森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい/「自分らしく生きる」を実践するブログ

余計なことは見ざる・聞かざる・言わざる

いろいろ思うことはあるけど、「あえて言わない」を選択することが結構増えてきました。

これは「書く」ことも同様で、感じることはいろいろあるけど、「あえて書かない」を選んで、公開しない…ということが多くなりました。

 

私が感じることや思うこと。

それらについて、もしも「教えてほしい」「話してほしい」と相手から求められるのなら、きちんと言葉にして伝えていくけど、求められていないのなら、あるいは、自分が伝えたいと強く感じないのなら、無理して相手に伝える必要はないのではないか?…と思うようになったから、なんですよね。

 

「口は禍の元」と言うけど、余計なことを言わず、サッと通り過ぎていくことも大事なんじゃないか…と思うのです。

 

自分が言わなきゃいけないタイミングの場合、自分でもピンときます。

わかるから、その時は言えばいい。

でも、言葉にして伝えるタイミングではないのに、自分のエゴが発動して「わかってほしい」の承認欲求から、自分をぶつけるように喋りすぎてしまうのは、後で禍根を残します。

 

禍根を残すと、自分もつらいし、相手も嫌だろうし、ギクシャクしちゃうし、いろいろ面倒臭いことになります。

だから、必要でない場面では、無理して喋らない、口を閉ざす。

…そんな風に、自分の意識も変わってきました。

 

要は、もうこれ以上カルマを増やしたくない…ということかな。

 

だから、今もいろいろ思うことはあるけど、言わないし、ましてやSNSで書き流すこともしません。

ただ、目の前のことに対して「私の意見はこれだ」と確認したり、自分の判断や立ち位置等をチェックしたら、そのまま手放すようにしています。

相手に対して、無駄に感情移入しても、あるいは、感情的な反応をしても、私には何の得もならないからです。

 

起きてくることや、何か心に引っかかることに対して、いちいち感情的な反応をして、自分の心をネガティブに動かし続けていたら、体も心も持たないし、もう大変ですよ。

 

他人の事で自分を無駄に消耗しないためにも、客観的であり続ける方がベストです。

 

人に意見するということは、「相手の人生に介入する」ということでもあります。

「乞われてもいないのに、人に意見を言い続ける」ことは、自分の意見の通りになるよう、相手コントロールしようとしているんです。こうして、相手の人生に関わり続け、他人様の人生に干渉するということです。

自分以外の他者をコントロールし続けるって、非常に大それたことですよ。こんな大それたとを自分はしているんだ…という自覚があるのなら、話は別だけど、自覚もなく、また覚悟もなく、あまり深く考えずして、単に「自分の思い付き」で安易にやっているとしたら、大変なことですよ。

この人生において、知らないうちに大きな罪を負うことになってしまうので、気を付けるべきだと思います。

 

これは、身内や家族に対しても同様。

 

「思うことがあっても、言わない」というのは、相手の人生を尊重していることの証だと思っています。そう、相手の人生は相手のものとして、相手の意思を尊重し、真から信じて任せている…とうことじゃないかな。

 

もしも、どうしても言いたいことがあるのなら、「これは私の意見ですが」と前置きしたうえで、「相手は悪・自分は正義」というジャッジは無しにして、ただ自分の思うことを素直に正直に伝えればいい…と思います。

そして、伝えたら「聞いてくれてありがとう」と礼を言って、その話は終わり。

 

視点をまた自分に戻して、自分の人生に集中すればよし。

 

この激動の時代、他人の言動がいちいち自分の心のフックに引っかかるようでは、エネルギーの消耗が激しくて大変なので、フックは外して、自分の人生に自分のエネルギーを使うことが大切だと思います。

 

 

ヤブカンゾウが鮮やかに咲いていました。