森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

人が何を信じていようと、それは自由です。大事なのは自分の気持ちと在り方。

今日は入梅。

蒸し暑くなりましたが、入梅とは思えないほどいいお天気。カラッと気持ちよく晴れた一日でした。

 

このお天気のように、人の心も、裏表なくカラッと晴れた状態だと気持ちがいいですよね。たとえ心に雨が降っていたとしても、時期が来たら雨が上がり、またカラッと晴れる…。そんなメリハリのある心でいたいなぁ…と思います。

 

◇◇◇

 

最近、感じることですが…。

今、世の中にはいろんな意見が渦巻いていて、それぞれで「あれがいい」「これはダメ」「こうしなくてはいけない」「あれが大事」…と言い合っています。

別に何を信じようと、個々の自由だし、私はそれぞれが信じているものを尊重する気持ちでいますが、社会には、それでは収まりきらない人もたくさんいるみたいで、自分の信じている価値観や思想に基づいた「自分の意見」「自分主観」を、ぐいぐいと人に押し付ける人もいるんですよね(汗)。

これって昭和時代の教育の弊害だと思うんですが、多数決で一番多い意見を「正解」「本流」「正論」と価値づけてしまう雰囲気がありますよね。多数派になるために、大きな声でガーガーとがなって、力技で相手を打ち負かして、自分に従わせる…。こうして、自分に共感する「群れ」の仲間を増やし、自分に反する人たちは敵認定して邪険に扱う…。こうして、少数派になった相手のことは「負ければ賊軍」扱いをして葬り去る…。

こんなことをずっと何百年、何千年と繰り返してきたですよ、人間たちは。そして、今も同じことを繰り返しています。「力がある方&数が多い方を優先する」ことが当たり前だと思い込んできた人たち、今もこのやり方で「自分の意見」「自分の主観」をぐいぐいと他人に押し付けて、これで人を制圧し支配しようとするんですよね…。

 

 

そして、もう一つ。これも昭和時代の教育の弊害だと思うんですが(汗)、皆さん、常に「どれが正解なのか?」で白黒つけたがるんですよ。

世の中、白と黒だけではないのに、こういう質の人たちは、白と黒しか許せないんです。その中間のグレーなんて、もちろん許さないし許せない。ホント融通がききません。他の色なんて尚更、絶対に認められない…。昔から「白か黒か」と決まっていたから…!とまぁそんな理由で、白黒以外なんて頭から認める気がないし、受け入れられないという感じ…。

さらに、白と黒のどっちが「正解」なのか?…と、細かいところまでキッチリ決めて定めておかないと、気持ちが落ち着かず、安心できない!という人もいます。

 

そんな感じで、自分が「正しい」と信じている意見こそが「正解」だ!と世間に認めさせたい…という気持ち。←この欲求(承認要求みたいなの)が強烈に強い人が結構いるんです(汗)。

自分が信奉している価値観や思想。これが「正論」であり「正解」だ!と信じる気持ちが強すぎて、それ以外の価値観の人は「無知」という認識なんですよね。

 

だから、上から目線で人に意見をし、「相手の思考を矯正して教育し直さなきゃ…」と押し付けが始まるのです。

こういうタイプの人は、相手の意志や気持ちなんて無視して、力技でぐいぐいと「これが正しいんです」「こっちが正解なんです」と強く主張してきます。相手を自分の意見に従わせ、自分の主観を押し付けて周りを自分色に染めようとするのです。

 

この時、これも昭和チックなやり方なんですが(汗)、人が怖がるような話を持ち出したり、間接的に脅したりする方法をつかうケースが多いんですよ。『恐怖心』や『罪悪感』を臭わせることを話に盛り込みながら、自分たちの意見を声高に主張してくるんですよね。

自分の話を素直に聞かないと、こんな怖い思いをするよ…、こんな酷い目に遭うよと、相手の情に訴え、相手の気持ちを操作するんです。(ある意味、すごい卑怯なやり方ですよ)

こうしてやんわり脅かすことで、人に「恐怖心」を植え付け、「罪悪感」を感じさせ、自分たちの意見に素直に従い、なびいてくれるよう、相手の意識を誘導し、洗脳し、信じ込ませようとするのです。

 

そもそも人は、「どれが正しいのか?」「何が正解なのか?」「どっちに付くと得をするか?」を気にしているので、「こっちがいい」と感じてもらえれば、みんなコロッとついてくれます。

ここにさらに、恐怖心を植え付ければ、未来に不安を感じて「何とかしなきゃ」と思うので、すぐに信じて自分の意見に従ってついて来てくれます。

今は先行き不透明な時だから、みんな「本当のこと」「正しいこと」を知りたがっているですよね。ちょっとかじってみて「これは…」と興味を持てば、すぐに追従して信じてくれるんです。

 

 

更に、これも、やはり昔の教育の弊害なんでしょうが、自分を信じるなという価値観が刷り込まれていますよね。

多くの人の意識のなかに「自分は間違っている」「自分は信じるに値しない存在」「自分に自信を持ちすぎることは傲慢」という刷り込みが染みついているため、自分の判断や意見を「正しい」と信頼できず、いつも人の意見にしがみつく癖がついているんです。

「真実は自分の中にはない、自分の外にある。だから自分の外から真実を探しなさい。」と染みついているから、みんな自分の意見は持たず、人が強く主張していることに飛びつき、他人の意見を自分の意見として取り込んでしまう…そういう変な癖があるんです。

 

だから、みんな、人の意見ばかりかき集め、それを「自分の意見」として人に偉そうに主張して、自分を大きく見せようとするのです。

こうして、人の腹の中を探り合っているんですよ。

 

 

こんな感じで、自分が空っぽな人たちは、空っぽの自分のなかに「他人の意見」を取り入れて、それを「自分」だと信じ込んでいます。

自分の意見なら、間違いを見つけたら素直に訂正できるのですが、他人の意見だと、訂正ができないから、反発するんですよね。

自分が信じている意見が「間違い」と言われると、間違いだと見抜けなかった自分のダメさを認めなきゃいけないから、それが自分のプライドが傷つけることになり、怒りがこみ上げるんです。

なんだか自分自身が傷つけられたような気がして、自分のアイデンティティーまで否定されたような気になってしまう…。これが嫌だから、みんな必死で「自分が正しい」と証明しようと頑張るんですよ。

 

このとき、「数」と「力」がより多いことが「正解」の証…と、昔の古い教育で刷り込まれているから、だから必死になって「数」を獲得しようと躍起になるんです。

 

例えば、テレビの情報を見て「〇〇を食べれば病気が治る」と信じた人が、自分の身内や友達にまで強く勧めて、自分の周りにいる全ての人が「〇〇を食べる」を実践していないと気が済まないのと同じ原理で、自分が信じているものをメチャメチャ押し付けてくる。…ということがよくあります。

これと同じです。

これが、今や社会に向かっても発せられている…という感じです。

 

 

自分と他者の間に「境界線」が全くなく、他者の自由意志や選択を尊重できないのです。これを言うと相手がどんな気持ちになるか?なんて全く考えていません。単純に「自分にとって快か不快か?」それだけです、だから、周囲の人たちも自分と同じことを信じて、自分と同じことをしていないと気分が落ち着かないんですよ。

そういう人を大量に作ってしまったのが、昔の時代です。社会が従順で管理しやすい人を求めていて、そういう人材が必要だったのです。そこで、自分の意見を持たず、社会のルールや決め事従順に従い、力のある人間の意見に素直に従う人をたくさん作るために、そういう教育がなされてきたのです。

 

 

こんな感じで、世の中には、自分のことが客観視できず、自分が「正解」だと信じていることを社会に強く訴えて、全世界が自分と同じ色に染まらないと不安で仕方がない…という人たちが溢れかえっています。

自分に信じるものがあるように、他者にも他者の信じるものがあり、他者の意見があり、他者の人生がある。

…という感覚がすっぽり抜け落ちているんですよね。

 

刷り込まれた恐怖心と罪悪感が暴発して、狂ったように「自分たちの意見」に賛同する仲間を増やそう、数をたくさん獲得しようと躍起になっている人たちがたくさんいます。

そして、どれだけ多くの人たちを、自分たちが「正しい」と信じている意見にたなびかせるか、地域や国・行政や政府をどうやったら自分たちの意見を信じこませられるか、どうしたら全世界の人々が自分たちの意見を信じて味方になってくれるか?…で頭の中がいっぱい。

そして、自分たちの意見に反する人たちを攻撃したり、圧力をかけて誘導したり、力づくでコントロールしようとしたり…等々。←このやり方自体も、昔の古いやり方なんですよね(汗)。でも、当の本人たちは自分たちのやり方やむ考え方が古臭くて前時代的だということに全然気づいていません。

 

 

まぁ、こういうタイプの人たちは、そもそも人の話を一切聞かないので(汗)、時代から取り残されるのは当然だし、仕方がないんですが…。

 

 

 

今までは、こんな人たちの意見も「もしかしたら正しいのかな…」と思わせるところがあったんですが、このコロナ禍で「ん?何かおかしくね?変な気がする」と違和感を感じるようになり、最近はとうとう「まじヤバすぎるんですれど」と確信を得るようになりました。

ある意味、コロナが、今まで隠されてきた「本当の姿」を暴いて見せてくれているのかもしれません。

 

今、社会にはいろんな人が出てきて、順番に自分の主観ををガーガーと言っていますが、それに影響を受けることなく、静かに耳を傾け、自分の感覚で「これは信頼できる」「これは信頼できない」と直感的に自分で判断してみてください。

 

ただし、自分から見て「これって変だよね」と感じることであっても、それを信じている人たちは、それを「真実」だと思っているのだから、それはそれで尊重してあげましょう。

自分はおかしいと感じても、それに対して非難をしたら、相手と同じ穴のムジナになってしまいます。

相手の心の成長には、「その意見を信じる」という過程が必要なのです。

だから、思う存分、腹いっぱい信じさせてあげてください。本人が飽きて自分から手放すまで、相手がそのままでいることを許可してあげてほしいと思います。

 

人が何を信じようと、それは自由です。

ただ、私はそれは信じていないよ。私はその仲間には入らないよ。

…ということです。それでいいのです。

 

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ジャガイモの花です。散歩中に見つけました。