森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい/「自分らしく生きる」を実践するブログ

たまには自分の未熟さを自覚して、自己を振り返ってみることも大事

社会が少し落ち着いたかな…と思った矢先、また大きな事件が起きてしまいました。

非常にショッキングな出来事で、あの日は言葉を失い、おとなしく静かに過ごしました。

 

ところが、ちらりとネットの世界を覗くと、死人に鞭を打つような言葉を吐き続ける人がウジャウジャ湧いていて、生理的に「ちょっと無理…」と思いました。

 

どっちが正しいとか、間違っているとか、誰が悪いとか、裏で繋がっているとか…云々。そういうことは全て抜きにして、ただただ純真に気持ち悪い…と感じました。

 

どんな人間にも表と裏があるし、ポジティブな部分とネガティブな部分、光と闇、そんな両極端なものを、全ての人がみんな平等に自分の中に併せ持っています。

 

おそらく世の中の多くの人々は、自分の良い面&ポジティブな面を表に出していき、良くない部分やネガティブな面はなるべく表に出さないよう自分を律して、ちゃんと周囲に気を配ってきたと思うのです。

それで、みんな自分のいい面を発揮しながら、よりよい社会生活を送ってきたし、こうして世の中の秩序を皆で守ってきたのです。

 

これらは「マナー」や「エチケット」として、大人から子へと教えられ、みんな、自分の心の闇やネガティブな面は外に出さないよう、自分を戒めて、周囲に気を配りながら生きてきたのです。

 

ところが、最近の世の中を見渡すと、自分のネガティブな感情や心の闇を、躊躇せず表にどんどん出す人が増えてきたように感じるんですよね。

 

今は堰を切ったかのように、ドロドロと自分の汚感情を吐き出して、誇示するように他人にぶつけて、自分の憂さが晴れればそれでよし…みたいな価値観の人が、表にウジャウジャと出てきているような感じがします。

 

そして、自分と異なる思想や主観だというだけで、一方的に敵視し、憎しみを募らせ、相手を徹底的に侮辱したり…。

 

相手を見て、自分と異なるイデオロギーの持ち主だとわかると、相手の人権も尊厳も平気で傷つけていいと信じ込み、相手の話には一切耳を傾けず、ただ一方的に悪者扱いし、どれほど叩いて叩きのめしても、自分は一切悪くはないと言い張ったり…。

 

そんな歪んだ正義感にに酔いしれている人が、ある一定数存在していて、そういう人達の声がどんどん大きくなっているのを感じるんですよね。

 

良識ある人たちは、あそこまで大きな声を立てて、誹謗中傷や人の尊厳を傷つけるようなことを吐き続けたり、周囲に吹聴したりはしませんよ。

 

ところが、自分を律することができない人たちは、相手の人柄と良識に甘えて、相手が攻撃してこないことを良いことに、言いたい放題やりた放題で、それを自慢しているところがありますよね。

 

その上、自分が過去に放った軽口や悪口の責任は一切とらないし、むしろ自分は正しいことをしていると信じ込んでいる…。

 

ただただ一方的に、相手の人物像を「こうだ」と決めつけて、一度こうだと思い込んだことは絶対に離さず、ずっとロックオン状態で攻撃し続けるんですよね。

妄想に縛られているというか、決めつけやこだわりが強すぎて、相手の話を勝手に自分の都合のいいようにねじ曲げて解釈するし、もう話し合いなんて完全不成立な状態ですよ。

 

話が通じない人たちにうっかり本音を言おうものなら、噛みつかれて酷い目に遭いそうで、ホントまじ怖い。

全く嫌な世界になってしまったなぁ…と、しみじみ感じます。

 

これ、政治や経済など社会の一部分のみで起きていることかと思いきや、市井の人々間でも、全く同じことが起きているんですよね。

 

自分の期待通りに動いてくれない相手に対して、異常なほどイライラしたり、陰で悪口を言ったり、相手に面と向かって嫌味を言ったり、ハラスメントをしかけたり…等々。

 

自分は「これが正しい」と信じていても、相手も自分と同じように信じているとは限らないのに、相手が自分が期待した通りにふるまってくれないと、怒りが沸いて攻撃したくなる…。こういう人が、身近でもチラホラ出てきているんですよ。

 

同調圧力に屈せず、自分の意思を貫いて生きている人は、きっと周囲の「固定観念が強すぎる人たち」「人に自分の期待を押し付ける人たち」とうまくいかず、関係がどんどんこじれているんじゃないか…と思います。

 

でも、「同調圧力」とか「周囲の期待に応えなくてはいけない」ということ自体、もう昔の古いあり方なんですよね。

 

相手のことを腹立たしいと怒る前に、「どうして相手は自分の期待に応えようとしないのか?」の根本的な理由を客観的に俯瞰して考えてみるべきなんですよ。

 

そして、その時、「相手が悪い」で話を終わらせるのではなく、自分自身が「偏った物の見方・歪んだ受け止め方・古臭い価値観」で凝り固まっていないか?思考停止状態に陥っていないか?…と、自分を振り返ることも必要だと思うのです。

そうそう「自分にも非があるんじゃないか?」という視点。

「実は自分の方が無知で未熟で、世間知らずなんじゃないか?」という観点。

こういう意識を持って、カッカとのぼせた自分の頭を一度冷やして、じっくり自分を見つめ直し、自分をリセットすることも必要なんですよね。

 

今まで一方的に、他者の悪口や非難をしてきた人たちは、自分は正義だ・自分は被害者だ・自分は間違っていない…と強烈に信じ込んでいると思うのですが、そのビリーフをいったん外して、自分を客観視することが必要なんじゃないかな…と思います。

 

要は、一度も会ったことがない相手に対して、極一部分の情報のみで、感情移入しまくり、異常なほど敵対心をもって怒りを募らせ、憎しみを煮えたぎらせている…という人たちは、めちゃめちゃ思考が偏り過ぎていて、非常にバランスが悪い状態にいるよ…ということです。

 

粘着しすぎ、固執しすぎなんです。自分の意識が、ベッタリと他者に貼りついていて、常に相手に対するネガティブな思考で凝り固まり、感情的に縛られている…ということです。

 

こうして偏屈になってしまった人たちからは、ポジティブな光や自由なエネルギーは全く感じられないから、だから思わず「気持ち悪い」という印象を得てしまったのでしょうね。

ちなみに「気持ち悪い」とは、相手を責める意味は1ミリもなくて、純真に「私とは合わない」ということです。私とは合わないけど、私以外の人で合う人は当然いるだろうから、その人たちの意見は尊重する…ということです。

 

そして、今回書いたことは全て、私個人の思いなので、私の勝手な独り言だと思ってください。

皆さんも私と同じように思いなさい・感じなさいとは言いません。

 

みなさんは、皆さん自身の感覚と感性を大事にしてくださいね。

 

懐かしい画像。これは知恩院の蓮。