先日、偶然ばったり出会った知人と立ち話をしたのだけど、その時「あれ?この人、こんな人だったっけ?」と違和感を感じるシーンがいくつもあり、ちょっと驚いた。
以前は、いろんな場面できめ細かい配慮をしてくださる方で、その細やかな気遣いは、無理して自分に嘘をついてやっているような偽善的なものではなく、その人のたしなみとしてナチュラルに純真に発揮されるものだった。
だから私も、その方と話していて、明るい気持ちになったり、元気が出たり、なんというか私にとって「生きる潤滑油」のような存在でいてくださった。
ところが、最近、その方と話していると、押しの強さに「あれ?」と感じることが増えてきた。何となく違和感を覚えてモヤモヤするけど、そこは上手にやり過ごして、特に問題なくスルーできていた。
ところが先日、とうとう「あぁ、もうこの人と会うのはつらいなぁ」と感じるまでに至ってしまった。
もちろん、根本的には良い人なんだけど、でも、きめ細やかな配慮が消えたと同時に、その方の中からデリカシーまでも消失してしまったような感じだった。
会話の中でその人は、相手の心中の奥にある、誰にも触れてほしくない「繊細な部分」に、平気でツカツカと上がり込むように話をしてくる。そして、表向きは「質問」だけど本質は「詰問」という感じで、しつこく何度も聞いてくる。
相手から質問の答えが引き出せるまで、とにかく執着する。こうして、相手から聞き出したことを、今度は周囲にも聞こえるような大きな声で何度も繰り返し口に出してくる。
デリケートなことまで、大きな声でガーガーと聞き出し、ゴイゴイと押して話してくるので、こっちはヒヤヒヤものだ。周囲に人がいたから、私はかなり気を遣っていたけど、その人は、全然お構いなしで「自分が100%正しいのよ」と言わんばかりに、自分流の「我の強いコミュニケーション方法」で私に押してくる。
こんな調子で、その人と話していると、私の予想の斜め上を行く話をぶち込んでくるので、「えっ?えっ?…」と何度も驚いた。ここまでくると、私もかわしきれない。
私は完全に相手のペースに落ちていた。
なんとか話を終えて別れたけど、後味は悪く、モヤモヤした気持ちがいっぱい残った。
だけど、どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
以前はもう少し線引きができていた気がするんだけど、いや、もしかしたら、あの人はもともとこういう人だったのかもしれない…。そんな気もしてきた。
今はエネルギー的に、隠し事ができない時である。
秘密は暴かれ、隠れていたものがどんどん剥き出しになっている。現に日本や世界の様子を見渡すと、過去に秘密だったことが、どんどん表舞台へと引きずり出されている。
これまでは日の当たらない深い闇の中に埋もれていたもの、誰も知らず誰も気づかず、当の本人でさえわからなかった様々な物事の本質が、どんどん明るい光の下に晒され、明らかになっている。
良くも悪くも「オープンになっていく」とき。個人レベルでも同様だ。
人々の個人的な小さな隠し事までもが、どんどん開かれてさらされて暴かれている昨今。
そう思ったとき、あの人の今の様子も、突如新しく出てきたモノではなく、もともと本人の中で眠っていた気質なのかもしれない…と感じた。
そしてこれは、私自身にもあてはまる。
私自身も、実はメンタル面でかなり揺れ動いている。
私の場合は、強烈に「過去の記憶」が噴出してきて、ひどく心が揺さぶられている。春からずっと続いていて、この夏も結構大変だった。
こんな時は、精神的にもなりキツイ。
とはいえ、過去の記憶(過去世も含む)に振り回されるのは嫌なので、記憶の揺さぶりを受けたとしても、私はなるべく「ご機嫌でいたい」と思っている。辛い部分は自分の問題として素直に受け入れ、その一方で、しんどさに飲み込まれないよう自分をキープし、自分のメンタルを安定して保つよう踏ん張っている。
しかし、普通の人の場合、世界を流れる「オープンさを促すエネルギー」の影響をモロに受けて、理性のタガが外れ、無意識のうちに「自分の本質」が全面的にむき出しになっていることも多々あると思う。
ちなみに、「自分の本質」に気づかないまま、一生を終える人もきっと多いだろう。
だからこそ、今は「早く気づけよ」と言わんばかりに、どんどん自分の我が表に出ているのかもしれない。
そうして表出した自分の本質が、「ポジティブなもの」ならば、トラブルが起きても、それが相手にとって必要な体験として消化されるだろうけど、「ネガティブなエネルギーを含むもの」だと、周囲に対して毒となり、また、自分にとっても毒となって、様々なトラブルの原因になってしまうだろう。
こうして周囲の人や自分自身を無自覚に傷つけてしまう原因になっていく。
とはいえ、本質の剥き出しによって摩擦が乗じて発生する様々なトラブルも、見方を変えれば、気づきの成長の糧になるからとても必要で大事ななものなんだけど…ね。
…とまぁ、先日の知人との交流から、私は「人間関係」について深く考えさせられたのだった。
自分の我を出しても、トラブルの火種になるどころか、「そのままでいいよ」と愛されるような自分でありたいと思う。
そして、どんな時も裏表がなく、どこから見ても正直であり、誰に対してもちゃんとリスペクトできる自分でありたいと切に願う。