以前は、「石橋を叩いて渡る」という言葉のように、何事も万全を期して物事に向かうことが大事だと言われてきましたが、最近は、よく理解できなくても、また、納得できなくても、なんとなく興味が惹かれることがあるのなら、ためらわずやってみる…。これが大事だなぁと強く感じるようになりました。
あと、「自分には無理」「できない」「失敗するのが怖い」「途中でダメになるかもしれない」…等と、先々のことを恐れて、何もしないでウジウジしているのも、これからはNGだな…とも思います。
今は、あまり難しく考えすぎない方が、絶対に上手くいきますよ。
自分の心に「これはいい」と感じるものがあるのなら、そこに向かってサクサクと行動に移していくのが大事なんですよね。
その方が、自分のためになるし、更には社会のため、世の中のためにもなる…と私は思います。
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私も、今、新しいことにどんどんチャレンジしています。
人から見ると、すごく頑張っているように見えるみたですが、自分では「がんばっている」というつもりは一切なくて、ただ「やってみたいからやってるだけ」なんですよね。すごくシンプルな理由で取り組んでいます。
とにかく、「これで結果をだそう」とか、「利益を上げよう」とか、「どれほど有益性があるか?」なんて計算は1ミリもなくて、単純に「やってみよう」と感じることを、無邪気にやっているだけなんですよ。
別に失敗してもいいし、途中で終わっても良いんです。
成功したらラッキーだけど、特にラッキーを狙っている訳でもなく、素直に「面白い」「楽しい」と感じることをやっているだけなんですよね。
やってみて、順調にうまくいけば気持ちがいいけど、別にうまくいかなくても気になりません。うまくいかないことも「体験」としてとらえれば、後々面白いネタになるかもしれないので、特に嫌ではありません。
心にあるのは、ただ「楽しい」という気持ちのみ。
自分でも「こんなんでいいのかしら?」と思うほど、ふわふわしています。
昔の価値観の人が見たら、「何の目的もなく目標もなく、ただ楽しいからという理由でやってるなんて、意味がないんじゃないか!」とか、「そんないい加減なことにお金をかけて、無駄だ!もったいない!」とか、「世の中そんなに甘くない!社会を舐めているのか!」と、コテンパンに叱られそうだけど…^^;。
でも、それで良いんですよ。
私はこれでOKだと思っています。
人生の目的は「経験を積む」ことだから、どんなことでも「気になる」のであれば、ちょっと覗いてみて、かじってみて、今のうちにやっておけばよし。
今の自分にはその体験が必要だから、それで今、それが気になって「やりたい」と感じる…。そう受け止めれば何も問題はありません。
こんな感じで、ゆる~く何でもやっていると、私の周囲の人々が、私から刺激を受けて、自然と意識や物事の受け止め方が前向き&ポジティブに変わっていくんですよね。
そんな周りの変化を見るのも、最近は楽しくなってきました。
ただ気が向くことを素直に楽しみながらやっているだけですが、それが結果的に、周囲に多大な影響を与えることへと繋がっています。
もしかしたら、「周囲の人々に刺激を与える」という単純な理由で、自分でも理由がよくわからないまま、私はそれに夢中になって取り組んでいるのかもしれません。
でも、ホントこれで良いんですよ。
「どんな成果が得られるのか?」なんて、結果など一切わからないことに取り組むことも、大切な経験なのです。
無駄なことなんて、この世界には一つもないのです。
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もちろん、新しく何かを始める」だけでなく、「要らないものを手放す」「捨てる」「切り離す」ことも、必要だと直感的に感じたら、もったいないとケチらないでどんどん切り離して手放すことも大事だと思います。
「得る」も「捨てる」も動詞。どっちが上とか下とか意味があるとか無いとか…なんて全く関係なく、同等に「動作」の一つでしかありません。
だから、良い悪いなんて勝手に理由付けをしないで「そうしよう」と感じるのなら、シンプルにサクサクやることです。
あまり深く考えすぎず、根拠や理由を求めすぎず、気楽にチャレンジしたり、手放してみたり、感覚的に自由に何でもやっていくとよいと思います。
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古い価値観に縛られている人は、ついつい「こんなことをやって、後で後悔したらどうしよう?」とか「失敗するかもしれない」とネガティブに感じる癖が染み付いていて、何をするにも躊躇することが多いと思います。
自分にとってマイナスなことが起きるのを恐れて、冒険は一切しない・無難に生きる…を選択する人も、やはり昔は多かったです。
また、何か新しいことをする場合は、用意周到で向かい、必ず「成功する」と確定できる方を選択することも、日常的に多かったな…と思います。
失敗するかもしれないと不安な時は、絶対に手を出さないとか、成功するように事前に操作してコントロールするとか、今思えば、とても不自然なことをいっぱいしてきたぞ…と思います。
また、世間体や人目を気にして、「人から何か言われるかもしれない」と思い、人の批判を恐れてなかなか行動に移せない…なんてことも、よくありましたよね。
でも今は、失敗とか成功とか、良いとか悪いとか…等、昔の価値観の基準で「成功神話」を追うのではなく、結果よりも「今の自分気持ち」に素直になって、どんどんアクションを起こした方がいいんじゃないかなぁ…と感じるのです。
見切り発車でもいいから、とりあえずやってみて経験を自分に与えていく。
そして、やりながら、何か問題が出てきたら、その場で臨機応変に対応し、必要ならば軌道修正もガンガンしていけばOK。
軌道修正をしなくてはいけない状況を「失敗」ととらえず、「自分にはこの方向は合っていなかったから、違う方向に変えてみよう」と変化のタイミングを教えてもらった…とプラスに受け止めればいいのです。
昔の価値観に縛られてきた私たちは、あまりにも自分の判断や行動をコントロールしすぎてきたし、自分たちが期待している結果を得られるよう、いろんなことをいじり過ぎてきたと思うのです。
自然の流れをせき止めて、無理やり人工的な流れを勝手に作って、それを成功だと思い込み嬉々としていた…という感じです。
でも、これからは、もう自分を抑圧したり、自分をコントロールするのではなく、もっと自分を解放して、楽に何でもできるようにするのが大切だと思うんですよね。
自分に我慢を与えるのではなく、自分の心が欲していることをどんどんしていき、自分に様々な体験を与えていくのですよ。
その方が、我慢の上に成り立つ秩序よりも、うんと心地よく明るい世界になると思います。そして、社会に良い刺激を与えることに繋がっていくような気がします。
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今、日本の社会を見ていると、思うことや感じることがたくさんあるのに、それをきちんと言葉にして相手に伝えることをしないで、陰でコソコソと不満や愚痴という形で垂れ流している人が多いようにも思います。
愚痴を言ったり、不満をブツブツ唱えているだけでは、この世界は1ミリも変わりません。似た波動の人を引き寄せるだけで、世界をより良く変える力はありません。
かつての古い時代は、自分のそうした思いや感情をを素直に表現する事を禁じられてきたし、厳しく抑えられてきたし、外に向けて訴えても揉み消され、かき消されていくことが多かったんですよね。
だから、みんな「言っても無駄だ」と諦めてしまい、自分の気持ちを押し込めてしまう癖がついているのです。
でも、これからは、遠慮しないでちゃんと正面から相手に向かってキチンと声を上げていくときだと思います。
「社会を変える」には、個々がちゃんと責任をもって声をあげていくことが大事です。
愚痴や文句や陰口は、「声」のうちには入らないですから。それは単にネガティブなエネルギーの垂れ流しなので、社会にとっては毒になります。
そうじなくて、正々堂々と誠意をもって相手に直接伝え続けていくことも、自分にとって必要な経験の一つです。
感じたこと責任を持って相手に伝えて、相手が正しく理解できるよう「知ってもらうための努力」をすること。
「変わらない」じゃなくて、「変える」ための適正なアクションをしていくこと。
そこが、今の社会に必要なことかな?…とも感じます。
いろんな意味で、個人の行動が社会に波紋を投げなけ、人々に影響を与える時です。
だからこそ、素直に自分をオープンに出していくことが必要なのです。