いつの間にかGWに突入していて、あっという間に桜の季節が終わり、気が付けば季節は初夏へ。時の流れは本当に早いものですね。
季節の移り変わりの様子は毎回同じような感じですが、世の中の様子はまた更にゴッソリと大きく変わり、今までとは違った世界へと流れているのを強く感じます。今月(4月)は特にターニングポイント的な一カ月だったなぁ…と思います。
この一カ月を振り返ると、今まで見えてこなかったもの&隠されてきたものがどんどん露出していますよね。「えっ?そうだったの!」と驚くような暴露が出てきているし、人物についても「えっ?こんな人だったの!?」と良くも悪くも初めてその人の本質が見えてきて衝撃を受ける…なんてことも。今までは、「なんか変だなぁ」と感じつつも「きっと〇〇なんだろうな」とポジティブな解釈をして自分を納得させてきたのが、ここ最近「実は△△だった」というような事実が見えてきて、「やっぱりそうだったか」と妙に納得したり、あるいは逆にビックリしたり…ってことが多いですよね。
ホント、ある意味「化けの皮が剥がれた」というか、「メッキが剥がれた」というか、今までよく見えていたものの「本当の姿」が見えてきたというか、「正体がバレた」というか…汗。「要は「秘密が暴かれてきた」「隠してきたものが自然と浮かびあがって人目にさらされるようになった」「今まで見えてこなかったものが公の場でも普通に見られるようになった」という感じです。
それと同時に、魔法が解けて我に返った人、洗脳が解けて目覚めた人、「刷り込み」に気づいて自分を取り戻した人、真実に生きる覚悟を持った人…等もぞろぞろとた出てきているのを感じます。
かくいう私も、魔法が解けたというか、洗脳が解けたというか、はたまた呪いが解けたというか…笑。ハッと我に返って、縛りが解けたのです。長年にわたり、わたしの頭や心の中に巣食っていた「固定観念」や「怖い存在」が、実は全然力がない上に強くもなくて、意外と貧弱で未熟で大したことがない…ってことに気づき、「なんじゃこりゃ」となったのです。
目の前にあるのは、偉大な存在でなく、ただの石ころみたいな無益なもので力も器も小さくて何の影響力もなく、ただ虚勢を張っているだけのどうしようもない存在だったのです。そんなものに対して、わたしはずっと「恐怖」を感じていて、怖さから黙って従うことを選択し続け、結果それが「支配される」ことに繋がっていたのです。とにかく平伏して大人しく服従することが正しい姿なのだと信じ込んでいました。でも、その魔法が解けてしまった今、どうしてこんなものに恐怖や畏怖の念を感じていたのか?また、どうして今まで何も疑問を感じず素直に従い続けていたのか?自分でも不思議なほどでした。
今思えば、これって一種の洗脳みたいなものだったのでしょうね。
昭和時代は、いろんなところに支配構造の刷り込みがあって、普通に生きているだけで「支配される」「支配する」の価値観を自然と刷り込まれました。
そのため、権力を持った人に会うと、瞬時に「この人に支配されなくとはいけないんだ」と思い込んでしまうのです。そして、社会でも、黙って従順に支配をうけることが「美徳」とされていたので、優等生な人ほど、どんどん服従する立場を受け入れて、相手の支配下に自分を起き、相手の自分に対する理不尽な対応も我慢して受け入れようと、つい努力してしまうのです。
また、支配癖のある人は、自分の心の弱さを「人を支配する」ことでカバーし、さらに自分が強いる支配体制を強固にするため、自分を強くて偉大な人間に見せようとします。
こうしてどんどん支配・服従の関係が蔓延っていくのです。こんな不毛なからくりに、わたしたちはまんまと引っかかっていたわけですよ笑。
だけど、ここ最近、この魔法がパチンとはじけて解けてしまい、私は夢から覚めました。魔法が解けたら、まさに「何やってんだ?わたし」という感じで我に返りましたよ笑。
これからのわたしは、もう誰からも支配されないし、他者から支配をうけることを自分に許可しない。他人にヘラヘラして愛想を振りまく姿勢は改める。エナジーバンパイヤを引き寄せるような在り方・生き方は止める。自分の人生を他者に明け渡すことはしない…等々、という気持ちになりました。そして、ブレない自分を取り戻して、これからの人生は自分のために使っていこう。悔いのない充実したものにしていこう…と思いました。
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まだ目が覚めていない人々は、今も自分の家庭や職場、学校、地域、交友関係などで、慣れ親しんだ「支配構造」をこれからも維持していこうと日々奮闘していると思います。
そうした生き方もその人の人生なので、それでいいと思うし、わたしは全面的に尊重しますが、でも、わたしはもうその輪の中には入りたくないですね笑。わたしは遠慮しますが、やりたい人たちで自由にやってね…という気分。わたしにはもう関係のない世界です。もう要らないとはっきりと拒否していこうと思うのです。