森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

人にもまれることも、必要かつ大切な人生経験

私の周辺で、最近、『人にもまれることで「等身大の自分」に気づく』という体験を得ている人がとても多いです。

私自身、この4月から新しいサークルにいくつか入り、現在「人にもまれている」最中なんですが、周りを見渡すと、私だけでなく、いろんな人が「人にもまれている」感じがします。

例えば、私の夫の仕事先でも、今まで隠れていた職場の問題点が次々と表に露出し、そこで(必要に迫られて)ミーティングを開き、スタッフ全員が本音を出し合いガチンコな話し合いを行った…とか。

私が知っている範囲でも、今まで言いにくくて我慢していたけど、相手に本当の気持ちを伝えるように自分を変えた人…とか。

また、人が苦手で周囲に壁をつくっていたけど、いつまでもこうして壁に守られているのは嫌だと感じ、思い切って壁の外に出て、いろんな人がいるスペースに飛び込んでみた…とか。等々。

 

また、これとは逆に、今まで自分中心で暴君だった人が、人から「あなたのここがダメだ」と初めて具体的に指摘されて、そこで生まれて初めて自分のことを客観視することができた…とか。

あるいは、人をクラッシャーする癖のせいで周囲からずっと恐れられてきた人が、今まで従順だった周りの人たちが反旗を翻(ひるがえ)し、「もう無理です」とはっきり三下り半を突き付けてきたため、生まれて初めて自分が周囲からどう思われていたのかを知り、自分を省みることができた…とか、云々。

そんな話も、最近、身近なところでよく耳にするようになりました。

これも、新しい時代のエネルギーの影響なのでしょうね。

固定化された人間関係の中では、動きも成長もなく、単に服従か支配かのつながりになってしまうので、こうした固まった関係を壊す動きが、至るところで自然発生しているのかもしれません。

特に、今まで支配されてきた人たち。誰かの言いなりりになり、ずっと我慢してきた人たちが、自分のために堂々と立ち上るようになってきたんですよね

これは、社会的にも大きな変化です。

つまり、

・「良い人」「完璧な人」に見えるように、一生懸命「完璧な良い人」を演じてきた人たちは、もう自分じゃない人物像を演じるのを辞めてしまった。

・周囲の空気を壊さないよう、自分を押し殺して空気に合わせてきた人は、我慢することを放棄して、無理して空気を作ることを止めてしまった。

…ということだと思います。

そうなると、周囲の人たちの我慢や辛抱の上でぬくぬくと生きてきた人たちは、急に「はしご」を外されたような形になるので、ショックで大変かもしれません。

でも、今までのことを思えば、人に我慢を強いている中でヌクヌクと生きていても、幸せにはなりません。それよりむしろ、正直に本当にことを言ってもらい、自分が乗っかっていたはしごを外してもらった方が、長い目で見れば「自分の為」です。

また、「完璧な人」「良い人」の仮面をかぶり続けてきた人は、もうこの仮面が重苦しくて苦痛でしかないんじゃないかと思います。

また、完璧ないい人になろうと頑張っている人たちに対して、更に上をいく「完璧さ」や「良さ」を求め続けるのも、非常に酷なことです。

人間である以上「完璧な良い人」なんて存在しないのですから、もっと相手のいろんな面を認めて受け入れていくことが必要だと思います。

人が、その人らしく自由に生きていけるためにも、人に「良さ」「完璧さ」を要求するのは止める時なのです。

 

これは、自分自身に対しても同様。

 

自分自身に対して「良さ」や「完璧さ」をいつも求め続ける完璧主義の人がたまにいますが、これも、自分を苦しめるだけだと思います。

誰のために「いい人」「完璧な人」でいようとするのか?そこを突き詰めて考える必要が有るのではないでしょうか。

 

これ以上、自分の本心や素顔を隠して、他人の期待に応えるために仮面を被り続けるのは、自分を押しつぶすだけです。

自分に対してもっと緩やかで温かい接し方をしても良いと思うのです。今こそ、本当の自分に戻るタイミングだと思います。

 

そう考えると、今まで被ってきた「いい人」や「完璧な人」の仮面が精神的に辛くなり、自分から「もう手放します!」と宣言して、どんどん仮面を剥いで捨てていくのは、自然な成り行きだなぁと感じます。

無理して作った自分より、ありのままの素の自分を出して生きていく…。今はそうやって新しく人生の舵を切る時なのです。

少し前までは、自分の言動が人にどう受け止められ、どう思われているか?すごく気になったし、そこが心配で自由に振る舞えなかった人も多かったと思います。

嫌われたり非難されるのが怖くて、なかなか自分が出せない代わりに、周囲の期待に応えるような仮面を被って演じてきたと思うのです。

そんななか、自分を覆っていたものを外して「本当の自分」を表に出していったとき、もしかしたら自分の周りで、「あなたがそんな人だとは思わなかった!」とネガティブなリアクションをしてくる人が出てくるかもしれません。

でも、そういう人達は、相手に対して「この人はこういう人だ」と勝手にレッテルを貼り、「人はこうでなくてはいけない」と自分の主観や理想を人に押し付け、ある意味、人を自分の都合の良いようにコントロールしてきた人たちだと言えます。

だから、その場合は、相手の言葉を真にとらず、そんな意見の人も世の中にはいるんだなぁ…と割りきって受け流し、気にしないことです。

他人の期待に応えるのではなく、私は私のまま、私らしく生きていく。それを貫けばいいと思います。

それで離れていく人なら、自分とは最初から合わなかったのです。「手放して良い相手」それがわかって良かった…と感謝して手放しましょう。

こんな感じで、人と人がもみ合い、人と人が擦れ合うことは、傷や痛みも生じるけど、大事なことに気づかされたり、大切なことを発見したり、また成長のきっかけになったり…等々。大事なことなのです。

人間関係を経て、人にもまれないと、わからないこと、気づけないこともたくさんあります。心を磨くには「人にもまれる」ことは必須なんですよね。これも貴重な人生体験なのです。

 

「人に揉まれる」…昔からあることで、一見、とても古典的な感じがしますが、今もとても大切です。

心を成長させ、魂を進化させるために、人にもまれること&人と関わり合うことを避けないでください。勇気を出して、人の中に入ってくださいね。

そんな人との「もみ合い」が目白押しのこの春。

嫌で面倒くさいかもしれませんが、ちょっと頑張ってもまれてみてください。

そこから新しい自分を発見できるかもしれません。

 

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サムライマックを食べてみました。キリッと男前なバーガーでした。