11月に入ってから秋晴れの日が続いていたのですが、今日は久しぶりの雨の朝でした。
ずっと乾燥気味だったから、これは恵みの雨ですね。しっとり濡れた空気が気持ちよく、さっぱりした気分になりました。
でも、季節柄、これからは一雨ごとに冷え込んでいくのでしょうね。
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私事で恐縮なのですが…。
私は、あらかじめ「ここを目指そう」と目標を具体的に決めたり、明確なゴールを設定する…というのを、今までずっと避けて生きてきました。
目指すべきゴールを決めてしまうと、その目的に拘束されて自由に動けなくなるような気がしたんですよね。
あと、途中で「こっちじゃない」と気が付いて止めたくなっても、ゴールをガッチリ決めて設定していると、それを崩しちゃいけない感が出てきて、そのままズルズルと最後まで行っちゃいそうで、それも怖かったんです。
だから、自由かつ臨機応変に動き回れるよう、最初から「ここを目指す」という明確な目標やゴールは設定しなかったんです。
そのため、行き当たりばったりで物事を決めていくことが多く、その時の気分や感覚でサクサク選択し、そのまま突っ走っていくような毎日でした。
それはそれで毎日が楽しいし、面白い体験ができるので充実していました。
この「ちょっとかじって、味を確認したら、次の新しいところへ行く」というスタイル。これ、面倒臭がりの私にはちょうどいい感じで、心地よかったんですよね。
でも、その一方で、広く浅くは体験できても、腰を据えてじっくり取り組むことはなかったので、なんとなく「いつも途中で終わって次へ移動する」という感じでした。どうしても中途半端になってしまうのです。
こんな感じで、あっちこっち歩き回りながら生きてきたのですが、最近ふと、自分の足元にはちゃんとした土台がないのではないか?と思ったのでした。
仕事でも趣味でも最終ゴールまで極めたことがなかったので(定年まで勤めあげるとか、大成するとか等)、達成した者が感じる充実感もよくわからなかったんですよね。
そもそもゴールを設定していないから、わからなくて当然なんですけどね…(笑)。
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ゴールを設定したり目標を決めることは、とても素晴らしいことだと思うけど、私には息苦しさしか感じられなかったのです。
(これから新しく取り組むことに対して)「ゴールを設定する」ということは、そのゴールを達成しなくてはいけない…という責任がつきまとう感じがしたんですよね。
この【責任】が、すごく重苦しく負担に感じられて苦手だったのです。
この、「何かに取り組むときは、ちゃんとゴールを設定し、そのゴールに向かって責任を果たさすべく頑張らなくてはいけない」という価値観。
これ、いかにも昭和的な価値観なんですが、思い返すと子ども時代から、ずっと「目標を決めて最後までやりぬけ!」と教えられ、頑張れ頑張れと叱咤激励されてきたなぁと思うのです。
目標を立てることを推奨され、目標に向かって頑張る姿が尊くて素晴らしい…という価値観。昔はこれに、社会全体が染まっていたと思うのです。
だから、この価値観の癖が染み付いちゃってて、常に「ちゃんとやっているか?」と自分で自分を監視しちゃうんですよね。
また、周囲のお節介な人たちから、ずっと監視されている場合もあります。
この価値観に縛られていると、常に「ちゃんとやっている自分」をキープしないといけないし、ゴール達成を完璧にやり遂げなくてはいけません。これも結構疲れるし大変でした。
周囲からのプレッシャーに負けて、適当にゴールを設定してしまった場合は、それこそ最後までやり遂げないと解放されないから、まさに地獄。もう大変でした。
こうして「頑張らなきゃいけない病」になっちゃうと、できた喜びより、できなかった苛立ちを感じることの方が多くなるので、自分に嫌気がさしてしんどくなっていきます。
更に、ゴールに達成できなかった時のショックと落胆も大きくてしんどいので、メンタルへのダメージがかなりきます。
そもそも途中で撤退することも、軌道修正することも、頑張らなきゃいけない病でのぼせている人たちから見ると、「失敗」なんですよね。そこで「挫折」の烙印を押されるから、安易に止められないんです。
受けたダメージの分、立ち直るのも大変でした。
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こんな感じで、「ゴールを設定して頑張る」という生き方をしていると、私の場合、どんどん自分のエネルギーが削がれていく感じがして、しんどかったです。
こうした体験のループが、子供時代から自分のなかに蓄積されていることもあり、それで自分を守るために避けてきたんだと思います。
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でも、そんななか最近になって、ゴールを設定するのではなく、今から取り組むことについて「どうしてこれをするのか?」と【明確な意図】を持っておくことが大切なのではないか…と気づくようになりました。
何をするにも、意図を明確にする
ゴールや目標は決めなくてもいいから、代わりに「意図」をしっかり持っておく…ということです。
つまり、最初のスタート時に「どうしてこれをするのか?」をはっきりさせてから始める…ということです。
この意図を明確に持つことの方が、いざ活動を始めた後に、(ルールや目標をあらかじめ設定した時よりも)自由自在に動き回れるし、状況の変化に合わせて臨機応変に対応していけるし、より広く深い体験が得られるのではないか…と思いました。
これ、あるオンラインのセミナーに参加して教えてもらったことなのですが、今は、全てにおいて「最初に意図を明確にしておく」を心がけています。
このちょっとした一手間が、後の活動をスムーズにしてくれています。
慌ただしい時でも、ちょっと一息ついて「これを始める私の意図は何か?」を考えています。それがたとえ「楽しみを感じるため」でもいいんです。
ちょっとしたことでも、最初に小さな意図でも見つけて置くと、その行動が輝いてくるんですよね。
意図があるからこそ、そこに価値が生まれてくのです。
ぼんやり始めるのもいいですが、そこに少し意図を添えてみると良いんじゃないかなぁと思います。