森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

思うようにならないからこそ、体験を「自分の成長の糧」にしていける

今日、心に感じたこと。それは、

人はどうして、何でもコントロールしたがるんだろう?

…ということです。

 

日本だと「自己管理」と言うのでしょうが、すごく細かいことまできっちり決めて、その通りに物事が進むように…と、なんでも管理したがりますよね。

その時、自分をメインに決めていくのではなく、必ず他者と比較したり、他人の目を意識したり、他者から非難されないように…という「他人軸」感覚を物差しにして、自分をその価値観に適応させるべく、自分をきっちりコントロールする癖がみんなに染みついているなぁと感じます。

 

更に面倒くさいのは、自分をコントロールするだけでは収まりきらず、他人の言動まで監視し管理したがる人もいることです。

いちいち他人の様子をチェックして、相手が自分の期待通りに動いてくれるように誘導したり、コントロールしてくる人もいます。

 

最近、そういうのが私の周囲でチラホラ目につくようになり、「あぁ、自分や他人をきちんとコントロールするのって、昔は美徳だったかもしれないけど、今は無駄に時間とエネルギーを費やすだけだから、やめた方がいいな」と感じるようになりました。

 

 

未来のことなんてわからないのに、世間体に合わせた人生プランを立てて、ばっちり完璧な計画を立案し、この計画通りに自分は生きていく…というスタイル。

昔はこれが当たり前でしたよね。

どの学校を出た方がいいとか、こんな習い事をさせるべきだとか、良いところに就職すべきだとか、大人になったらみんな結婚して子供を持つべきだとか…云々。

 

昔は社会が安定していたから、みんな同じ生き方、同じ暮らし方をしてこれたんですよ。

 

このスタイルは前から問題はあったんだけど、社会の圧で反対できず、黙って従うしかありませんでした。

 

でも、今のこのコロナ禍で、ようやく広く平等に、全ての人々が「計画通りに進まないこと」を体験させられています。

第一、決めた通りに物事が進んでた方が、ちょっと異常だったんですよ。

途中で計画が行き詰まったり、変更を余儀なくされたり、計画にはなかった思わぬ出来事が突然起きたりして、本当に毎日が大変…というのが、普段の日常じゃないでしょうか。

 

しかし、計画が好きな人は、「どうして決めた通りに進まないのだ!」とパニックになり、怒ったり、悲しんだり、凹んだり、生きる意欲を失ったり、自暴自棄したり…等々。思うように物事が進まないとに、イライラしちゃうんですよね。そして、誰かのせいにして責任を擦り付けたりしています。

 

計画を立てて、その通りに進めていくことが「優等生の証」だった時代はとうに終わったんだけど、まだ、そんな昔の古い価値観に多くの人が縛られているということなのでしょう。

 

例えば、自分の体のこと。自分の暮らしのこと。

更には、自分の家族のこと。親や祖父母のこと。自分のパートナーや子供のこと。

仕事のことや、職場の人たちのこと。

地域のこと。友人のこと。

 

なかには、自分とは全く関係のない赤の他人のことまで、たまたま目について気になったから…と、勝手に感情移入して横からがーがーと口をはさみ、相手の人生をコントロールしようとする人さえいます。

 

 

今こそ腹を据えて、「何が起きても私は臨機応変に対処して頑張ります!」と覚悟を決めて生きていく時だと思うのですが、なかなか頭が切り替えられない人も多いなぁ…と思うのです。

 

 

こんな感じで、計画通りに進まないことに不安を感じて、感情的になっているを見ていると、

まずは自分がパニックになっていることを、自覚しましょう。

と声をかけたなくなります。

 

そして、

「自分は、失敗をうまく乗り越えてきた…という【社会体験】が不足していること」

「自分は、体験不足によって、視野も心の器も狭いまま成長していないこと」

「自分は臨機応変に対応することが苦手であること」

これをしっかりと自覚し認知するところから始めましょう…と言いたくなるのです。

 

 

【社会体験】は、年齢には関係なくて、自分よりうんと年上の人でも、安定し世界にどっぷりつかって生きてきた場合、何か起きた時の対処の経験が全くなかったりします。人は未体験のことには強烈な恐怖と不安を感じるので、それで今、初めて体験する「計画外の出来事」に不安と怖さを感じているのです。

 

でも、考えようによっては、今こうして想定外のことに遭遇しているのは「新しい経験を積まされている」ともいえるので、この経験を成長の糧にしていけばいいと思うのです。

気持ちを切り替えて、怖くても目の前のことにチャレンジしていくつもりで、前向きに取り組けば良いのですよ。

 

こうして一つ一つのことを体験していきながら、自分の経験値を上げて、自分の心の器を少しずつ広げていけばいいと思います、

 

 

昨日、私はこの記事を書いたのですが…

www.emiko258.com

 

キッチキチ&ガッチガチに先々のことまで事前に細かく決めて、その通りに物事が進むよう頑張り続ける…というのは、時代的に「もうやめた方がいいよなぁ」と感じます。

 

それに今は、事前にしっかり決めたとしても、「必ずその通りになる」と確定さている訳でもないし、むしろ、もうまく行かない方が多いんじゃないかな?

 

そう、今は、未来のことはサッパリわからない時代なんですよね。

 

だから、あまり自分や自分を取り巻くすべてのことを、自分が完璧にコントロールするんだ!といって、そこにカッカと心血を注ぐのではなく、もっと気持ちを楽に持って「どっちに転んでも面白いよね~」と思えるくらいのゆるさと寛容さが必要じゃないか…と思います。

 

起きてくることは、天罰とか罰が当たったとか、先祖の祟りとか、そういうことではないし、また、運が悪いとか失敗とか挫折とかでもありません。

ただ、そうなってしまっただけなんです。

だから、そこで、昔の古い価値観に沿った「ネガティブな受け止め方」をするのも、これからはやめた方がいいです。

 

何が起きても、決して誰かが悪いという訳ではなく、また、誰か悪者がいるわけでもなく、ただ、その真ん中にある「出来事」をそこに居るみんなが体験しなくてはいけなかった…。ホント、ただそれでけのことなんですよ。

 

なので、肩ひじを張ってコントロールに精を出すより、肩の力を抜いて、両手で握りしめているコントローラーをぱっと手放して素手になり、フラットな気持ちで目の前に出てきたことを淡々と体験していけばいいと思います。

 

そう、ただ受け取って、それに適した対処をしていく。

その繰り返していいのですよ。

 

体験をえり好みして、「あれはいい」「これはダメ」とジャッジメンタルで受け取る体験を事前に決めていると、どうしても「自分の人生をコントロールしなくちゃ!」という方へ、意識が勝手に向かってしまいます。

 

だから、最初の段階で、「これはいい」「これはダメ」というジャッジを外して、なんでも面白がって体験していけばいいのです。

ただそれだけ。

 

体験しながら、自分で「次はどうしようか?」と考え、考えながら次の行動に移して、前―前へと進んでいけばいいのだと思います。

 

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今年の2月は雪がたくさん降りますね。