今日は満月ですね。
もう数日前から、大きく明るい月を眺めてきました。
夜、月がきれいに見えるということは「空が晴れている」ということであり、そういう晩は放射冷却が起きて、非常に冷え込んで寒くなるのですが、それでも月の美しさに心惹かれて、ついつい眺めてしまうんですよね。
昨夜も、まるで満月のように大きくて丸い月が夜空に輝いていましたが、その月を見ていたら、
「自分を裁く」は消えていく
…というイメージがスッと下りてきました。
ちなみに、今はもうメッセージはありません。
全てイメージです。私が主体的につかもうとしないと受け取れないものです。
目に見えない世界も大きく変容してしまい、以前のような大衆向けのメッセージが簡単に受け取れるような時代は終わってしまったんですよね。
久しぶりに感じ取ったイメージは、自分自身をアップデートさせないと意味が理解できないだろうなぁ…と思わせるもので、いろんな意味で世界は変わったんだなぁと感じました。
さて、イメージの話に戻すと…
例えば何か失敗してしまった時、すごく悪いことをしてしまった気持ちになり、自分を責めたり、罪悪感に苛まれたり、恥ずかしくなったり、なかには人に八つ当たりして人のせいにしたり…等々。いろいろな反応をしますが、そういう感情的な反応について、今までは「それが普通」で「人間らしい反応」だったかもしれないけど、これからは、もうそれは人の意識から消失していく…ということです。
「自分を裁く」ということ自体が、自分をリスペクトしていない証であり、自分を裁く生き方は、もう機能しないということです。
自分を裁くのをキッパリ止めて、済んだことは全て、地球上の全ての人々にとって必要なアクションだった…と、自分のハラに落とし込み、「これで良かったんだ」と素直にすべてを受け入れて、そのまま乗り越えていく。これを絶え間なく続けていく…ということです。
「自分を裁く」というのも、結局のところは脳の癖なんですよね。
癖というか「こうしなさい」と刷り込まれてきたから、「そうしなきゃいけない」と思ってみんな条件反射的にやってしまうのですよ。
だけど、「自分を裁く」をやり続けても、地球には何のメリットもありません。むしろ、ネガティブなエネルギーを吐き出してまき散らすことにつながるから、そんなことはもうしなくていい、言い方を変えれば「迷惑だよ」ってことです。
今これに気づいた人々は、「自分を裁く」から卒業して、次のステージに行っていると思います。
自分を裁き、人を裁き、自分や他人の人生の揚げ足取りばかりをしている人々は、地球にとっては、ただの重苦しくてガチガチに固い「お荷物さん」でしかありません。
もうこれ以上大きな負担を、地球や自分自身に対して与えないために、自分の意識の中にある「裁き癖」を手放して、自分を解放していくことが大事だと思います。
自分で自分を縛っているのですよ、その癖によってね。
「自分を裁く」という癖、もう手放して、自分を解放して、自分を楽にさせてあげましょう。
私は、早速今日からそうしています。
何があっても、何が起きても、「しまった」と思うことがあっても、全ては宇宙の采配なんだと信じて、ドンマイ!と言いながら受け流しています。
それで良いんだ…と思っています。