最近、また自分の中の「変化」を感じました。
それは、人から情報を引き出そうとする人が苦手になったことです。
以前の私は、自分のことをオープンにさらけ出すことが大事だと思っていたので、何を聞かれても素直に正直に答えていたんですよね。
だけど、最近は自分をオープンにさらす必要はないな・・・と感じるようになり、必要以上に私のことを聞きたがる人を「苦手だ」と感じるようになりました。
と同時に、人にあれこれ聞きたがる人には「傾向と特徴」があることにも気づきました。
私が「苦手」と感じたのは、この人たちはエネルギー泥棒だ…と気づいたからなのですよ。
人の情報を聞きたがる人たちは、基本的に「自分から動こうとはしない」人たちでもあります。尻が重くて、自分から立ち上がることはしません。
ところが、周りの人が動き出して、それで成功したという噂を聞くと、「自分も同じことをしなくてはいけない」と思うようなんですよね。
それで、自分も同じことをするために「どうだったの?」「何をどうしたの?」と、やたら細かい情報を聞きたがるのです。
他人から情報を引き出して、それらを脳にインプットし、自分も実際に聞いたとおりやってみるか、あるいは他の人たちとのお喋りタイムのネタにするつもりのようです。
だから、話を聞き出す時は、正確な情報をキャッチしなきゃいけないと思うらしく、まるで事情聴取みたいな聞き方をしてくるんですよね。
次々と矢継ぎ早に質問をしてきて、それについて感想やリアクションは一切なく、淡々と情報を聞くだけ…という感じ。本当に細かいところまでしつこく聞いてきます。
だから、聞かれる側はなんだか尋問を受けて責められているような感じがして、全然楽しくないし、どんどん気分が悪くなってきます。
相手の様子が、こちらの話を一字一句聞き逃さないぞ!という執念と、自分が納得できる答えを求めようとする貪欲さ、どんな状況だったのかきっちり確認しないと気が済まない粘着性…等々、そんなネガティブなところを丸出しにして、追及してくる感じなのです。
こんな風だと、話す側は、なんだか逃げ場がない状態に追い込まれているような気がして怖くなるし、息が詰まってきます。
それで、もし、相手の勢いに負けて、相手の意向に合わせるような曖昧な言い方をしたり、適当な言葉で濁して話すと、その話に尾ひれをつけて大きな話に捏造し、周囲に言いふらすこともあるため、気が抜けません。
私はなるべく当たり障りなく軽いタッチで答えるようにしているけど、それでも話し終わった後、相手が獲物を得たような満足そうな表情をしていると、私は「しまった、余計なことを言い過ぎてしまった」と思い、気持ちが萎えてしまいます。心底「答えなきゃよかった…」と後悔するんですよね。
更に困るのは、彼らの記憶力の良さです。
人の話をすごくよく覚えているのです。
人が何を体験しようと、それはその人の体験なんだから、私は「その場の話題」として聞き、話の後はケロッと忘れるようにしているのですが、このタイプの人たちは、他人が話したことをしっかり記憶しています。
話した当人もすっかり忘れているような小さな言葉尻まで、すごく鮮明に覚えていて、何かの折に「あなた、あの時、こんなことを言っていたよね」とズバリ指摘して念を押してくるから、「えっ!」と驚くとともに、恐怖すら感じるのですよ。
身動きできないようロックオンされて、全身をガッツリ掴まれてしまったような感じ…。
どうしてそこまで他人のことに関心を持ち、怖いほど詳細に人のことを覚えているのか…。私には不思議でなりません。
◇
ちなみに、私にとっては、以前、私が話したことは「そのときの私」が語ったことであり、今の私ではないのです。もう過去のことなんですよね。
だけど、人から情報を引き出したがる人たちは、時間が止まっているのか?…「過去の私」と「今の私」の区別がつかないみたいで、「過去の私」を「今の私」と重ねて見るため、「今の私」はもう過去の私ではない、全く別人なんだ…という理解ができないようです。
この「今の私」と「過去の私」という概念ですが、これから激動の世界を生き抜くのに、とても大切な観念だと私は思っています。
これはどういうことか?といいますと、「今の私」は秒単位で常に生まれ変わっているから、たった数分前の私であっても「過去の私」…ということです。
(これはお釈迦様が説いている観念でもあるのだけど)、人間の意識は肉体の細胞よりも早いペースで新陳代謝を繰り返しています。生まれては死に、生まれては死に…を、光と同じスピードで絶え間なく繰り返しているのです。
だから、「過去の自分」は「今の自分」とは異なる自分なのです。
そういう前提で、人との関係を見たとき、誰か人と話すときも、「以前のこの人」の記憶は消して、「今この瞬間のこの人」という視点で、相手を認識する必要があるんですよね。
つまり、過去にとらわれず、今この瞬間を見ていく…という感覚です。
じゃないと、とんでもない間違いや失敗を犯してしまうので、要注意なのです。
わかりやすく例えると、以前は心から好きだった人のことが、今は全然好きじゃない。むしろ嫌だ…なんてことがあります。
昔は好きでも、今は嫌だと感じているのに、相手は「昔あんなに好き同士だったんだから…」と言い寄るパターン。
これと同じで、昔はどうであれ、今は「嫌い」と思うなら100%「大嫌い」なんですよ。
昔「好きだ」と言ってくれた相手が、今もずっと好きでいるとは限らないし、相手が誰を好きであろうと、その人の自由なんですよね。
だから今、相手から「大嫌い」と言われたのなら、それが相手の真実。ならば素直に認めて受け入れていかなくてはいけないのです。
ところが、そのあたりの線引きができないルーズな人は、「あんなことを言っているけど、昔は違ったよね」と、自分の都合の良いようにねじ曲げて解釈します。それで悲劇が起きるのです。
勘違いしないよう、相手の「今」をちゃんと見て、それが「真実」なんだときちんと認識することが大切なんですよね。
そういう点で考えると、他人の情報をやたらと聞きたがる人々は、「自分と相手は全く別の存在であり、全く異なる人生を生きている別々の存在なのだ」という認識が欠如しているのかもしれません。
相手の情報を聞き出すことが、その人にとっては「お得」なことかもしれませんが、聞けば聞くほど、相手に感情移入するだけです。
感情移入は、イコール相手と自分を同化してみることなので、もしかしたら「聞きたがる人」は、相手の情報を握ることで、相手の人生に干渉し、相手を精神的に支配したい人なのかもしれません。
あと、困るのが、人から聞き出した情報を元に、自分も実際にやってみたとき、万が一うまくいかなかったら、「あなたの言うとおりにしたのに失敗したのよ」と、必ず報告してくるところです。
うまくいかなかったことをネタに、また尋問してくるんですよね。自分が納得できるまで、しつこく説明させるのです。
そして、最終的には「責任をとってほしい…」みたいな話へもっていこうとします。責任追及をしてきて、自分がうまくいくまで自分のサポートをするよう要求してくるのですよ。
このとき、脳に記憶した情報を引き出して提示しながら追及してくるから、こっちは気持ち悪くて仕方がありません。自分のことは、自分で完結すればいいのに、やたらと他人を巻き込んでくるんです。
こういうのに絡まれると、エネルギーを抜き取られる上に、相手の低い観念に合わせてあげないと話が通じないから、すごく疲れます。
過去の私は、どんな相手であろうと「相手のためになれば…」と、ついつい親身に接する癖がありましたが、今はエネルギーを消耗するだけだし、相手のためにならないので、一切やめました。
もうこんな面倒なことには巻き込まれたくないし、こういう人は私の人生には必要ないので、線を引いてキッチリ割り切ることにしました。「余計なことは言わない。説明も解説もしない」←このスタンスでいこう…と決めましたよ。
この割り切りのお陰で、ずいぶん楽になりましたわ。
私が、こうしたタイプの人たちにお伝えしたいことは、失敗してもいいから、自分で「やってみたいこと」を見つけて、それに勇気を出して自分から率先してチャレンジしなさい!ということです。
そして、自分自身に対しては、嫌われても良いから、自分を大事にしようね!ということです。
いつまでも他人に粘着して、人に「どうなの?」「どうしたの?」「うまくいったの?」「どんな結果だったの?」と聞き出すことばかりしていて、自分からは1ミリも動こうとせず、たまに動いて失敗したら、すぐに人のせいにして殻に閉じこもる…。
これでは、何もしていないのと同じですよ。
それに、「しつこく聞く」という形で、他人からエネルギーを奪って、それで「やっている」つもりになって生き続けていく…。
こんな人生では、最期にかなり後悔することになりますよ。
この状態はまさに餓鬼ですわ。
人生を怠けていると、こんな餓鬼みたいな人になっちゃうんですよね。
こういう人たちに絡まれた時は、当たり障りがないよう上手にお断りして、余計なことを一切言わないように気をつけています。
ちょっとでも餌をまいてしまうと(=私の情報を話す)、その餌に飛びついてガツガツ食い尽くそうとするビジュアルが見えてしまうので、相手を餓鬼道に落とさないよう、さっと話を切り上げて、その場を去るように心がけています。
自分のことを話す場合、相手をよく観察して、信頼できる人にのみ自分をオープンに開いて伝えていく。こうしたケジメは、これからはすごく大事ですよ。
自分への戒めも含めて気を付けなきゃいけない…と、しみじみ感じます。
公園の落ち葉。色とりどりできれいです。