森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

新しい時代を築いていく一員として

この2年間、コロナで停滞していた人々の動きが、今年度から徐々に戻ってきていて、今ではほぼコロナ前と変わらないところまで来ているなぁ…と感じます。

 

私自身も、2年に及ぶコロナ隠居生活を終えて、今年度から活動範囲をぐっと広げました。まだまだ、細かな感染予防対策は必要だけど、それでも今までと比べたら、ずいぶん気持ちも楽になり、自由を少しずつ謳歌しています。

 

こうして動き始めてみて、外の世界に触れてみると、社会は大きく二極分化しているなぁ…と実感します。アフターコロナを視野にいれて大きく変化しているところもあれば、全く変わることなくコロナ前のまま時間が止まっているようなところもあるんですよね。この差が明瞭にくっきりとわかるので、ホントびっくりです。

 

また、私自身の反応や対応の仕方も、昔と比べたら大きく変わっていて驚いています。

 

そうなんです…。変化を拒む人たちに遭遇すると、以前は別に何も感じず、相手に話を調子よく合わせることができたけど、今は「うわっ!自分とは合わないなぁ…」と直感的に感知して、この人たちからネガティブな影響を受けないよう、無意識にバリアを張るようになりました。

 

変化を拒む人たちは、頑なでガチガチに固くて動きのない重いエネルギーを放っているから、一緒にいると、馴染むどころか、こちらまでどんどん固まって重くなり、精神的につらくなるんですよね。

 

昔の私だと、こうした変化を拒む人たちに対して、穏便に無難に接してきたけど(トラブルを避けるため)、今の私は、無理して相手に合わせることも、相手のご機嫌を上げてあげることも止めました。

その代わりに、感じたことは正直に伝えるし、自分をそのまま発するようにしています。その方が自然ですもんね。

 

そうなると、相手も、ご自身の頑なさの度合いによっては、私が放つ「変化のエネルギー」が合わなくて、心地悪さを感じるかもしれません。そして、不協和音に耐えられず、ご自分の心の中に生じるイライラをこちらにぶつけ、こちらを悪者扱いし、言いがかりをつけて自分を正当化し、怒りだすかもしれません…。(←変化を拒む人の特徴)

 

まぁ、今まではこういう対立を避けるために、変化できない相手に対しては、向こうに合わせて柔軟に対応してきたんだけど、アフターコロナの今は、「変化しない」という選択肢は無きに等しい状態です。

だから、私はあえて「変化する」自分のエネルギーを発するつもりです。

 

そのため、今後はこうしたトラブルがこれからは起きやすくなるんだろうなぁ…と、なんとなく予感できるんですよね。それが精神的にちょっと辛いところですが。

 

でも、変化を拒む人たちに「変化の刺激」を与えることが、私たちの仕事でもあるので、ここは宇宙のお手伝いをしている…と思い、自分を信じて、自分らしさをちゃんと発しながら行動していこうと思っています。

 

 

さて、これは私の持論ですが…。

コロナ禍というチャンスを、神様は私たち人間に与えてくださったんだと思うんですよ。

コロナ禍の2年間は、自分たちを大きく変えるための準備期間であり、猶予期間だったんです。

だから、その間に、コロナを言い訳(←いい意味で)にして、自分たちの価値観も、自分の生き方も、社会のシステムも、様々な制度も、どんどん変えるべきだったんですよ。

 

それに気づいた人々は、この2年という間に「自分がすべきこと」を見つけて、コツコツ取り組んできました。

コロナで身動きがとれない間も、自分にできることを模索し、アクションを起こして実績を積み、それぞれに「新しいこと」をスタートさせています。そして、もう軌道に乗せていたりもしています。

 

だけど、コロナ禍の間、変化を恐れ、自らが変化することを拒み、ただオロオロとしていた人々は、コロナ前の自分のまま時間が止まっています。

コロナで動けない間も、ずっと昔のままの価値観を引きずり、社会に対する不満や不安をブツブツと訴えるだけで、自分のためのアクションは何一つ起こさなかったんですよね。振り返って俯瞰して見たら、結局は何もしないまま2年間を過ごしてきた…という感じです。

 

そうなると、自分のためにアクションを起こした人とそうでない人との差は、この2年間でかなり大きなものになっていると思います。

 

実際に、コロナ禍に入って早々、すぐに新しい方法に着手して、そちらに積極的に取り組み、実績を積んできた人は、今の時点を見ると、コロナ前の自分とは別の「新しい自分」を築いているんですよね。

 

これは個人のことだけでなく、組織や団体や職場でも同様で、コロナ禍をチャンスと捉えたか、あるいは、困った事象ととらえたか。…この差によって、今、大きな違いが生じていると思います。

 

私自身も、今こうして振り返ってみると、コロナ前の自分には想像もできなかった「新しい境地」に、今の自分は辿り着いているんですよね。

 

コロナで身動きが取れなかった時でも、自分にできることは何か無いか?と考え、直感を頼りにちょっとやってみたり、勇気を出してチャレンジしてきたのですが、そこで得た体験が今では私の軌跡となり、またキャリアとなっています。

やってきたことは、どんな状況下であっても、必ず自分の実となるのです。

 

あの時、コロナを怖がるだけで何もしないでただ引きこもり、ブツブツ文句を言っているだけの私でいたら、きっと今の私は、何も持たず、空っぽの自分のままだったでしょうね。コロナ前で時計が止まったような状態のまま、ずっとその場で停滞していただろうな…と思います。

 

どんな状況下であっても、できることはたくさんあるし、生きる道はあります。

それに果敢にチャレンジするか、しないか。これは自分の自由意思で決めることなんですよ。

 

先が全く見えない中で、当時の私は無我夢中で必死に突き進んできたけど、それでも出会いがあり、体験が積み重ねられ、それなりに楽しい2年間でもありました。

今は「これで良かったんだな…」としみじみ感じます。ここまで頑張ってくれた自分には、心から感謝したいです。

 

 

ウイズコロナの時代に入り、社会全体が本格的に稼働し始めると、「もう変えなくてはいけない古いシステム」のポンコツぶりがますます露見し、各地で様々なトラブルや問題が露出していくでしょうね。

 

コロナを経験して、もう古い価値観に固執しないこと&臨機応変に柔軟に対応していくことの大切さを、私たちは強制的に学ばされたと思います。

 

コロナが落ち着いたからと言って、またコロナ前の価値観や社会に戻ることは不可能です。また、昔の古い価値観のままで居続けること&昔のシステムを維持していくことも、もう不可能です。

 

これから社会が動き出した時、新しい時代に合う価値観とシステムへ移行していくためにも、今の自分の感覚を大切にして、違和感を感じる時&「こうすべきじゃないか」と気づいた時には、勇気を出して自分の思いや意見を相手に伝え、新しい時代の新しい価値観を皆で新たに作っていくことが大事だと思います。

 

これからは黙っていてはいけませんよ。

ちゃんと声を出していくこと。自分も参加すること。

責任を担うこと。

 

これらがとても大切です。

 

シロツメクサがたくさん咲いていました