先日の満月(5/16)の頃をはさんで、体調が悪くなった人が多いようです。
私も、今回の満月では久しぶりに体調不調に陥り、今ようやく抜けたところです。
かなりキツかったですね!
私の方は、おかげさまで治まってきました。
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私の場合は、満月のピークに向かって「体が満ちていく」感じがあり、体にいろんなものが溜まっていくような感じで、気持ちも鬱々するし、頭がガンガンと痛くて大変でした。
この感じ、実は以前、よく体験していた状態で、満月前はずっと(こんな感じで)不調だったんです。それが、数年前より漢方薬を飲み始めて、体質改善を試みるようになってから、すっかり落ち着いていたんですよね。
それが久しぶりに復活した形になりました。
本当にしんどかったのですが、なんとか満月のピークを終えることができて、頭痛が治まりホッとしました。
ところが、今度は風邪のようないろいろ症状が出てきて、時期が時期だけに「これは…」とちょっと心配になりました。そこで、家に引きこもっておとなしく過ごしました。
その後(満月の後、今日が3日目ですが)、おかげさまで今は体調も落ち着いてきました。
無理をしないよう心掛け、スケジュールは全てキャンセルしてのんびりし、自分にプレッシャーを与えず自由に穏やかに過ごしています。
しかし、今回のこの不調によって、私は、とてもいいタイミングで「自分を知る」ことができました。
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今回の発見。
それは、「無意識のうちにストレスを溜めていた」ということです。
私はストレスに対して割と耐性があり、我慢強かったから、今までわからずにいました。
でも、今回の満月の不調を体験して、改めて、自分にストレスがあったことを強烈に自覚したのです。
今までの私は、更年期からくる身体の不調を改善したくて、自分の身体を整えることにフォーカスして取り組んできました。そのおかげで、気になる症状が改善していき、良くなってきたんですよね。
でも、最後にどうしても治らない症状があって、「これは何が原因なんだろう?」と探った特に、「ストレスを抱えながら生きてきた」ことにハッと気づいたのです。
自覚…というか「気づき」。
大人になってからのストレスだけでなく、実は子供の頃から『強烈なストレス』を受け止めながら生きていたんだなぁ…と、今更ながら気づきました。
昔は、子供に対する配慮なんてなかったし、子供に対する大人の無理解も強烈だったから、繊細な私にとっては、日々の日常が「ストレス」だらけだったんです。
だけど、みんなが同様の環境にいたし、「日本では当たり前」「普通のことだ」と思っていたから、全て仕方がないこととして受け流してきました。
こうして、その時々に感じたストレスの痛みは、気づかずスルーしてきたので、心に生傷をたくさん負ったままだったのです。
心の生傷の手当をしないまま、自然放置で今に至っていて、その上、今も感じているストレスに対しては全くの無頓着だから、自分を守ることは一切していませんでした。
これじゃあ、体の不調の最後の一つが、なかなかとれないはずです。
それに今は、ちょっとした体調不調は、市販の薬を飲んで早く終わらせれば、なんとかなります。
とにかく、周囲に迷惑や心配をかけないよう、24時間365日ずっと元気で居続けないといけない…。そう思って、また無理して頑張っちゃうんですよね。
だから、知らず知らずのうちに、体の方はストレスのダメージをダイレクトに食らい、満身創痍だった…という訳です。
ある意味、心が鈍感だったんだと思います。
しかし、鈍感じゃなければ、とっくにつぶれていたでしょう。鈍感さは自分を守るための術だったのかもしれません、
こうして、表向きは元気に過ごせてこれたけど、実際には体はボロボロになっていたんです。
こんな感じで、「あっ…。私、実はずっとストレスにさらされて生きていたんだな」と気づいたら、今まで感じてきた体の不調の根本的な原因が、全て根っこの部分で「ストレス」と繋がっていたことにハッと気づきました。
そして、「あぁ、そういうことだったのか…」と腑に落ちました。
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それが満月のピークに向かって起きたことで、ピークを過ぎたら、体調がドカンと思いっきり悪くなりました。「風邪のような症状」と先述しましたが、ホント、そのまんま風邪でした。
風邪だけど、ちょっと違う体の感じ…。「気づけよ」のサインです。
じっと心の耳を澄ませていたら、自分をコントロールしたらあかん!…というメッセージが降りてきました。
私達は、この世界で生きていくために、与えられた役割をきっちり果たすことを求められていて、社会の期待に応えないといけない…というプレッシャーに常にさらされています。役割から離脱すると、社会からはみ出て生きていけなくなる…という不安があるから、みんな、ネズミのようにずっと動きまわって忙しくしています。
忙しいことは良いこと…というのも、ある意味、刷り込みなんだけど、自分のペースで自分らしく生きていくことは、日本の古い価値観だと「ワガママ」になっちゃうんですよね。
だから、そんな価値観を刷り込まれている人はみんな(私の含めて)、自分に与えられた役割を果たすことに必死で忙しく、「キチンとしていないといけない」観念に縛られていると思うのです。
しかし、ここで「もう我慢はあかん」と感じました。
社会を構成する歯車の一つとして、仕事や家事や様々な活動を頑張ってやっていくことは素晴らしいけど、例えば、体調不調のときに、無理して不調を隠して、我慢してまで一生懸命に活動し続けること…。これは、もう「やってはあかん」のですよ。
それを教えるための、体調不調。身をもって教えられている…と感じました。
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模範的に生きなきゃ…と、無理して頑張ってしまう自分。
だけど、そういうのって、自分に対する虐待であり、自分にストレスを課すことだ…としみじみ実感したのです。
風邪で体調が悪い時、無理して役割の仕事を果たさなくてもいいんですよ。
むしろ、ゆっくり休むべし。
そんなところに責任感を発動させてはいけません。ちゃんと周りにヘルプメッセージを出して、みんなで助け合い、支え合うこと…。ここが、これからは大事なのです。
自分が心から欲しているのなら、やったほうが良いと思うけど、人から言われたこと&刷り込まれたことを、ただ「責任感」「義務感」だけで無理してやりつづけるのは、自分にとっても周りにとっても不幸なことです。
自分は全く必要性を感じていないのなら、無理してやることではない!…と。
嫌なら、自分の尊厳と身体を守るためにも、はっきりと「ノー」と言うべきじゃないの?…と。
そう考えた時、
結局のところ、みんな自分をコントロールしてきたんだな。
…という思いに、ぶち当たりました。
いかに都合よく働けるか?つまり「ロボットのように働ける人間」にしてきたんですよ。自分で自分を。
自分の生理的な欲求や本音を制御し、体調を無理やりコントロールできる人間。これを社会が求めているから…と、自分をそういう人間にしてきたんですよね。
だけど、生身の人間をロボットみたいに制御だなんて…。もう、そんなコントロールは無理だし、不可能です。
そして、これは自分に対してだけでなく、自分の周りの人々に対しても同じです。
人をもコントロールしてはいけない。
そう感じました。自分がロボットになって生きてきたから、それを子や孫にも押し付ける。そういう人が今も多いですが、そんな生き方は、自分の代で断ち切らなくてはいけないと思います。
自分も他人も、ロボットのように扱ってはいけないのですよ。
みんな血の通った人間です。
命ある存在として、全ての人を丁寧に大切に扱うべきなのです。
そんなことに気づかされた、今回の満月でした。