森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

勇気を出して、自分と向き合う

ご無沙汰していました。10日ぶりの更新です。

 

 

変化を促すエネルギーがどんどん加速していて、今はどんな人も全て「変化」を受け入れざるを得ない状況だと思います。

 

これは集団だけでなく、個人レベルでも必要なことで、個々で自分に課せられた変化のチャンスと向き合い、「変化が当たり前の社会」に適応していくことが大事だと感じます。

 

今後のことを考えると、今は嫌でも自分をアップデートしていかないといけない時期。そうしないと先々、非常に生きにくくなっていく大事な時なんですよね。

 

この時、変化の足を引っ張るのが、「思い込み」「固定観念」「刷り込み」「決めつけ」「頑固さ」「こだわりの強さ」です。

 

軽やかに変化していくには、これらを手放すことが必須で、気づいた人からどんどん手放して、思考に柔軟性を持たせ、ゆるやかにしなやかに変化の波に乗っかれることが大切です。

 

 

だけど、この「手放さなくてはいけないもの」というのが、実は私たちが想像している以上に、かなり私たちの心根の深い部分にまで突き刺さっているものが多く、また、社会に広く浸透しているものだったりします。

 

あまりに日常の中に深く沁みついているから、なかなか気づけないのも難点。また、精神的に結構キツいんですよね。

 

だけど、個々に「これはもう自分には合わないものだ」と気づいたら、一様に「不要物」として付き合い、向き合っていくことが大事です。

 

 

これら「今から手放さなくてはいけないもの」は、あまりに深部にまで突き刺さってきたため、自分と同化してしまったかのようなものも多々あります。

 

遠い昔、「これは大事だから、しっかりつかんでいなさい」と刷り込まれたものだったり、あるいは、自分で「これをしっかりつかんで生きよう」と決めたもの。そういうのが、自分と同化してしまい、自分と見境がつかなくなっています。

 

長い間離さず、しっかりつかんで長い間生きてきたことにより、自分の一部分になってしまっているのです。

 

だから、いざ、手放す段になると、

 

・これを手放しても大丈夫だろうか?

・これを止めたら、私はどうなるんだろう?

 

…と、かなり不安を掻き立てられると思います。

 

それでも、勇気を出して、手放すことが必要なんですよね。

 

 

ずっと「自分の一部分」だったとしても、これからの自分の足を引っ張るようなものであるなら、今は、自分の魂が「要らない」と正直に叫んで教えてれます。

 

この叫びに気づくことで、自分と真摯に向き合い、不要なものを手放そうとする気持ちが生まれてくると思います。

 

だけど、少し前までは、こうした魂の声は、自分の理性で押さえつけることができました。「手放すことで、社会的に不利益を被る」と刷り込まれているから、自分を守るために、更に理性で魂の声を押さえつけて、ずっと無視してきたのです。

 

こうして私たちは自分の本心を抑圧して、社会や他人の期待に応え、社会が求める生き方を一生懸命にやっていくことで、一生を過ごしてきたのです。

 

だからみんな、自分の本心にふたをして、刷り込まれたものを「自分だ」と信じて生きてきたんですよね。

 

だけど、今まで「これが自分だ」と信じてきたものや、世間一般で「常識」と崇め奉られてきたこと等を、これからは、「自分にはもう要らない」と感じるのなら、素直に認めて、自分から主体的に手放さなくてはいけません。

 

ところが、これがなかなか簡単にはできなくて、難しいのです。

 

本当の自分を知りたい人&本当の自分を生きたいと願う人は、スムーズに移行できるんですが、「本当の自分」に蓋をして、自分に我慢を強いて生きてきた人たちは、今までの自分の努力を否定されるような気がして、なかなか素直に現実を受け止められません、

 

そんなところから、多くの人たちが葛藤を覚え、悩み苦しんだり、悶えたりしています。

 

人間はみんな個々に直感センサーを持っているので、潜在的に「これを手放した方が良い」ということは直感的にわかっています。

 

だけど、その直感を「こうしなくてはいけない」という思い込みや固定観念が押さえつけて機能させなくしているんですよね。

 

しかし、季節や時節の移り変わりとともに、自分の意識が変わり、「今までは大事だと思っていたけど、これはもう手放す時だ…」と悟るときが出てくるかもしれません。

 

 

自分の思い込みや固定観念が強い人ほど、自由な道を歩けません。

何かを手放す段階になると、世間一般で認められている社会レールから大きく逸脱してしまうような感じがして、大きな決断を迫られるような怖さを感じるのです。

 

この状況は、特に「気の小さい人」や「変化に対して臆病な人」には、キツイことです。変化のエネルギーに耐えられなくて、パニックになることもあります。

 

何かアクションを起こさなくてはいけない場面になると、心の奥から「不安」「恐怖」「怯え」「怒り」「心配」「自信喪失」といった感情が湧き出てきます。それらに押し切られる形で、「何もしないでおこう」を選択してしまうのです。

 

「ネガティブな感情で頭の中が満タンになる」という状態の中にいると、ネガティブな感情を「変化しない」ことへの言い訳に利用できるので、変化を恐れる人には好都合なんです。

つまり、ネガティブな感情を持ち続けることで、「変化」に対して抵抗している…ということです。

 

臆病な人ほど、変化を好まず、今まで通りであり続けることを願います。

 

そんな自分の願い(=「変化したくない」という願望)を叶えるために、ますます感情的な反応を剝き出しにしたり、更には、周りの人をも巻き込み、大騒ぎする人までいます。そうやって大騒ぎすることで、現状から目をそらして、問題を先送りしているのですよ。

 

多分、こういう人が、今はとても多いような気がします。

 

 

なかには、全然自覚もなく、表向きは「変化は大事」と言っている人もいます。

 

いざ自分が変化を突き付けられたら感情的な反応をするのに、表面では模範的なことを言う人もいます。

 

そんな感じで、なんだか社会全体で、混乱している人が増えているんですよね。

自分が言っていることと、心で感じていること、魂の声、それそれが大きくズレていくと、自分の中で摩擦が生じ、ますます苦しくなっていきます。

結果、メンタルや身体が病んでいったり、痛みや不快感を感じるようになるのですよ。

 

 

この夏の私の体調不良はまさにそれで、カラダにこびりついていた「こだわり」「決めつけ」「ビリーフ」(belif・心の底から強く信じていること) そして「刷り込み」が、もう手放してほしい!解放してほしい!と言わんばかりに、次々と不調という形で出てきました。

 

カラダの不調がすごかったんですが、それらに根気に向き合い続けていたら、「わたしのビリーフはこれか」といった気づきもありました。それらを「手放す」ということも、体調不調がきっかけて気づき悟りました。

ちなみに、手放しの決断に関しては、素直に従って行動したら、意外とアッサリできましたよ。抵抗しないことがポイントのようです。

 

 

中には、「えっこんなことまで?」と思うことも多々ありましたが、それらも「不要です」と自分に言い聞かせ、「もうこだわらない」「いつまでも掴んでいない」と誓い、ササっと手放していきました。

こんな感じで、夏を通り抜けてきたんですよね。

 

この手放しの作業は、今も続いていますが、最近はコツがつかめてきて、「あってこれもだな…」よくわかるようになってきました。

 

 

今は、私だけでなく、いろんな人が体調不良に陥ったり、メンタルがダウンしたり、いろんな問題や課題が噴出したり…と、何か大きな節目のような状態を体験しているようです。

 

だけど、それは大切な気づきのチャンスなので、深刻にならず、明るく向き合ってみてください。

 

自分を知る良いきっかけになるので、変化を恐れず、腹をくくって自分と向き合い、勇気を出して、自分の魂の声に耳を傾けてみてください。

 

彼岸花が咲きました