森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい/「自分らしく生きる」を実践するブログ

追憶

 

自分が過去に出会った人たちのことを振り返った時、いまだに「あの人は一体何がしたかったのか?」よくわからない人が一定数いて、思い出すたびに謎に包まれることがあります。

ほんと、不思議な人たちでした。

 

今思えば、純真な思いではなく、エゴと虚栄心にまみれた気持ちで私に近寄ってきたのでしょう。

だけど、私がその人たちが期待するような態度や対応をしなかったがために、いろんな理由を振りかざして、向こうから縁を切ってサッと離れていったんですよね…。

 

その当時は、どうして縁を切られるのか?なぜ私を避けるのか?意味が分からなくて、私も結構落ち込んでショックでしたが、でも、そのまま繋がったままだと、きっと私はその人たちに利用されておかしな方向へ引っ張られていたと思います。

 

だから、向こうから見切りをつけて私から離れてくれて、それでラッキーだったんだな、よかったんだなぁ…と、思うようになりました。

 

コロナ前の社会は、収入額やフォロワー数や人気の有る無し等で、その人の価値をはかるところがあり、私もそんな「数」を見て、喜んだり凹んだり…といろいろあったけど、コロナ時代に入り、そんな圧倒的な数の力で人々を制圧するような原理は吹き飛んで、「本当に大事なものは何か」?で、物事や人を見つめられる世の中になったと思うのです。

 

そんな今の視点で、当時のことを見つめ直した時、自分では決断できなかったであろうあの人たちとの別離を、あの時の私の運命が上手にやりくりしてくれて、私に必要ない存在をそっと切り離してくれていたんだなぁ…と、そう思ったのでした。

 

たとえ自分には理不尽で悲しい出来事であっても、長い目で見た時、実は私にとても必要なことだった…というのがたくさんあります。

 

 

私は基本的に「自分に正直に生きる」ということを信条にしています。

私が正直に自分の思いを伝えた時、こちらは相手への誠意のつもりで勇気を出して正直に打ち明けたことを、相手が歪んだ受け止め方をして、私を嫌う原因にすり替えたとしたら、それはもう、相手とは根本的に合わない…ということなのです。

 

ならば、お互いに成長しない限り、無理なく一緒に居続けることは不可能だろう…と、そう感じます。

 

だから、たとえ離別の悲しみを味わったとしても、そんなに悲観しないで「単に縁がなかったのだ」と軽く受け止めて、すべてをさらりと水に流すことが一番です。

 

こうして離れていった人のことは頭から消して、心地よい関係が築ける相手とまた新たに出会えばいいのです。

 

そんなことをふと思い、過去に私から離れていった人のことを思い出したのでした。

 

 

今はもうあの人たちへの興味や関心は1ミリもなく、たまに思い出しても「どうしてあの人は私に近づいたんだろう?」と不思議に思うのみです。

 

ただわかるのは、非常にプライドが高く、自分の周囲にたくさんの地雷をばらまき、その地雷を踏んだ人を敵とみなして容赦なく攻撃し、バッサリ切り離す…そんな気難しい人たちでした。

きっと、あの頃の私は、自分でも気づかないうちに、あの人の地雷をうっかり踏んでしまったのでしょうね。それであの人たちのご機嫌を損ねてしまったのでしょう。

 

でも、それでよかったんだと思います。

そんな気難しい人たちと長く付き合うなんて、今の私には不可能です。

 

もちろん、昔の私は未熟者でダメな部分もたくさんあったから、当然、私にも過去の汚点はいろいろあります。

なので、あの人たちのことを責める気はないし、嫌悪する気持ちも全くありません。

 

ただ、世の中にはいろんな人がいて。いろんな世界があるのだな…というのが、よくわかりました。いい社会勉強だったな…と思います。

 

だから、早々に縁が切れたこともよかったのです。

地雷が全くない自由な世界にいて、正直であることが信愛につながる社会にいて、今の私は本当に幸せです。

だから、当時のすべてのことに心から感謝しています。

 

 

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