森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

苦手なものから逃げないで、克服する方向でちょっと頑張ってみる

 

私は今までずっと「人と接する」ことがメインのお仕事をしてきたので、ビックリされるかもしれませんが、実は私、人と会うことが苦手なんですよ。

 

子供の頃から人が苦手で、人と会うのが嫌で避けてきたんですよね。

 

というのも、人ってみんな、相手のことをきちんと見ようとせず、見た目やイメージで勝手に「あの人はこうだ」と決めつけて、あーだこーだと言ってくるところがありますよね。

みんな、自分の主観や先入観や固定観念を通して、相手をジャッジする癖があるから、ちゃんと人の話を聞かないし、思い込みで妄想を暴走させてくるし、自分の意見を一方的にガーガーと押し付けてくるし…で、ホント、私の自由にさせてくれなくて、何かにつけて「こうしなさい」「ああすべき」と言われてばかりでした。

そういうのに子供のころからずっと振り回されてきました。こういう環境の中にいると、自分のエネルギーがどんどん削がれていくし、自分らしくのびのび自由にしていられず、窮屈でしんどいです。

 

だから、なるべく人と接しないように生きていきたいと思っていました。

人目にさらされると、あれこれと他人から口を挟まれ、いろいろ言われるから、もう何も言われたくない・聞きたくない…と思ったんですよね。

 

そのため、私が子どもだった時の将来の夢は、なんと「隠者になること」だったんですよ(笑)。兼好法師のように山の中に庵を建てて、誰にも会わず、一人で修行しながらひっそり暮らすのが夢だったんです。なんと地味な子どもだったことか…😅。

 

でも、現代社会ではそんな生き方はもう不可能で(山の中に庵を建てたければ、山を買わなきゃいけないことを知り、幼心にこれは無理だと悟りました・笑)、隠者は諦めました。(笑)

 

それで、今は現代人らしく普通に暮らして生きていますが、それでもやっぱり基本的には人は苦手なんですよね…。

 

だけど、どんなに苦手であって、この世界を渡り歩いて生きていくには、「人と接すること」は絶対に必要です。これは嫌でもやらなくてはいけません。

だから、自分なりに努力して「誰とでも親しく明るく接して、良い関係を結んでいく」ことを磨いてきました。

 

◇◇◇

 

どんなに「苦手で嫌だ」と言っていても、やらなきゃいけないことは、有無を言わずにやらなきゃいけないんですよね…。

 

嫌だと言って逃げていても、結局は、それをしなきゃいけない状況に自然となっていきます。

 

私の場合は、人が面倒で嫌だと逃げていると、更に面倒な性格の人(粘着質で傲慢な気質の人)と出会うんですよ。それで、「ああ面倒だ」と感じて適当にのらりくらりと逃げてごまかしていると、最後は「その相手にはっきりと自分の意見を述べて、必要ならばケンカする(=怖がらず正面からぶつかる。真剣に相手と対峙する)」というオチに至ります。

 

これを何度も何十回も繰り返していくうちに、私もそれなりに学習し、今は、人と出会ったら、最初から相手には自分の本音を正直に伝える…を意識するようになりました。

苦手だから…と相手の言いなりになって従うのではなくて、ちゃんと私も自分の意見を言い、対等に付き合うことを心掛けたのです。

 

すると、以前のように、人から勝手な先入観を持たれて上から目線でガーガーと言われることは無くなっていきました。また、基本「ちゃんと話ができるいい人」と出会うことが増えていきました。

 

今も人付き合いは面倒で苦手なんだけど、もうこれは修行だと思って、苦手な気持ちを抱えながらも、ちゃんと向き合って取り組むようにしています。

 

◇◇

 

そう考えると、いつまでも「嫌だ」と言って逃げていないで、もう腹をくくってやるしかないんですよね…。

 

ちなみに(話が飛びます…)、ここ大事なんですが、「苦手=下手」ではありません

「本当は苦手で嫌いなんだけど、やればバッチリ完璧に上手にできてしまう」ことも多々あります。「下手なことイコール苦手なこと」というのは思い込みです。

 

また、「好き=得意」とも限らないんですよね。

「好きだけど、他の人と比べるとすごく下手くそで手際悪い」ということも多々あります。

成果物が立派だから、これは「好きなこと」だと思い込むのは実は危険で、成果物を立派に仕上げられても、実は心の中は嫌で嫌でたまらない…ってとこもあるのです。

 

上手いから「それが好きだ」と限らないし、下手だから「それが嫌いだ」とか「自分に合っていない」とも限らない。

 

どんなに下手クソでも、やってみて楽しかったり、すごく気に入って良かったのなら、それは「好き」なんですよ。また、どんなにスラスラと上手にできても、本人が苦痛を感じて嫌々やっているのでしたら、それは「好き」ではなく「嫌い」なんです。そして「自分に合っていない」ということなのです。

 

これって案外、多くの人が勘違いしていることだと思います。

 

 

話を戻して…。

 

他人の様子を横から見ていて、「あの人は、あれが好きなんだ」「この人はこれが苦手なんだ」と勝手に判定して決めつけるのは、本当はやってはいけないことなんです。(←これ、親がよく子供にやっていると思います)

 

好きか嫌いか、苦手か得意か…の判定は、当の本人が自分の心の中でそっと感じて決めることであり、他人が横から口を挟んで、あれこれ決めつける話ではない…と思います。

 

そして、私の場合、幼い頃から、私の周りにいた大人たちが、「あなたはこうだ」「君はこうすべき」と横から口を挟んでくることが多かったんです。

私が何かをすると、それを見て、勝手にああだこうだと決めつけて、自分の決めつけを私に押し付けてきたり、私のことを他人にベラベラ喋ってゴシップネタにされたり…云々。

大人になっても、そういう人が周囲に多くて(とくに私の親世代の人たち)、もううんざりしていたのです。

こういうのが本当に嫌で、人前にあまり姿を見せないようにしていたんです。

 

だけど、そういう面倒な人たちに合わせて、こっちが小さくなって生きていくのは違うんじゃないか…と、ある時からそう思うようになりました。

人が何を言おうと、もうそんなことは気にせず無視して、自分の思うままに行動していけばいいのです。自分をもっと尊重し、他者の前でも自分の尊厳をしっかり守る。これが必要だったんだなぁ…と。それに気が付きました。

 

 

みんな、成長していかなければいけません。

 

世の中には、 苦手なことや 得意じゃないこと、好きじゃないこともたくさん溢れています。 でも、だからといって、苦手なものから目を背けて逃げてばかりもいられません。

この世界に生きている以上、私達は常に、自分の苦手や嫌いなことにも向き合って、克服することが大事なんですよね。

 

ですので、皆さんも、今まではいろいろ理由をつけて、苦手なことや嫌いなことをどんどん遠ざけてきたと思いますが、そろそろ「克服する」へシフトチェンジするときなのかなぁと思います。

逃げの意識から卒業し、苦手なことや嫌いなことでも「普通に出来るレベル」になるよう頑張って取り組んでみる…。

そんな前向きな気持ちを、これからは持つと良いかもしれません。

 

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秋雨の降る日は、ちょっと一休み。