今まで長きにわたって、「こうすれば、こうなる」と信じられてきた常識や、「これが当たり前」と思われてきた概念が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じます。
「いい人であれば、大きなトラブルに巻き込まれることはない」と、みんな思い込んできましたが、
大きな問題に巻き込まれることなく穏便に過ごせる人=信頼できる良い人
という図式は、もう今は全く通用しなくなったし、
苦労した人=人格的に素晴らしくて正しい人
という図式も、完全に当てはまらなくなっています。
いい人であっても、平等に理不尽なことを体験するだろうし、悪人であっても経済的に成功するんです。
今の状態だけを見て、「あのひとはいい人」「この人は悪い人」とは勝手に決めつけられません。
いつも愛想を振り撒いている人を良い人だと信じていて、自分も一生懸命に愛想を振り撒いていたとしても、それで心が磨り減って疲労して苦しいのなら、そんなのはいい人でもなんでもありません。
自分に嘘をついて、無理矢理、いい人のふりをしているだけです。
それを幸せとか成功と言っていた時代は終わったのです。
そうではなく、心から自分が笑顔になれることをしなくてはいけません。自分を幸せにして、自分が自然と笑顔になれる状況に、自分を置いてあげることが大切です。
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成功する人はこういう人…という概念自体、もう一昔前の古い概念なんですよね。
「成功」というワード自体、何を意味するのか?が大きく変わりつつあるのです。
財産があり社会的地位が高くて有名な人を、成功と呼ぶのは、もう古いのです。
人を見た目や姿形で「いい」「悪い」とジャッジする時代は、もうこれを境に静かに終わっていくのです。
だから、そんな時代の変化にあわせて、自分の頭の中も変えていかなくてはいけません。
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話を戻します。
「苦労」という言葉の定義も、これから大きく変わっていくでしょう。
自分が嫌だと感じることを、我慢してひたすらやり続けることを、昔は「苦労」と言いましたが、今は、それは単なる虐待でしかありません。
自分の夢や目標に向かって、大変な時期を乗り越えよう日々努力していることは、「苦労」とは言わず、「精進」なんですよね。
- 自分を磨くための努力をしている。
- 自分を成長させるために、何かに取り組んでいる。
それは、苦しみに耐えて我慢しながらやり続けていくことではありません。
苦しみに耐えて我慢している時点で、すでにそれは自分の魂が欲することではない…ということです。
もしも、魂の声にしたがい、自らの魂の進化の過程を歩んでいるような時は、苦しさよりも、成長の喜びや楽しみ、興味深さや好奇心を感じるものです。
また、新しいことにチャレンジする時、未知の世界に足を踏み入れる時ならば、怖さよりも、やはり好奇心や冒険心が勝ると思うのです。
そうやって、心から沸き起こる好奇心のままに、日々チャレンジ的に過ごしていれば、苦しみや我慢を感じるのではなく、充実感や成長欲、楽しみや喜びを深く感じるものなのです。
もしも、今、苦労している。苦しくて辛い…と感じるのなら、その場で、
- これを続けるのか?
- もうここで止めるのか?
を自分で決めると良いでしょう。
どうしようか?と自分の心に問うてみて、自分のハートで感じた時、今は止めるタイミングだと直感的に感じるのなら、それを信じて止めれば良いんだし、もしも続けたいと感じるのなら、そのまま続けていけば良いのです。
そこで損得勘定を持ち出したりせず、人目や社会の評判を気にしたりせず、ただ自分の心に添って行動すれば良いと思います。
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魂が欲することには、そこに情熱や喜びが必ずあります。
人から見て大変そうなことでも、魂が欲していることなら、全然苦痛ではなく、また次へ続けていきたいと心から欲するものです。
そして、その作業が楽しくて止められないのです。
止める理由がない。
やっていると喜びと情熱が心の奥から湧き出てくる。
じんわりと楽しい。
だから続けられる。
…そんな感じです。
それでお金が儲かるとか、人が集まってくれるとか、有名になれるとか、そういう事は全く関係なく、ただただピュアなエネルギーを放ちながら、自然のままに導かれるようにして、夢中になって取り組むのです。
これを選ぶのは失敗だとか、こっちにしないと世間体が悪いとか、こうしておけば上手くいくとか、そういう計算は今後は全く通じなくなります。
そもそも、成功とか失敗という価値観自体が、もう意味をなさないものに変容しちゃっています。
だから、あまり考えすぎず、自由に自分の心のままに生きていくことが大切だと思います。