森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい/「自分らしく生きる」を実践するブログ

いざという時ほど「素の自分」が剥き出しになる

早いもので今月もあと3日。

今月もあっという間の一か月でした。

 

この6月を振り返ると、今月はアクティブに動き回った一か月でした。

富山県へ2回、岐阜市に2回、県内の他地域へ2回…。

今まではコロナでおとなしく地元の中で過ごしてきたんですが、今月からは地元を出て、いろんな地域へお出かけしてきました。

コロナもまだ猛威を振るっているとはいえ(今また増えてきましたが…)、コロナ禍に入って3年目で、だんだんとみんな慣れてきた感がありますよね。

ワクチン接種も進み、コロナがだんだんと未知の病ではなくなってきたこともあり、人々の意識も「ウイズコロナ」へと大きく変容してきたなぁ…と思います。

実は私の場合、今までは「コロナ・アレルギー」の年寄り衆に遠慮して気を配り、外出を控えてきたんですよね。

 

一年前のワクチン接種が始まった頃が、年寄りのコロナアレルギーのピークでしたね。

あの頃はホントすさまじかったですもん…(遠い目)。

家に引きこもってテレビを見続けてきたご老人たちが、テレビ情報に踊らされて、コロナ鬱になったり、変な方向に思考が暴走したり…等々。些細なことでも、極端に「大丈夫か」と不安がるし、怖がるし、怒るし、落ち着かないし…。

そんなコロナを怖がる老人に対して、無駄に刺激を与えないよう、私も夫もずっとおとなしく過ごしてきたのですよ。

万が一、身内で誰かが罹ろうものなら、世間体を人一倍気にする世代の人達だから、家族の身体よりも、「世間に顔向けできない」ことでヒスを起こして、責任追及&自分の保身に突っ走っていたでしょう。そうなると、もう手に負えなくなって面倒臭いので、だから私達も自制してきたんですよね。

 

しかし、あれから一年。

お陰様で、みんな少しずつ体験を経て、心が成長してきたなぁと感じます。

この1年の間にワクチン接種はかなり進み、コロナ不安症の人たちの精神安定に大いにつながりました。今はブースター接種はほぼ終わり、4回目の接種の申し込みが始まったところです。

 

ご老人たちもだんだんコロナ慣れしてきたようで、以前のようにヒーヒーと興奮するほど怖がることも無くなってきて、ドンと構えてくれるようになりました。

 

そんな姿からも、だんだんと日常が戻ってきたなぁ感じます。

 

そして現在、私も夫も、今まで我慢してきたお出かけ熱を発散するがごとく、今月はいろんな所へ行ってきました。

 

前と違い、ワクチンも打っているし、「ここさえしっかり押さえておけば、コロナは予防できる」という知恵もあるし、自粛警察も消えていなくなったので(笑)、安心して自由に動くことができて嬉しいです。

 

しかし、この一連の様子を振り返ってみて、しみじみ感じることは、人は「有事の時」にその人の本性が剝き出てくるものだということです。

 

ピンチの時や、困った時、大変な状況で切羽詰まった時に「素の自分」が出てきます。

 

いつもはドンとして威張っている人が、危機に遭遇したら異常なほど取り乱して、全く使い物にならなかったり…。あるいは、地味で無口でおとなしそうに見える人が、いざという時、ものすごく頼りがいのある存在となって手腕をバリバリと発揮したり…等々。

 

今回のコロナについても、(良くも悪くも)人々のいろんな姿&本性を垣間見ちゃったなぁ…という感じです。

今回の騒動で、自分の肝の座り具合が、意外と小っちゃかったとか、案外デンとしていて堂々と座っていたとか、自分を知るいいチャンスだったなぁ…と思います。

 

 

そして、見方を変えれば、コロナ禍も「新しい体験」の一つなんですよね。

このコロナ禍を体験したことにより、魂に「パンデミックに遭遇した」という経験を刻み込むことができましたもん。

人間は未知の領域には恐怖を感じるけど、一度経験したことなら、過去の経験を生かして腹をくくって対処できるものです。

 

コロナを恐がってヒスっていた人たちも、それなりにコロナ禍の社会を体験してきたことで、彼らの魂も満足できたんだろうな…と思いました。

 

これからは「ウィズ・コロナ」で、共に共存していきながら、自分のフィールドをまた新たに広げていきたいです。

 

昨日訪れた渓谷。水が澄んでいて美しかったです。