森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

「自分を守る」ということ

今年の正月三が日は、ずっと家で過ごしました。

どこへも行かず、家族でいつも通りの元旦を迎えたのですが、家族と共に過ごしていても、昨年の元旦と今年の元旦では、自分の心の持ち方が随分変わっていることに気づき、「あぁ、私も少しは成長したんだなぁ…」と感じました。

 

 

自由な時代であっても、私たちは今も血縁関係に縛られていて、(更に地方では、その土地にも縛られていて)、年末年始は地元で血縁者と過ごさなくてはいけない…という、昔ながらの掟に縛られています。

 

今までは「それが常識だから…」と当たり前のこととして受け止め、何の疑問も持たずに毎年粛々とこなしてきましたが、そんな習慣化してことであっても、コロナ禍を体験して以降は、「あれ?これって本当に必要なことなの?」と少し考えるようになりました。

 

私も、年末年始のことに限らず、生活のあらゆる場面で「あれ?」と疑問に感じられることが増えてきて、そのたびに立ち止まって「これは本当に必要なことなのか?」と考え直すようにしています。

 

ある意味、精査するチャンスを与えられているのでしょうね。

 

そのなかで、例えば、近しい人との関係においても、以前は、何かモヤモヤを感じても、そのモヤモヤの正体が当時の私にはよくわからず、そのままヘラヘラと笑ってスルーして、後で無性にイライラしたり、気分が落ち込んだり…なんてことが多々ありました。

 

だけど、今年に入ったら、モヤモヤに巻き込まれることがなくなり、モヤモヤしても「あぁ、これってこういうことなんだな」と俯瞰して状況を分析できるようになりました。そして、感情的な反応をしなくても、クールに対応して流せるようになりました。

 

多分、これは、前ほど感情移入しなくなった証だと思うのです。

 

相手と自分との間に「心の境界線」をきっちり引いていないと、相手の言葉や態度や行動に対して、ついつい感情的な反応をしてしまいがちなんですよね。

 

これが近しい相手だと、なかなか境界線が引けません。自分は引いたつもりでも、相手がズカズカと境界線を越えてくることもあります。

 

そんな時、境界線を突破してズカズカと入り込んできた相手にモヤモヤするのですが、境界線を越えて私を攪拌するようなことをしてきても、私が相手に感情移入しなければ、相手はただ自分の意見を言っているだけだし、自分のしたいことを勝手にしているだけです。つまり、私には何のダメージにもならない…ということに、最近ハッと気づいたのでした。

 

 

前の私は、まだ境界線が完全に引けていなかったんだろうな…と思います。まだまだゆるいところがあって、どこか甘えや依存もあったのでしょうね。

 

だけど、前回の記事で書きましたが、

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「自分を守る」と決めて、エネルギーを漏らさないと腹をくくったら、相手の言動に対してモヤモヤする必要がなくなったのです。

そして、相手のことを客観的に俯瞰して観察できるようになりました。

 

相手が己の未熟さや傲慢さや勘違いを私に見せつけてきても、「これがこの人の在り方なんだな」と受け取り、相手がそのままの姿でいることを尊重しよう…と思うようになりました。

 

今までの私は、相手のネガティブな影響をダイレクトに受けてしまうのが嫌で怖かったんだろうな…と思います。

 

でも、よくよく考えたら、そもそも相手の影響なんて受けなくても良かったんですよね。「何か言っているなぁ」「何かしているわ」と観察して、そのままスルーすればいいのです。そして、相手から何か言われたら、自分の感覚や気持ちを相手に伝えて、意見交流をすればいいんです。

 

そう割り切ったら、これが自分を守るガードになった感じです。スッキリしました。

 

これは私にとって「新しい心の境地」であり、ちょっと不思議な感覚です。

 

 

相手との間にきっちり境界線を引いたということは、「もう相手のことについて私は責任を負いませんよ」ということであり、「あなたのやり方を尊重する代わりに、私も、もうあなたに自分を安売りすることはしませんよ。あなたがそういう接し方なら、私もそれに見合うスタイルにしますよ」…ということだったんですね。

 

「媚びを売る」じゃないけど、今までの私はちょっと相手に対して「いい顔」をし過ぎていたのかもしれません。「とても物わかりの良い人」という印象を持たれようと、必死に頑張りすぎてきたのかも…です。そして、相手の意見に従わなくては…と、自分にいろいろ押し付けすぎてきたのかも。

 

だけど、もう良い人であることは止めて、自然体の自分であり続けよう…と思いました。

 

こうして自分との他者の間に境界線をしっかり引いて、自分のエネルギーを漏らさないように気を付けていたら、驚くほどすごく楽になったんですよね。精神的にも肉体的にも…。

 

ちなみに、「自分を守る」という気持ちの根底には、「嫌われても別にかまわないよ」という思いがあります。

 

かなり割り切れているはずの私でも、まだ残っていました…「嫌われる恐怖」が。この「嫌われてはいけない」という観念、ある意味、呪いですよ(笑)。

特に昭和世代は群れるのが大好きで、孤立してボッチになることを極端に恐れる人が大人でも多いから、子どもたちに対しても「人から嫌われないように…」とすごく刷り込んでくるんですよね。

(これは、きっと私だけでないんじゃないかな。全国に「嫌われてはいけない」という呪縛にしばられて生きてきた人がたくさんいるのでは?)

 

「自分を守る」という決意のお陰で、自分の中にあった「心の変な癖」が抜けていき、スッキリしてきました。この調子で、もっともっと自分を大切にしていきたいと思います。

 

 

冬の空