昨日は、台風(途中で温帯低気圧に変わりましたが…)が通り抜けていくのに合わせて、風は強いし、空気は生温かくて蒸し暑いし、雨も突然ザーザー降るし…で、不安定なお天気でしたが、今日は一転して、とても涼しい穏やかな一日となりました。
雨も風も湿度も…人間にとっては不快に感じられて不都合なものであっても、自然界にとってはどれも必要かつ大切なものだったりします。
だから、人間の一存で「これは良い」「あれはダメだ」と決めつけられないですよね。
これは全ての物事にも言えることで、「私が良いと感じたものは、あの人にも良い」とは限らない…。また、「あの人がダメだと感じたことは、私にもダメなことなんだ」とも限らない…。
みんなそれぞれに 「自分に合う・合わない」があるのだから、本来は、それを他人が勝手に「あなたにはこれがいい」「君にはあれはダメ」とは決められないことです。
でも、身内や親子の関係になると、ついつい相手のことに口を挟んで、決めつけたくなる人が多いのではないでしょうか。
身内だからと甘えて、相手の気持ちを無視し、自分の意見や判断を相手に押し付けることは、相手の人生に干渉しているのと同じです。これって、ある意味「支配」です。
相手が幼い子供であっても、相手の体験に口を挟んで「これをしなさい」「あれはやってはダメです」とジャッジするのはNGだと思うのです。
特に、子どもが自分に関することを選択・判断しようとしている時に、大人が横から口を挟んで「こうしなさい」と勝手に決めつけて押し付けることは、絶対にやってはいけないことなのですよ。
でも、今まで慣習で、ついつい大人が子供に口を出し、手を出し、子供の全てを操作しようとする…。そういうことが、昔は当たり前のように普通になされてきたように感じます。
もちろん、人を傷つけたり、命を脅かすようなことは、無条件に「ダメ」と注意する必要はありますが、しかし、例えば子供の進路についてや、やりたいこと・チャレンジしたいことについては、本人が自分で判断して決めていく…。それをそっと見守り見届けてあげるのが、本来の大人の務めだと思います。
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私が思うに、「実際に行動する」の前にある「選択する」「判断する」「決断する」の部分も、心の成長のもとになる大切な人生体験です。
ですので、何か行動に移す前の「判断」や「選択」や「決断」のタイミングに、周囲の大人たちがそれらを取り上げて勝手にやってしまうのは、子どもの貴重な成長の機会を奪うことになります。
選択を失敗しても、判断に誤りがあっても、子供時代なら判断の範囲が狭い分、そこまで大事にはならないから、失敗も大いに経験させるべきです。選択ミスや失敗を繰り返すことで、より真理に近づけることもあるのです。
ですので、たとえ失敗してもいいから、子供に全てを体験させてあげるべきです。(…というか「失敗」もある意味、非常に有益な人生経験であり、成長のチャンスなんですけど…ね)
もしかしたら、失敗体験がない大人たちが、子供の失敗を恥に感じて不安や恐怖に駆られるから、それで、子供たちから失敗を遠ざけようとしているのかもしれません。
それならば、むしろ大人たちの方がいろいろ経験して、失敗も数多く体験してみる必要があります。
失敗があるから「あっ、これじゃないんだな」と選択のヒントを得る…そういうこともあるのです。それを大人も知るべきです。
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人生とは「選択」の連続です。そして、選択の度に「判断」と「決断」が付いて回ります。
だから、よりよく生きようと思うなら、「選択」「判断」「決断」の力をつけて、ここをしっかり鍛えることが大事なんですよね。
でも、日本の親たちは、子供に選択や判断の機会を与えず、大人の言うことを素直に従順に聞く子をいつも求めているように感じます。
だから、日本の子供たちは(大人も含めて)、自分の人生に自信が持てず、強い力で指示を出してくれる存在を求めてしまうのかもしれません。
これからを生き抜くためには、自分で選択・判断・決断ができるようにしておくことが大切だと思います。
子供だけでなく、大人も…。
長いものに巻かれていれば大丈夫だった時代は終わり、「自分はどうしたいのか?どうするのか?」を自分で決めなきゃいけない時です。
人に聞く前に、自分の感覚に問いかけて、自分で選択・判断してみましょうね。
何でも人の言う通りでは、自分の人生を人に投げ渡したのと同じです。
自分の人生に責任を持つ。
自分の人生に対して覚悟を持ちましょう。