森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

自分を大切にする・尊厳を守るために立ち上がるとき

 

最近「違和感」という形で、自分の身の回りにある「もう手放さなくてはいけないもの」の存在に、ハッと気づくことが増えてきました。

 

先日も、人との関わりの中で、「嫌悪」まではいかないけど「モヤモヤした違和感」を感じることがあり、そのモヤモヤの正体についてジッと内観してみたら、自分の中に「差別を容認する気持ち」があったことに気が付いたんですよね。

 

「差別」なんて聞くと、仰々しくてギョッとするかもしれません。

私自身、自分のモヤモヤについて深く受け止めていく過程で「差別」のイメージが出てきて、「えっ?差別?」とビックリしました。

「差別」なんて、どこか遠くの特別な世界で起きている話…みたいなイメージだったんですが、でも、私のモヤモヤの根っこの部分は、やはりカテゴリー的には「差別」に属するものでした。

 

そこでふと、実は私たちは、全く自覚が無いまま「差別する」「差別される」という関係を簡単に受け入れているんじゃないか…思ったんです。

 

そして、全く自覚しないまま、普通に(まるで呼吸をするように自然と)「差別」がはらむ関係を受け入れてしまう理由に、幼い頃から「差別してもいい」&「差別されても仕方がない」という感覚を植え付けられ、無意識に学ばされているからではないか…と感じました。

 

 

例えば、自分が「女性」だという理由で、「私は女だから…」と非常に不平等で理不尽な扱いをされることを丸呑みして容認していないだろうか?

…ということです。

 

また、男性側も「俺は男だから…」という理由で、女性を未熟者だと見下したり、自分の所有物のように扱ったり、女性のことを「見回りの世話をしてくれるロボット」のように見ていないか?

…ということです。

 

性差だけでなく、日本だと「年齢」も差別を容認するスイッチになっていますよね。日本は儒教の教えがまだ根付いているから、特に年配者は「どっちが年上か?年下か?」で、「差別する」「差別される」を容認しているケースが多々あります。

 

その他、肩書き・社会的地位・出身地・国籍・財産の有無などで、「差別する」「差別される」を容認している場合もあると思います。

 

皆さんも一度、自分の中に、こうした「差別を容認する意識」があるかどうか?…自分の意識を俯瞰してチェックしてみると面白いですよ。

新しい発見があるはずです。

 

◇◇◇

 

さて、話を戻します。

「差別」について感じたことについて、分かりやすい例として、男らしさ女らしさで説明してみますね。

 

昔の古い価値観が刷り込まれている人は、「男とはこうあるべき」「女はこうあるべき」で自分をコントロールしなくては…という意識が強いので、自分の個性より、社会が提言している「こうあるべき像」に自分をはめ込もうとする傾向が強いと思います。

 

そして、「こうあるべき像」のイメージに合わせて、それにふさわしい態度や言動をとろうとします。

更に、自分の周囲の人にも、同じように「こうあるべき像」を押し付けるんですよね。周囲を見回して、みんな「こうあるべき像」の通りに生きているか否か?をチェックしたり、ジャッジしたりするんです。

 

更に、男性だと、「男だから」という理由で昔は許されてきた態度や言動(今はNGなこと)を、今も無意識にとってしまう傾向があります。

 

また、女性も「こうあるべき像」の刷り込みが強いと、「女だから」という理由で、昔よく女性に押し付けられていた役割や立場(今はみんなで分かち合うこと)を、自分から抱え込み、辛くてもじっと我慢して耐えていくパターンを繰り返しちゃうんですよね。

 

 

だけど、今は、新しい時代であり、もう「男だから」「女だから」という縛りをしなくていい新しい時代です。自由で平等のエネルギーを生きる時代に突入したので、本当は、もっと「自分の尊厳」を大切にしなくてはいけないんですよね。

 

だから、もう昔の「こうあるべき像」に縛られないで、自分の意思と気持ちを大切にしていくことが大事だと思います。

 

◇◇

 

こうして振り返ってみると、私たちは今まで長い年月をかけて、「差別の仕方」「差別のされ方」を親や社会から刷り込まれて生きてきたんだなぁと感じます。

 

それが「差別」に該当するだなんて微塵にも感じないレベルにまで細かく粉砕された「差別」のシーンを、私たちは幼い頃からずっと見せられ、聞かされ、体験させられ、飲み込まされてきたんですよね。こうして長い時間をかけて、私たちは「差別」にじっくり慣らされてきたと思うのです。

 

結果、私たちは今までずっと「これが差別だ」なんて全く気付くことなく、また、自覚もなく、「差別」が蔓延する世界の中をぼんやりと生きてきた訳です。

 

しかし、自由と平等のエネルギーが地球に燦燦と降り注いでいる今、この新しいエネルギーに日々触れることで、私たちの深部に埋め込まれた古いエネルギーが反応し、様々な場面で摩擦や葛藤が起きているように感じます。

 

自分に深く刷り込まれてきた「差別」というネガティブな価値観が今、モヤモヤや違和感、嫌悪感、罪悪感…といった反応の仕方で浮かび上がり、私たちに「自覚」を促しています。

これは「早く気付きなさい」というメッセージでもある…と思うんですよね。

 

◇◇

 

ちなみに、自分の中に「差別を容認する気持ち」があると気づいたら、そこで選択が必要になります。

 

「手放すか?」「まだ抱え続けていくのか?」の二者選択です。

 

人に「どうするといい?どっちが良いの?」と聞いて決めるのではなく、自分の感覚で「どうするのか?」「どうしたいのか?」を決めなきゃいけない時です。

 

もしも、自分は「もう要らない、手放そう」と感じるのなら、手放す方向でどんどん動きましょう。

そして、「まだ手放せない、抱えていこう」と感じるのなら、そのままその世界でいろんな体験を得て、自分に多くの「学び」と「気づき」を与えてください。

 

ちなみに「手放す」とは、自分の尊厳のために立ち上がることです。

正直に自分の気持ちを伝え、相手との関係性を見直していくことです。

もう一方の「手放さない」は、理不尽で不平等な世界をまだ生きていく、差別する・差別される世界でもっと体験を積む…ということです。

 

どちらを選ぶかは、自分で選択しなくてはいけません。

自分の感覚を頼りに、どっちが自分に適切なのか?を判断して、自分でどうするのかを決めていくのです。

・これからも差別を容認する世界を生きていくのか?

・古いエネルギーを切り離して新しい未来を創造するのか?

過去を振り返るのではなく、未来にはどんな自分になりたいのか?…で選択するのです。未来志向で決めていきましょう。

 

 

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