森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

何を選択してもいい。決断はその人の自由。

これは今日、私が感じたことです。

 

 

SNSをちらっと覗くと、多方面からいろんな情報がバンバン流れてくるし、また、その情報に対する人々の個人的な意見もいっぱい流れてきますよね…。

その情報量のハンパないこと(汗)。特に、コロナ禍に入ってからは、両極端な意見が方々から湧き出てきて、自分の主義主張をガンガン言い合い、相手の足を引っ張るための情報かく乱もあって、なんだが合戦をしているようです。

 

コロナについても然り。

また、ワクチン接種にしても然り。

 

コロナ前は、イデオロギーの違い・ライフスタイルの違い…等々、価値観が真逆な人たちが集まってグループ化し、それぞれが両極端な意見をバンバン飛ばしていて、もうどっちが正しくてどっちが間違っているのか?サッパリ分からない状態でした。

 

例えば、政治のこと・政策のこと・外交問題のこと・経済のこと・福祉のこと…などなど。

もっと身近なことに掘り下げていくと・病気の治療方法のこと・食べ物のこと・衣類のこと・洗剤のこと・家族関係のこと・発電のこと・差別のこと・生き方に関わること…等々。

 

世の中にはいろんな考え方があり、いろんな主義主張があるし、また、生まれ育った環境や世代によって、独特のモノの考え方や受け止め方が存在しているし、それはそれで良いと思うのです。

でも、今までの様子を観察していると、皆さん、自分が信じている価値観を周囲の人々に拡散し、自分と同じ信奉者を増やそうと頑張っているんですよね。

 

味方を一人でも増やしたいという考えからなのか?

 

はたまた、自分とは異なる考え方を持つ人を、「何も知らない無知の人」と判断して、自分たちとは異なる価値観の人を救ってあげようと思っているのか?

 

自分の周囲を全て「自分と同じ価値観の人」にバッチリそろえることで、精神的に安心したいのか…?

 

その辺りはよく分かりませんが(汗)、こういうタイプの人たちは、自分が信じている説に絶対的な自信をもっていて、堂々と自説をオープンに公開し、自分と似た価値観の人たちと盛り上がり、「私たちは正しいのよ!」と一種独特の世界観を作り上げているんですよね。そして、仲間を増やそうと啓蒙活動もすごいです。

 

以前は、イデオロギーやライフスタイルの分野で、このように妄信的に盛り上がっている場面をSNSの世界でよく見かけたのですが、今は「コロナがらみ」ですよ。

そして、この盛り上がりと巻き込みと対立は、どんどんエスカレートしている感じがします。

 

◇◇

 

そこで、私の個人的意見ですが…。

 

私は、別にどっちでもいいと思うのですよ。

どっちを信じようと、何を考えていようと、それで良いと思います。

だって心の中は自由ですから。自由に選択し、選択したことから自分の行動が生まれ、自分に新しい経験がもたらされるのです。

 

だから、何を選択してもいいんですよ。何を信じようと、その人の自由です。

 

ただ、自分が選択したことに関して、自分が信奉する価値観を他人に押し付けるとか、関係のない他者まで巻き込むとか、自分と同意見の者(味方)を増やそうと躍起になるとか、数の理論で有利に立てるよう多数派になろうと目論むとか、自分と異なる価値観の人を敵視して攻撃するとか、自分たちが信じる価値観を反対する者の上げ足をとって失脚させようとするとか、口汚く罵って相手の存在価値を貶めるとか…云々。

 

これをするのは反則だし、人としてアウトだと思うんですよね…。

 

また、社会的影響力を持っている存在(マスコミなど)が、自分たちの個人的主観で偏った報道をしたり、エビデンスもない情報を無責任に垂れ流すことも、今後はダメだと思うのですよ。ちゃんと公平にバランスよく「事実」だけを伝えていく…。そういう、客観的な視点をこれからは厳守すべきだと思います。

 

みんな、もう少し冷静になって、自分の頭を冷やす必要があるのではないでしょうか。

 

そこまでヒートアップする必要は一ミリもないんですよ…。

どうしてそんなにのぼせ上がって、自分と異なる価値観の者を蹴倒すことに夢中になっているのでしょう。何か変なものがとり憑いているのかしら…(笑)。

 

今大切なのは、外野が何を言おうと、客観的な見地に立って、冷静に自己決定することです。

 

自分はどうするのか?

これですよ。そして、

自分で判断して決めていく。

とてもシンプルですが、今は基本に戻って「シンプルに自己決定する」これだと思います。

個々の選択と決断が、自由にできること。

これが大切だと思います。

 

 

人に誘導されたり、洗脳されたり、刷り込まれたりして、自分で自由に判断することができないのは、ある意味「支配」です。

 

自分で決める自由…。これがあるようでないのが、今の社会だと思います

 

もしも、自分の「自分で自由に選択できる権利」を大事にしたいのなら、他者の「選択の自由」を尊重し、他者が選択している場面に横から介入しないことです。

 

自分の意見や思いを発信するのは自由ですが、その裏で「自分の意見が、他者に多大な影響を与え、他者の人生に介入する可能性がある」ことを忘れてはいけません。

路地での立ち話レベルの会話であっても、ここで持論を展開したら、これもある意味「発信」なんですよね。

信じていることを周囲に話すことは自由だけど、そこで、相手に自分と同じ考え方を持つように強制することは、絶対にしてはいけないし、たとえ親子や身内であっても、自分の意見を押し付けるのは「ちょっと違うよなぁ…」と思います。

 

もしも、自分の意見や価値観を他人に話すときは、「これは自分の個人的な意見だよ」と前置きをすること。また、話し終わったら「聞いてくれてありがとう」ということ。そこで、この話題をサクッと終わらせることです。

これが一番スマートだし、付き合うにもちょうどいい塩梅の距離感を保てるし、人としてカッコいいんじゃないでしょうか。

 

相手にも相手の思いがあり、相手の自由がある…。

そう割り切って生きていくことが、これからは大事たと思います。

 

 

いつまでも自分の主義主張に固執して、相手を自分と同じ色に染めて変えようとするのは、分断と対立を生み出します

 

もうこうした争いから卒業する時だと思うのです。

 

コロナに対しても、ワクチンに対しても、いろんな考え方や思いがあるでしょうが、自分が「こうしよう」と決めたのなら、それで一つ完結したのです。

大事なことは、「自分で決める」ということ。

どっちが正しいのか?どっちが間違いなのか?

なんてことは、一切考えなくてもいいから、自分が「こっちにしよう」と決めたことを、自分一人でただ貫けばいいんです。

 

自分の選択と決断に他人を巻き込まないように…。

巻き込まれた方は、いい迷惑ですよ。笑

 

別に他人が何を選択しようが良いじゃないですか。

それよりも、自分の選択に意識を集中させましょうね。

他人よりも、自分の選択と決断そして行動にもっと責任をもちましょう。

 

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久しぶりに街中を散歩しました。夕陽がきれいでした。