森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

自分の「好き」と「嫌い」を知っておくことの大切さ

昨日、こんな記事を書きました。 

www.emiko258.com

 今回は、これ↑の続きです。

 

新しい時代のエネルギーに適応して生きていくには、まずは「自分を知る」ことが大切です。「自分は何が好きで、何が嫌いなのか。」・・・最低限、それくらいのことは知っておきましょう。
そうじゃないと、自分を正直に表現することができません。

何でもそうですが、自分をちゃんと知っているからこそ、自分のやりたいことが自由にきるのです。自分を知らないでいると、他人の意見に流されたり、他人の反応を感情的に受け止めて情緒不安定になったり、他人の言動に一喜一憂して振り回されたり、自分の気持ちがコントロールできなくなったり・・・等。

自分軸じゃなくて他人軸で生きてしまうことになります。これって本当に辛いことなので、とにかく、まずは「自分を知る」。ここに集中して欲しいな・・・と思います。


ちなみに、好きなことは好きと言えても、嫌いなことは嫌いと素直に受け入れられない。嫌いなことがあるのは人としてダメなことなんじゃないか・・・と不安になる。そういう人が多いかもしれません。
好きなことについては、たいていの場合、多くの人から好意的に受容してもらいやすいので、好きなことを「好き」を素直に認めることはやりやすいかと思います。

でも、それとは逆に、嫌いなものを「嫌い」と認めることについては、ズバリ「嫌い」と自分から率先して認め受け入れることに『罪悪感』を持ってしまいがちです。それで、ついつい人目を気にして「嫌いなこと」には蓋をして、無意識に嫌いなものがある自分を隠したがる・・・。そういう傾向が強いように感じます。
特に優等生で良い子で生きてきた人ほど、「嫌い」とズバリ認めることが苦手です。自分が「嫌い」という感情を持つこと自体、許されない・・・と思っていたりします。叱られたり、ダメ出しされるんじゃないか・・・と不安になるのです。子供時代から優等生で、親や先生、社会の期待に応えようと頑張ってきた人は特に、そういう傾向が強いかもしれません。

世の中を見渡してみると、自分の気持ちや感情まで、親や社会にコントロールされている・・・ということが多々あります。無意識の奥深くまで、刷り込まれた価値観が蔓延っている、なんてこともよくあることです。

親や社会から価値観や固定観念が深く刻み込まれていると、自分の素直な気持ちを認めることが難しくなります。

親が「嫌だ」と感じることを、自分も「嫌だ」と感じていると思い込み、親が「好きだ」と感じることを、自分も「好き」だと感じていると思い込む・・・。そうやって自分をコントロールして無意識に生きてしまうのです。これが子供時代から続くと、大人になる頃には、自分の「好き」「嫌い」が分からない人になっていくのです。

こんな感じで、素直で良い子であればあるほど、周囲の大人達の意向や期待を吸収して自分の中に取り込み、周りの人たちの意識や思考に同化して、周りの人たちと同じ感覚で生きようと無意識に頑張ってしまうんですよね(汗)。それで、ついつ忖度(そんたく)もしてしまう…(滝汗)

ここまでくると、「嫌いなもの」だけでなく、「自分の好きなもの」までも訳が分からなくなって、頭の中がゴチャゴチャでかなり混乱しているのではないでしょうか。

 

世間や社会が「良いことだ」「好ましい」と承認したことを、自分も「良いことだ」「好きだ」と感じ、親や先生が「あれはダメだ」「好きになれない」「嫌悪感を感じる」と言っているものは、自分も「ダメだ」「嫌いだ」と思う。これがだんだんと当たり前になっていくのです。そして周囲にも自分達と同じことを思うように感じるように…と強要します。

こういう人たちは、自分の感覚や感性で感じたことではなく、「他者の意見や意向」で自分の人生を生きています。これが正義で、自分の意見は絶対に間違っていない!と強いこだわりを持ちながら…。

こういう人が、実は意外と社会にはまだ根強く残っているんですよね(汗)。昭和世代の感覚が強く刷り込まれた世代に、今も多いように感じます。要は『昔の古い価値観に縛られて、自分の意見を持つことを許されないまま従順に大人になり、自分のことがよく分かっていないまま、今に至って生きてきた』・・・という人たちです。

こういう人たちは、今も昔のやり方に固執していて、世の中が大きく変化し続けているにも関わらず、その変化に自分を適応させる・・・ということができません。

本当は魂レベルで「嫌だ」「辛い」「もう嫌だ」と感じているはずなのに、世間体や社会の常識で頭がガチガチに凝り固まっているため、身体やハートの感覚が麻痺しているのです。感性豊かな人のことを「軟弱だ」と見下しているところがあるので、絶対に自分はそうならないと決めているのです。

だから、何も感じようとしないし、感じたことを受け入れる器も育っていません。とにかく頑固です。昔に刷り込まれた古い価値観を信じて何度も自分の正当性を訴え、自分がいかに正しくて力があるのか・・・ということばかり誇示してきます。

こういう人たちは、今後、ますます新しい時代のエネルギーからかけ離れ、また、新しいエネルギーに逆行するようなものなので、非常に生きにくくなると思います。

 

自分の感覚を取り戻し、最低限、自分の好きと嫌いを知っておくことは、これからますます大事になっていくでしょう。
ですので、自分の本当の気持ちが分からなくなっている人は、ここで立ち止まって、一度、自分の頭の中に蔓延っている「刷り込まれた価値観や固定観念」を外してみて、フラットな状態で、自分の周囲や自分の心を観察してみると良いと思います。
自分では「好き」だと思っていたものが、よくよく感じてみたら、実は本当は嫌で苦手なものだった・・・ということが沢山あると思います。また、この逆で、今まで嫌いだと思い込んでいたけど、本当は好きだった。親が嫌っていたから、自分も嫌いにならなくてはいけないと思い、頭ごなしに嫌っていたけど、本当は気に入っていて大事にしたかったんだ・・・と気づく、等々。

自分のなかを掘り起こしていけば、きっといろんな発見があると思います。

また、好きにも嫌いにも属さず、どっちでもない。別に興味も関心も無い・・・なんてものもたくさんあるでしょう。

別に無理して「好き」「嫌い」と黒と白に分けなくても良いんです。好きなものもあれば、嫌いなものもある。今は好きだけど、やがて飽きて嫌になるもの、今は苦手だけど、後々夢中になるものあるかもしれません。あるいは一生何の接点も無いまま、興味感心なくスルーしてしまうものだって、たくさんあると思います。
いろいろあっていいのですよ。一色に決めてしまわず、様々な色が重なり合い、グラデーションになっているような状態でも良いのです。それも自分自身。自分の心は複雑で多様なんだから、いろんな気持ちや感情が含まれていて良いのですよ。

そんな自分の多様性を素直に認めて、自分の中の複雑さを楽しみながら、「こんな自分もあったんだー」と発見していくことが大切だと思います。

そして、自分以外の人々の多様性と複雑さも、自分と同じように受け入れ、認めてあげること・・・。それもすごく大切。

単純そうに見えて、人間はみんな複雑で難しい生き物です。それを生きていく中で、いかに単純でクリアな存在にしていくのか・・・。これが全ての人々に与えられた「今世の課題」なのですよ(笑)。その1つとして、最低限「自分の好きと嫌いを知っておく」ということ・・・。単純な作業に見えて、なかなか「好き」「嫌い」と断言できない複雑さが心の奥から湧き出てくると思います。この自分の中にある複雑さとしっかり向き合い、どうして自分は「好き」「嫌い」がハッキリ決められないのか?・・・を考え、問題の根源に取り組みクリアにしていくことです。

精神的に自立して自分の人生を自分らしく生きていくためも、最低限、自分の好き&嫌いを知っておきましょうね。知っていて損はないと思います。

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柳の木。しだれた枝葉が風に揺れていました。