森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

勇気を出して、自分の課題に取り組む

12月も早いもので、もう後半戦。

今年も残り2週間を切ってしまったというのに、私の意識は、いまだに「年末」という自覚が全然なくて、いつもと変わらないメンタルで過ごしています。

 

以前の私は、同居している家族の「年末年始は、こうしなくてはいけない!」という強固な固定観念の影響をモロに受けて、心身共に強烈に縛られていたんですよね。

 

毎年12月になると、同居家族からのプレッシャーの矛先が、嫁である私にストレートに向けられているのをビンビン感じて、息がつまるような苦しさでした。

 

彼らのご機嫌を損ねないようにピリピリと気を配り、彼らが決めたスケジュール通りに、手の込んだ年末年始の準備をしなくてはならず、常に「あれをしなきゃ」「これをしなきゃ」と忙しく過ごしていました。

 

彼らは、自分たちにとって「理想の年末年始」にするために必死で、私の意見など全く聞こうとしないし、むしろ私のことは半人前のダメな人間と言う認識でいて、家族ではなく「家のために働く存在」だと思っている感じでした。

 

当時の彼らは、普段から私の存在価値など全然認めていなかったと思います。

いつも私の悪口を陰で言っていたことを私は知っていたし、そんな場所に私の居場所は全くありません。

 

いつもは、離れの家で彼らと距離を置いて過ごしていましたが、年末年始になると、そんなわけにいかず、年越しには一緒にいなくてはいけないので、つらいけど頑張って「大人の対応」を貫き通して過ごしていました。

 

だけど、彼らの一人が亡くなり、もう一人も年老いてパワーが落ちていき、心穏やかに落ち着いていきました。そうなると、以前ほど「家」や「習慣」に執着・固執することが無くなっていき、私も精神的にすごく楽になりました。

 

誰かを犠牲にしてまで、守らなくてはいけない…と、彼らが執着していたもの。

 

それは、「あの家は立派な家だ」「理想的で素晴らしい家族だ」と世間から認められたい…という強い承認欲求そのものでした。

 

更に、その欲求の根幹を辿ると、彼らが幼いころに受けたトラウマやコンプレックスがありました。

 

遠い昔、子供時代の体験が原因で強いコンプレックスを持つようになり、そのコンプレックスにずっと心が縛られていたようなのです。そのため、自分たちの暮らしや生き方を四角四面で「こうしなくてはいけない」と決めつけてしまい、そこに無理やり自分を当てはめて生きてきたようなのです。

 

さらに、自分たちのコンプレックスを刺激しないよう、また、これ以上自分を傷つけないよう、私たち家族に対して「あれはだめだ」「こうするべきだ」と口をはさみ、自分たちの価値観を押し付けてきたのです。

 

特に、私のことは、「嫁」という外部から入った存在ということで、うまくコントロールできないという苦手意識から、彼らの頭の中で「危険分子」とレッテルを貼ったみたいです。

 

私が自分たちの許容範囲を超えるようなことをしないよう、また、世間体を汚さないよう、常に私の言動を監視して、細かいことまで干渉してきました。

別の見方をすれば、監視・干渉・管理を徹底することが「親の愛」だと頑なに思い込んでいたところもあったと思います。

 

それに対して、私たちが何か自分の意見を言おうものなら、激しい怒りで抑圧してきました。

 

彼らは「自分に意見する=自分たちに逆らう」という認識だったらしく、子や孫は自分たちの言うことに黙って従うものだと信じていたのです。

 

そのため、何をするにも、いちいち彼らの許可をもらわなくてはならず、彼らの許可なしで黙って自分たちのやりたいことをすると、露骨に嫌な顔をされて、頭ごなしに反対され、嫌味を言われ、最後は自分たちの納得のいく形に収めよう(←自分が世話してやったからうまくできたんだ!という形へ無理やり持っていこうとする)と干渉してきました。

 

こうして書き上げていくと、なかなか壮絶な世界ですよね。

 

だけど、こんな世界で、私は、人生の中で一番輝かしい20代後半から40代を過ごしてきました。この頃は「自分」なんて全くありませんでした。自分(自我)があると息苦しくて死にたくなるから、自分の中から「自分」を消して、彼らの人形として生きていくように自分を律していました。

 

今振り返っても、よく生きていたなぁ…と思います。

 

 

 

しかし、あれほど怖くて大嫌いだった年末年始なのに、今はそれほど嫌でなくなりました。こんな境地に至ったのは、ここ3~4年前からです。

 

あれほど恐怖政治を強いていた家で、私も夫も恐々としていたのに、今は明るく穏やかな雰囲気にがらりと変わりました。

 

当時は私たちの気持ちなど聞く耳を持たず、意思の疎通が一方通行で、こちらが折れるしかなかった家族も、今は、私たちの話に耳を傾け、冗談を言って笑うようになり、私達を気遣ってくれるようになり、何でも気兼ねなく話し合えるようになりました。

 

 

こんなに大きく変わるなんて…。昔の私が知ったら、腰を抜かすほどビックリするでしょうね。

 

怖くて何も言えなかった私が、ある時から「もうこんな生活は嫌だ。自分を大事にしたい」と思い立ち、相手にキレられても、陰でさんざん悪口を言われても、植え付けられた罪悪感に苛まれて胸が苦しくなっても、ひるまず恐れず、勇気を出して正直に自分の気持ちや意見を言うようになってから、少しずつ変化していきました。

 

絶望から何度も死にたいと思い続けてきましたが、死ぬ前に、できることは全部やりつくしてからにしよう…と腹をくくったのです。

 

そこから、運命が大きく変化していきました。

 

 

過去を振り返りつつ、今の心の境地から当時の状況を俯瞰して思うに、当時あれほど私たちを抑圧し支配してきた家族は、もしかしたら、魂レベルでは私の正直な意見を求めていたのかもしれません。

 

マインドの反応は、「意見することは絶対に許さない!」とキレまくって手が付けられなくなり、精神的恐怖を私たちの心に刷り込み、絶対に自分に歯向かわないよう抑圧してきたけど、彼らの魂は、もうこんな生き方や価値観は早く手放して、明るく心穏やかに幸せに暮らしたかったのかもしれません。

 

ちなみに、昔の私は、「本音を相手に正直に伝える」という行為がすごく苦手だったんですよね。しかし、苦手だからこそ、これは私の課題でもありました。

 

もしかしたら、この「本音を相手に正直に伝える」という私の課題は、彼らの固い心の鎧を脱がせるための、彼らの心の鍵穴にスッと入る鍵だったのかもしれない。…と、まぁ、そんなことをふと感じるのです。

 

 

もう少し早く私が言ってあげれたら、もっと早い段階で、彼らの人生がより良く変わっていたかもしれないなぁ…と思うのです。

その一方で、「期が熟すまで、ここまで時間が必要だったのかな…」とも思ったり。

 

 

だけど、どちらにせよ「今の私が居心地よくなった」のだから、これで良かったのですよ。そう信じよう。

 

世の中には、いろんな人がいて、いろんん問題やトラブルがあるけど、問題の本質から目を背けず、問題の根幹から解決していこう!という姿勢はすごく大事だと思います。

そして、問題をクリアにするためのアクションも、すごく大事。

 

アクションを起こして、行動して、行動によって体験を積むことが、結果的に「人を変えていく」ことにつながると思うからです。

 

ずっと心の中にあったコンプレックスやトラウマも、いろいろ体験していく中で、少しずつ克服できます。コンプレックスを克服して乗り越えられると、心の中にある「恐怖」が一つ消えて、その分、明るく穏やかな気持ちになります。←この姿こそが、本来の自分の「ありのままの素の姿」なんですよね。

 

つまりは、人の幸せとは、世間体が良いとか立派な肩書を持つことではなくて、自分自身が今「明るくて穏やかな気持ちでいられる」ってことなんですよ。

 

それに、気づくために、勇気を出して行動することなのだと思います。

 

今年を振り返ると、私は、自分の中にまだ残っていた「未解決の課題」に、あれこれ着手してきた一年だったなぁ…と思います。

 

とはいえ、まだまだ消化しきれていない「恐れ」や「不安」はあります。できれば、これからも、また新しいアクションを起こしながら、自分に気づいたり、不要なものは手放したりして、心を更に軽快に明るくしていきたいです。

 

雪の中をお散歩しました。