森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

私たちの心は、何を思っても何を感じても自由

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先日、早朝にふと目が覚めた時、「私は自分の気持ちに制限をかけていた」ということにふと気づく…という体験をしました。

「自分の気持ちに制限をかける」とは、一体どういうことなのか?

詳しく説明しますね。

 

私たちは、子供時代からずっと、親や世間から「あればダメです」「これが正しくて模範的」「こうしなさい」「こうするべき」と言われてきて、良い悪いとジャッジされた価値観を刷り込まれてきたと思います。

 

物心つくころからずっと言われてきたから、いつの間にか自分の気持ちの深い所にまで浸透し、浸み込んでいるんですよね。

 

本来、「自分の気持ち」は自分だけのもので、自分の自由にいろんなことを思い描いて楽しめるものなのに、心の中に自然と浮かんでくることまで、

・こんなことを思ってはいけない

・こう思わなきゃいけない

…とコントロールされていたということです。

 

人から言われたことに対して素直で従順な「いい子」であるほど、自分の心の中まで、「こんなことを思ってはいけない」「こう思わなくてはいけない」と制限を課して、模範的な良い心の持ち主になろうと無理して頑張り過ぎるところがある…と感じたのです。

 

例えば、「みんなと仲良くしなくてはいけない」という価値観が刷り込まれている人だと、苦手な人や嫌な人と出会った時、素直に「この人は苦手だ」「あの人のことが好きではない」と思えばいいのですが(心の中は自由なので、何を感じて思っても良いはずなのです…)、「人を嫌ってはいけない」と自分の心に制限をかけているため、自分の中に芽生えた「嫌い」という感情を素直に感じることができず、一生懸命に「あの人のことを私は好きなんだ」と思うこもうとするのです。

 

つまり、本心とは真逆な方向へ、無理して突っ走ってしまうんですよね。

 自分が最初に「この人は自分に合わない。苦手な人だ」と感じているのに、その正直な気持ちを完全無視してスルーし、自分のホンネに蓋をしている状態だ…ということです。

 

すると、自分の気持ちを無視し続けている状態だから、(当然ですが)ものすごく辛いです。

本当は「嫌だ」と心は発しているのに、「嫌だと思ってはいけない」という制限がかかるから、自分の「嫌だ」という魂の叫びは永久に受け取ってもらえません。抑圧されてかなり苦しい状態のはずです。

 

 

また、この例とは逆に、本当は「好き」だと思っているのに、「そんなものを好きになってはいけない」という制限が刷り込まれていると、「好き」という気持ちを封印して抑え込み、外に漏れないよう蓋をします。そして、他の物事でごまかそうとするんです。本当に好きなものを「好き」と認められず、好きでもないものを無理に好きになろうとする…。これもまた、本当に辛くて苦しいことです。

 

こんな感じで、結構多くの人が、自分の本当の気持ちを無視して、社会や世間体を意識した選択をしながら生きているんじゃないかな…と思います。

 

 

ちなみに、「自分の心は自由だ」ということですが、私たちは本来、何を思っても何を感じても自由だったはずだったんですよね。

 

特に子供時代は、のびのびと自由にいろんなことを空想して、心にいろんな色を描き、いろんな形をイメージして、型にはまらず自由に自分の世界を楽しむことができたはずなのです。

 

ところが、いつの時代からか、社会にからめとられる形で、社会生活にうまく適応するために、人の心の中まで統制されるようになったのです。

 

大人は「あなたのためを思って…」と言いつつ、「それはダメです。これを好きになりなさい」「あれをやることは許しません。こっちを頑張ってやりなさい」…と子供たちの意識を無理に誘導し、大人が喜ぶことを子供にやらせ、子供が与えた通りの「型」で生きてくことを望み、それで満足して安心していたんですよね。

こうしてコントロールされて大きくなった人たちは、今も「こんなことを思ってはいけない」「こう思わなきゃいけない」と、自分の気持ちを一生懸命コントロールして生きています。

そして、自分の周りの人たちに対して、「こう思いなさい」「そんなことを思ってはいけない」と、(自分がされてきたことと同じことをして)価値観を押し付けているんですよね…。

 

 

とまぁ、そんなことを、私は、早朝の目覚めの時にふと感じて、

「自分の心が自分以外のものに縛られるのも、何かにコントロールされるのも、コントロールするのも、もう止めよう」と心底思いました。

 

◇◇

 

確かに、今までの自分を振り返ると、「私には無理」と思って諦めてしまうことが多かったように感じます。

でも、この「自分には無理」と思ってあきらめてしまうのは、一見、謙虚さや慎み深さの表れのように見えて、実は「心のコントロールだったなぁ…」と思うのです。

何かあるたびに、まず最初に「自分には無理だ」と思ってしまうのは、ある意味「心の癖」みたいなものです。世間や社会では「こういう反応が正しい」と刷り込まれてきたから、そういう癖がついたようにも思うのです。

確かに、昔を振り返ると、「自分には無理」という思考は、今の自分の本心じゃなく、過去の「お前には無理、諦めなさい」と言われて、無理やり諦めさせられた経験が発端だったんですよね。それを何度も繰り返されていくうちに、そういう風になってしまったんだなぁ…と思いました。

 

そこで、その過去の体験からくる「思い込み」「決めつけ」を、一度外して自由になろうと思いました。

 

 

 

また「私にはできない」と、自分の行動をセーブしてしまうのも、これもある種の「心のコントロール」だなぁと思いました。やってみないとわからないのに、頭から「できない」と決めつけて、自分の行動に制限を課していたんですよね。

つまり、些細なことでも、すぐに「あっ無理」とか「できない」と感じてしまうのは、そういう風に心が反応するよう、長年ずっと訓練させられてきた賜物だったんです(笑)。

 

それに早朝の目覚め時にハッと気づいて、すごく大事なことを悟った気分になりました。

 

そして、こうした自分の中に細かく張り巡らされている「心のブロック」を、これを機に全部外して、本当の心の自由を得たいなぁ…と思いました。

 

 ◇

 

多分、これをお読みの皆さんも、自覚があまり無いだけで、ものすごい量のブロックを心の中に埋め込まれ設置させられている…と思うのです。

 

で、それらが、何か新しいことが起きるたびに作動して、ネガティブに反応して拒否したり、模範的な反応ができるようにコントロールが働いたりしているんですよ。

その作用が強く働いている人ほど、自分の本心とは異なる反応を自分がしているので、そうとう辛くて苦しいと思います。

 

早くブロックに気づいて、外していくことです。

 

ブロックを外すポイントは、とても簡単。

「あっ!私もそうだわ…」と素直に現実を認めて、自分を丸ごと受け入れることです。これは頭でわかったわかった…と理解するような簡単なものではなく、「腑に落ちる・ハラに落ちる」という感じの深い気づきです。するとカチッと外れます。

 

私も、「あっ、私もまだまだ制限を課していたわ!」と気づいてハラに落ちたので、その時、カチッと外れました。でも、ただ外れただけなので、これから意識して「制限なしで、自由に思うこと」を実践しないと、またカチッとブロックがかかります。

 

あくまで鍵が外れただけなんですよね。その後は、オープンになった状態をキープするための取り組みが必要なのです。

 

 これは根気のいる大変な作業ですが、生きづらさを感じてい時は、もう「外しなさい」の合図だと思うので、自分をしっかり内観して、不要なものはどんどん外して手放していくと良いと思います。

 

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百日紅(さるすべり)がとてもきれいです。