森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

自分の気持ちを「自分の言葉」で正直に伝えることの大切さ

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「言葉」とは本来、自分の思いを相手に真っすぐ伝えるためのもの…です

自分の正直な気持ちを「言葉」に表して伝え、お互いを深く理解するためのツール。

コミュニケーションの大切な手段です。

ところが最近は、他人を支配するための道具として「言葉」を利用する人が多くないかなぁ…と感じるのです。

本当ならば、互いに意見を言い合い、擦り合わせて、ちょうど良いあんばいを見つけていくことが必要なのに、言葉の使い方を間違えている人は、自分側の意見をごり押ししようとします。

酷い場合だと、恫喝や干渉で相手を支配しようとしたり、相手に自分の価値観を植え付けて洗脳しようとしたり、相手を頭から否定&非難したり、嘘をついて騙したり…等々。間違ったやり方で言葉を使い、言葉を相手を支配・利用する道具にしているのです。

こういう人たちは、「相手の言葉を聴き、相手の気持ちに耳を傾ける」ということは一切しません。

人の話しは聞かないし、他者から意見されると「私の存在価値まで否定された」と受け止め怒りを募らせます。相手に意見を言わせない代わりに、自分の意見や思いを一方的に発し続けます。相手の気持ちをへし折り、自分の意見に従うよう無理やり納得させようとするのです。こういうタイプは、自分が100%正しくて正義だと思い込んでいるんですよね(汗)。だから、どんだけ人の話を聞いても、そこから学ぶことができないので、さっぱり成長しません。ずっと頑固な自分のまま…なのです。

自分の気持ちを素直に伝えることにことばが使えない人たちは、「支配欲」と「エゴ」をオブラートに包んだ言葉を吐き出しながら、自分の周りにいる人をコントロールしようとしているのです。

言葉とは、本当は互いの気持ちを確かめ合うためのものです。

自分の言葉で誠実に気持ちを伝えていくように、相手にもちゃんと言葉を使って話をしてもらう時間をもつことが大切です。相手をもっと知るために、相手にもちゃんと言葉を使わせなくてはいけません

自分の言葉で、自分の気持ちがきちんと伝えられるように、本当は幼い頃から皆が「言葉を使う」ことを練習し、上手に的確に自分の気持ちを言葉で表現できるようにするのが大事なんですよね。

書いても伝えられるように、また、会話でも的確に伝えられるように…。常にちゃんと自分の気持ちや意見が「言葉」で的確に伝えることを意識して、いつも人と接していくことが大切です。

 

ところが、日本では「自分の言葉を使って、自分の気持ちを相手に伝える」という訓練が、長い間あまりなされてこなかったんです…。国語の授業でもずっと「読み取り」「読解」ばかりに力が注がれ、「言語表現」「話す力」「書く力」の訓練はあまり重視されてこなかったんです。ようやく平成になってから言語表現能力を高める授業が仕組まれるようになりました。だから、大人になっても「書けない」「話せない」人が多いんです。(特に昭和世代)

親世代が表現下手だと、子供たちも親や祖父母の影響を受けて、表現下手になりやすいです。意図して話したり書いたりする文化がその家庭にないと、子供の言語感覚もなかなか磨かれません。

日本人のリーダーが表現下手なのは、(世代交代が進むまで)まだもう少し続くだろうと思います。

言葉の使い方がおかしい人が多いと、社会のなかで「言葉を自由に操れる人」と「うまく自分が表現できない人」との格差が大きく広がります。

言葉で自分の思いを表現できない人たちは、言葉を自由に操れる人たち&強い言葉をどんどん発する人たちに言い負かされて、コントロールされやすいです。

言葉をうまく扱えないと、言葉で強く押してくる人たちに従わざるを得なくなり、気持ちの面で負けて、心情面で支配されやすい関係に陥りやすいのです。

これは、職場や親子関係でもよく起こります。

一方的にガーガー言ってくる人が一人でもいると、その人たちに対抗して意見を言うことができず、自然と皆が黙って従うようになり、支配関係に繋がっていきます。

 

しかし、このガーガー言ってくる人も、よくよく話を聞いてみると、自分の気持ちを言っているようで、案外、自分の本当の気持ちを一言も話していないことが多いです。

一方的にガーガー言う内容の多くは、「世間体」重視の一般論や、親や社会から刷り込まれた常識論、ホモソーシャル的な価値観…なんですよね(汗)。

自分の正直な気持ちを話しているように一見感じるけど、中身は案外薄っぺらくてどうでも良いようなことばかりです。過去に人から言われて「そうだ」と信じ込まされてきたことを、相手に向かって「正論だ!言うことを聞け!」とガーガー言っているだけなんですよね。

こういう常識論で一方的な話をガーガーされると、言われる側は反論の余地がありません。意見をしたくても、「そんなのは常識外れだ」と一喝されるだけだから、話し合いにもなりません。

言う方も、頭から相手の話を聞く気がないので、ますます常識論をガンガンとかまします。相手が反論できないようにした上で、言葉で相手を撃ち負かし、相手を潰しにかかるんです。こうして、黙らせた相手を自分に服従させるのです。

 

こんな感じで、相手を自分の支配下に置くには、「常識論」はとても有効です。強力な武器になります。これを出されたら、相手はグーの字も出せなくなるので、とても便利です。

しかも、「常識論」には、世間一般の多くの人が支持している…という裏打ちがあるので、言えば言ったもん勝ち。しかも、自分が言い放った言葉に責任を背負う必要がないから、とても楽チンです。それにカッコいいですよね。みんなが「こうするべき」と言っていることを代弁してるんだ!という変な自信もみなぎっています。「これが正義だ!」と言えば、相手はもう何も言ってこられません。これほど気持ち良くて重宝する言葉はありません。

だから、自分の意思がなくて空っぽな人ほど、自分の頭の中にたくさん「常識論」を詰め込んでいて、それを都合のいい時にバーと出して、相手を撃墜するのです。

 

日本人は、これまでの社会的価値観によって「自分の気持ちを言葉で表現する」ということをできなくされてきました。過去の教育は「表現力」を軽視していたし、家庭でも社会でも「意見を言う」「自分の気持ちを伝える」ことは生意気だ!口ごたえだ!として否定的なイメージを植え付け、いかに無口で従順で寡黙に働く人間を作るか…そこに重点が置かれていたと思います。

だから、ガーガー言うだけの人には、今までの日本は自己顕示欲が満たせる天国みたいな場所だったと思います。みんな「大人の対応」で黙って聞いてくれていたから、言いたい放題何でも言えたし、大きな声で常識論を言えば言うほど人を服従させられたから、気持ち良かったでしょうね。

 

でも、もう世界は変わりました。

人から刷り込まれた常識論ではなく、自分の正直な気持ちを、自分の言葉に表して丁寧に伝えていくことが必要な時代になったのです。心のこもった正直な言葉を伝え合うことで、相手とより良い関係を結び、新しい世界を作っていかなくてはいけません。

 

 

今までは、自分の気持ちを自分の言葉で丁寧に伝えることができず、また、相手が発する言葉から相手の気持ちを汲み取ることもできず、ただ相手の上辺だけを見て、人を常識論に当てはめてジャッジし、気に入らないと固くて重たくて愛のない石のような言葉をガンガン投げつけて、相手を傷つけ、相手を恐れさせ、相手を屈服させてきたんですよね。

 

言葉を武力のように使う人たち。そんな間違った感覚の人たちが発する言葉のエネルギーによって、世界が薄汚く汚されてきた…そんな感じがするのです。

 

 

「言葉」を使うのは、自分の気持ちを正直に伝えて、相手と分かち合うためです。

そのために言葉が生まれたのです。

支配と服従のために言葉を扱うのではありません。

自分の気持ちを正直に伝え、相手の言葉を素直に受け取り、そんな言葉のやり取りの間に、互いの愛と信頼を置くように…。

そんな風に人との関係性や言葉の位置付けがより良く変わっていくことを、心から願っています。

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水仙の芽が出てきました。春はすぐそこ。