症せずに済んでいるのかなぁ・・・と思ったりしています。
今日も国内でたくさんの感染がわかり、ニュースを聞いていると気が滅入ってきそうです。
でも、ここまで世界中に広がった以上、ウイルスを忌み嫌って排除しようとするのではなく、ウイルスと共存していくことが必要だなぁ・・・と。こんな風に私の意識も変わりました。
こちら↑は、今年発売されたウイリアム・レーネンさんの著書です。
この春、レーネンさんの ワークショップにオンラインで参加したのですが、この時、とても重要なメッセージをたくさん受け取りました。その時の話も、この著書の中にたくさんでてきます。
ワークショップの話や本の中の言葉で、とても印象深かったのが
秘密を作らない
闇を恐れない
光を生きる
・・・ということ。
新しい時代に突入したことにより、「今までのやり方はもう通用しないこと」「新しい時代の価値観に自らをアップデートさせること」 それらが今、強力に求められています。
この重要性について早く気づかせるために、また、古い価値観を手放して新しい生き方を実践させるために、コロナは私たち人間の身体の中に入って「早く気づけよ」「早く変われよ」と暴れ回っているのかもしれません。
変化を恐れないこと。
変化を受け入れること。
変化に自ら飛び込んで、自分に様々な経験を与えること。
これを、地球上の全ての人々が取り組まなくてはいけない・・・。今まさに、そういう時なんですよね。
◇◇
私の周辺でも、
興味があるのなら、やってみる。
躊躇しない。立ち止まらない。
直感的にどんどん進んでみる。
・・・という流れにシフトした人が何人かします。また、新しいことにチャレンジしたり、自分の直感に従って果敢に行動する人たちを見て、そこから大いに刺激を受けて、自らをどんどん変化させている人もたくさんいます。
コロナがきっかけで、自分自身のことを振り返ったり、人生を見つめ直したり、本当にしたいこと&好きなことに目覚めたり、生き方を大きく変えるきっかけになったり・・・等。こうした良い側面も多々あったと思うのです。
今までの「当たり前」が通用しなくなった今、これからは、これまでの固定観念や常識を越えて、新しい常識を作り上げていくこと&自分が本当にしたかったことに焦点を当てて、自分らしく生きること・・・等を大事にしていかなくてはいけないと思います。
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先が見えないことを不安がるのではなく、先が見えないからこそ、新しい未来を自分で切り拓き、今までにない新しい世界を創造できるのだ・・・と、気持ちを明るくポジティブに切り替えていくことが大切です。
先行き不透明な状態を不安がらない。
未来を恐れない。
それを心がけていると、不思議とコロナに対してもポジティブな気持ちになります。
コロナも生きているのだから、存在を憎んだり嫌うのではなく、共存する気持ちでいこう・・・と意識が切り替わります。
そうそう、私も、「コロナも生きている」という言葉に触れたとき、私たち人間と同じ生き物なんだ・・・と、ハッと気づきました。
大きさや形は違っても、みな同じ「生きている存在」なんだ・・・と。
それならば、存在そのものを憎んだり嫌うのは可哀想だなぁ・・・と感じたのです。コロナを客観的に受け止めました。
そして、もう既に存在しているのならば、コロナのことは好きになれなくても、存在自体をとりあえず受け入れていくしかないのだと思いました。お互いに牙を向けて傷付き合うことがないよう、上手に距離感を保ち共存していくのがベストなんだなぁ・・・と、そう腑に落ちました。
そこから「共存」という観念が生まれたのです。
たとえて説明するなら、田舎で野生動物と共存して暮らすのと同じ感覚です。
熊や猿、イノシシ、カモシカ・・・等々。私が住んでいる土地にも、たくさんの野生動物がいます。同じ土地に住んでいるけど、人が住むエリア・動物のエリア・・・と棲み分けをして、人間側も「暗黙のルール」をキチンと守っているから、私たち人間もここで安心して暮らしていけるのです。それは動物たちも然り。
最近は里に下りる動物も出てきましたが、対処の方法を知り、上手に工夫して生活していれば、何の問題もありませんし、(よほどのことが無い限り)危害を加えたり加えられることも起こりません。互いのテリトリーを侵さないよう気をつければ大丈夫。
きっと、これと同じ感覚でいればいいのですよ。
・・・とまぁ、そんなことに私たちは気づいたのです。「ちゃんと対策をしていれば大丈夫だろう」という気持ちに至りました。
万が一、罹って死んだとしても、そこまでの寿命だったのだと思うことにしよう・・・。
潔く腹を決めて、覚悟をもちました。
もう必要以上に恐れたりせず、敵対しないよう上手に対応していきながら、私たちは私たちの人生を全うして楽めばよい・・・。
未来のことは、わからない・・・。
だからこそ、今を大切に生きる。
ただ、それだけのことなのです。
それに気づいて、気持ちがとても明るく楽になりました。